教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ず~っと先の人類は

2010-01-12 00:09:44 | 科学
今回はちょいとSF的な事で。
ず~っと先の人類はどういう生活をしているのか考えてみた。



キホン的に人類の歴史は文明の発展である。

ではなぜ文明を発展させる必要があるのか。
それはもちろん楽をしたいからだ。

単に横着したいという意味ではない。
法整備をすることで大人数での生活を容易にする発展。
品種改良することで食料増産を実現し飢えを低減させる発展。
医療を発達させることで病気による死亡リスクを低減させる発展。
これらにより、総体としては人類はより生存に対するリスクの低いより余暇の多い方向へと発展していった。

まあここまではアタリマエな話ではある。
さて、その究極の姿とはどういうものだろうか。



文明が進めば理想的には仕事の負担は減る。
しかし、人類が仕事から解放されるという事はまずない。

たとえばコンピュータを駆使した文明になったとしよう。
コンピュータは単純作業を繰り返すのは得意だが、方法を考えたりアイデアを出したりするのには向いていない。
(有限要素法におけるアダプティブメッシュ機能とかはコンピュータが方法を考えるものの一種でもある気がするが、これはこれで単純作業の繰り返しをやっているだけでもある)
またコンピュータを使えば自動管理システムを構築して無人化させることもできるが、その無人管理システムの管理はやっぱり人がやらねばならない。
少なくともマクロ的な意味でも文明を維持するのは人の役目だ。
だから人類がやらねばならぬ仕事というのは遠い先でもゼロにはならんだろうと思う。

しかし人類がやらねばならぬ仕事の総量は大きく減らすことができるに違いない。
だからず~っと先の未来には週休6日制になるということはあり得る。



そういった社会はどういう風になっているだろうか。

恐らく、単純作業で作れるものは非常に低コストに調達できるようになる。
生きていく最低限レベルの衣食には困らないようになる。
たとえば現代でいうと、スーパーの冷凍食品のレベルの食い物とかがそれにあたる。
(気候変動による食糧危機なんてのもよく言われるが、エネルギーを無限に投入できれば際限なく食料を生産することは可能だと思われるので、ず~っと先の未来では食料危機は発生しないと仮定する)

しかし!

それ以上のモノを望むとメチャメチャ高額になる。
人間の手が多く介在したものはメチャメチャ高額になる。
週休6日制で週1日分しか労働していない人の人件費分を払おうとすると、時間あたりでは週休2日制の人の人件費の5倍は払わなければならない。
だから、レストランで人が作った料理を注文ようとしたらバカ高い料金を請求されるようになるだろう。
何でもいいから食えればいいならタダ同然だが、それよりうまいものはバカ高い、きっとそんな感じになる。

これは食い物に限る話ではない。
人間の手が多く介在したものは何でもそうで、創作物関連のモノは何でも高額になるに違いない。

そうはいっても創作物関連のモノは著作権の保護期間に期限がある。
いまの日本では50年でアメリカでは70年だったかな。
そしてそれを過ぎたらタダ同然で配信されることもある。

ということは。
ず~っと先の未来では、過去の映像アーカイブを見るのはタダなんだが、現在連載中のマンガを読んだり本物の人間がやる演劇を見ようとしたりするとバカ高い、そんな感じになるだろう。



そういった世界では人類は単純作業からは開放されている。
しかし、単純作業の労働価値が無くなるために単純作業しかできない人とそうでない人との貧富の差が激しくなる。
学があり文明の維持に貢献できる人や芸術分野の才能があり自分の作品に値段がつく人など、特定の人だけが自由なカネを手にする世界になる。

そのときの人類が幸福に対して何と定義しているかというのには議論の余地があるが・・・
その世界でもやっぱり、食べるのには不自由しないし余暇も十分にあるがそれ以外には何もなく、ただ生きているだけでしかなく生きるのが辛いという人は少なからず発生してしまうように見える。
たとえば極端な話、最下層レベルでは、かつての中国の人民服のような量産効果が高いだけの衣類をタダであてがわれ、猫のエサのような量産効果が高いだけのうまくもない飯をタダであてがわれ、することもなく仕事もなくカネもないが、必ずしもがんばって仕事に出かけなくても生きていけるので過去の映像アーカイブを日がな一日眺めて暮らす、そんな生活になるような気がする。

それから不動産に対する問題も解決しない気がする。
土地というのは有限な資源なので、有効利用しようとすると上に伸ばすか下を掘るしかない。
ず~っと先の未来ではどういう価値基準になるのかは不明だが・・・
たとえば日光の当たる地上の一戸建てはべらぼうに高額で、地下の集合住宅みたいなのはタダ同然でだれでも住める、そんなふうになりかねない。

それは食い物に困っている人よりは幸せではあるが、それで全員が満足するのかどうかはギモンだ。

文明がいくら進んだところで、人類全員が幸せに暮らすのはムリがあるような気がするなぁ・・・。