ひさしぶりに、エレカシがテレビに出てました。
最近どんなかな~と思って見ていたら、
宮本さん、相変わらず変だ・・・。
多少オヤジにはなったのかもしれないけど、
あの変人パワーは一向に衰えておらず、
「すごいなああ・・・」と感心してしまった。
大抵若い時ちょっと濃い目の人でも、
年取るにつれて普通になってきちゃうのにね。
やはり天然は強い!
しばらく寒い日が続いていますね。
寒いのがいい、雪が好き!などと騒いでいたら、
これでもか~~というほどの寒い冬になり、
「すみません。」という感じです。
ちなみに、私は口ほどにもなく、大抵すごい厚着で、
いつも寒い寒いと文句をタレてばかりいます。根性無しです。
今年の目標は、「我慢する。余計なことを言わずに黙る。」です。
寒くても、文句言わないゾ~~。
実は今日、なんとあっちゅうまに、レーシックの手術を受けます。
あ~~怖い。こわ。こわ。嫌い。病院嫌い。
しかも健康保険の効かない手術をやるなんて、
美容整形と同じじゃないのさ。いいのか?いいのかね?
とか言ってたのは昨日のこと。
今日は腹をくくって、すっかりさわやかな気分です。
え~いどうにでもなれ~い。
いろいろお友達からも反応を頂き、あれやこれや吟味した末、
やっぱりやることに決めましたので、もうやるのです。
情報を下さったり、病院のことを教えてくれたり、
心配してくださった方がた、ありがとう。
そんなわけで、明日から2-3日、小さい文字など見れなくなりそうなので、
ちょっとこちらの書き込みや、メールのお返事なども、
遅れてしまうことがあるかもしれません。
どうぞよろしくお願いいたします。
うまく復活したら、またレポートいたします!
最近、トルストイの民話をいろいろ読んでいます。
私はだいたい読書メモを取っているので、ひとつご紹介。
「人はなんで生きるか」
レフ・トルストイ著 北御門二郎訳 あすなろ書房
トルストイがその晩年に、子供向け…子供に限らず、老いも若きも万人に親しんでもらえるように…と書いた民話のひとつ。
貧しい靴屋の親父が、ある日うずくまっている素っ裸の男に出会う。
関わり合いにならぬよう、最初は見て見ぬふりをして立ち去るが、良心と信仰心とによって男の元へ戻り、よく世話をして家につれて帰る。
最初は怒り狂っていた妻も、やがて男を不憫に思うようになり、家族の一員として迎え入れ、六年という月日を過ごすことになる。腕のいい靴職人として、真面目に奉公する青年ミカエルだったが、自分のことについては、一切口を開こうとしなかった。しかし六年目のある日、仕事道具を置き、老夫婦に礼を述べた後、ミカエルは自らのことを全て語り始める。
隣人愛。キリスト教ではおなじみの言葉がテーマであるので、一見宗教色の強い物語に見えるが、全体を貫くメッセージは普遍的で、宗教や民族の枠を越えて、誰にでも届くものである。例えば法華経に深く帰依していた宮沢賢治の童話なども、国や表現の方法こそ違え、共通したメッセージを持つものも多いように思う。
身近な人、縁のある人を大切にすること。相手の身になって、痛みを分かち合ってあげること。何もかもそこから始まる。日々、命のあることに感謝して生きること。
また、登場する人々の生活のつましさ、素朴さも胸を打つ。粗末なパンを分け合い、靴を作り、明日への希望を抱いて眠りに就く、そんなシンプルな生活の美しさが、淡々とつづられている。
貪欲で、情報過多、競争と比較、焦りと苛立ち、そんな世界の中で生きる自分。そんなのが当たり前の世の中。これでいいのかな、と思わず立ちどまってしまう。発作的に、今持つ欲の全てを捨てて、そんな生活に入ってみたらどうだろう?どうなるのだろう?と思ってみたり。まあ、それでも毎日は相変わらず、過ぎていくのだろうけれど。
欲のある生き方も、嫌いじゃないのだ。そのせいで苦しんだり、醜くなったりするけれど、それもまた人間の面白さだと思う。
ただ、せめて少しずつでも、いらないものを切り捨てながら、身を軽くして生きていこう、せめて身近にいる人々には、優しくなろう、と思った作品。
最近どんなかな~と思って見ていたら、
宮本さん、相変わらず変だ・・・。
多少オヤジにはなったのかもしれないけど、
あの変人パワーは一向に衰えておらず、
「すごいなああ・・・」と感心してしまった。
大抵若い時ちょっと濃い目の人でも、
年取るにつれて普通になってきちゃうのにね。
やはり天然は強い!
しばらく寒い日が続いていますね。
寒いのがいい、雪が好き!などと騒いでいたら、
これでもか~~というほどの寒い冬になり、
「すみません。」という感じです。
ちなみに、私は口ほどにもなく、大抵すごい厚着で、
いつも寒い寒いと文句をタレてばかりいます。根性無しです。
今年の目標は、「我慢する。余計なことを言わずに黙る。」です。
寒くても、文句言わないゾ~~。
実は今日、なんとあっちゅうまに、レーシックの手術を受けます。
あ~~怖い。こわ。こわ。嫌い。病院嫌い。
しかも健康保険の効かない手術をやるなんて、
美容整形と同じじゃないのさ。いいのか?いいのかね?
とか言ってたのは昨日のこと。
今日は腹をくくって、すっかりさわやかな気分です。
え~いどうにでもなれ~い。
いろいろお友達からも反応を頂き、あれやこれや吟味した末、
やっぱりやることに決めましたので、もうやるのです。
情報を下さったり、病院のことを教えてくれたり、
心配してくださった方がた、ありがとう。
そんなわけで、明日から2-3日、小さい文字など見れなくなりそうなので、
ちょっとこちらの書き込みや、メールのお返事なども、
遅れてしまうことがあるかもしれません。
どうぞよろしくお願いいたします。
うまく復活したら、またレポートいたします!
最近、トルストイの民話をいろいろ読んでいます。
私はだいたい読書メモを取っているので、ひとつご紹介。
「人はなんで生きるか」
レフ・トルストイ著 北御門二郎訳 あすなろ書房
トルストイがその晩年に、子供向け…子供に限らず、老いも若きも万人に親しんでもらえるように…と書いた民話のひとつ。
貧しい靴屋の親父が、ある日うずくまっている素っ裸の男に出会う。
関わり合いにならぬよう、最初は見て見ぬふりをして立ち去るが、良心と信仰心とによって男の元へ戻り、よく世話をして家につれて帰る。
最初は怒り狂っていた妻も、やがて男を不憫に思うようになり、家族の一員として迎え入れ、六年という月日を過ごすことになる。腕のいい靴職人として、真面目に奉公する青年ミカエルだったが、自分のことについては、一切口を開こうとしなかった。しかし六年目のある日、仕事道具を置き、老夫婦に礼を述べた後、ミカエルは自らのことを全て語り始める。
隣人愛。キリスト教ではおなじみの言葉がテーマであるので、一見宗教色の強い物語に見えるが、全体を貫くメッセージは普遍的で、宗教や民族の枠を越えて、誰にでも届くものである。例えば法華経に深く帰依していた宮沢賢治の童話なども、国や表現の方法こそ違え、共通したメッセージを持つものも多いように思う。
身近な人、縁のある人を大切にすること。相手の身になって、痛みを分かち合ってあげること。何もかもそこから始まる。日々、命のあることに感謝して生きること。
また、登場する人々の生活のつましさ、素朴さも胸を打つ。粗末なパンを分け合い、靴を作り、明日への希望を抱いて眠りに就く、そんなシンプルな生活の美しさが、淡々とつづられている。
貪欲で、情報過多、競争と比較、焦りと苛立ち、そんな世界の中で生きる自分。そんなのが当たり前の世の中。これでいいのかな、と思わず立ちどまってしまう。発作的に、今持つ欲の全てを捨てて、そんな生活に入ってみたらどうだろう?どうなるのだろう?と思ってみたり。まあ、それでも毎日は相変わらず、過ぎていくのだろうけれど。
欲のある生き方も、嫌いじゃないのだ。そのせいで苦しんだり、醜くなったりするけれど、それもまた人間の面白さだと思う。
ただ、せめて少しずつでも、いらないものを切り捨てながら、身を軽くして生きていこう、せめて身近にいる人々には、優しくなろう、と思った作品。