NHKのお昼の放送の中に日本語の意味、用法、語源などについてキャスターが解説する番組があるが、そこで 「堂々巡り」 の語源について、僧侶や信徒がお堂のまわりをグルグル回る儀式から来た仏教用語であると説明していた。本当だろうか。たしかに、このように説明したそのキャスターに責任はない。なぜなら『広辞苑』や『大辞泉』をはじめ、すべての「国語辞典」「語源辞典」にはそのように書かれているからである。
ところがである、私が図書館で調べた『仏教大辞典』や各宗派の辞典類には「堂々巡り」や「堂々回り」などの用語はまったくない。当たり前である。「お堂」とは本来「仏様(ほとけさま)」もしくはそれに準ずる人物などをおまつりする建物である。観音堂(観音菩薩)、釈迦堂(釈迦如来)、大師堂(弘法大師)、御影堂(開祖の御影、つまり画像など)、
これら神聖なお堂のまわりをグルグル回るなど、御本尊の背後に立つことであり、信仰心の篤かった昔の人には考えられないことである。仏教用語にないのは当然のことである。浄土宗の一派、時宗の「踊り念仏」でもお堂のまわりを回ったりしていない。(「時宗」で検索するとその映像が見られる)。
なぜ、このような説が出てきたのか。だれか、おそらく著名な国語学者であろうが、仏教関係者に問い合わせることもなく、「堂々」の「堂」という漢字に引っ張られ、「堂」は仏教の「お堂」のことだと思い込んだことから生まれた俗説、語源俗解の類だと思う。それがそのまま今日まで無批判に踏襲されてきているのであろう。では正しい語源はなにか。答えは単純明快、そのまま「堂々」の意味である。
−「堂々」の意味とはー
白川静『字通』(平凡社)には漢字「堂」は「神聖なる拝所」「高殿」とある。(例、朝堂、廟堂)。これが転じて、「高い」「大きい」「明らか」「盛んなさま」の意味を持つとある。そして「堂々」は「威厳があり」「立派なさま」を表わす漢語とある。
日本語はこの漢語「堂々」をそのまま借用している。「正々堂々」「威風堂々」「堂々たる態度」、戦前の軍歌に「ああ、堂々の輸送船・・・」というのもあった。これらは、「大きい」「威厳」「盛んなさま」を表しているが、中には、「白昼堂々と銀行に押し入る」と強盗事件にも使われることもある。この場合は、こっそり忍び込んだりしない、つまり「明らか(白日の元にさらす)」の意味である。「堂々巡り」とは上記の意味と同様に使っている言葉であることは間違いない。双方の議論が白熱し、お互いにその主張を明確に表明している。しかし、合意には至らない。そこで、「議論が堂々巡りする」。つまり、これである。
国語辞典には「堂々巡り」の意味として「同じことを何度も繰り返すこと」とあるが、同じ動作を繰り返してもそれを 「堂々巡り」 とは言わない。例えば、毎日、同じお堂にお参りしたとしても、これを「堂々巡り」とは言わないように、「堂々巡り」という言葉は、意見、主張、議論などの意味を言外に含んでいる。
現在の消費税問題にたとえると分かりやすい。野田首相は消費税引き上げの必要性を何度も明確に説明している。一方、引き上げ反対派もこれまた明確にその理由を繰り返し主張している。そしてこの両者の主張は連日マスコミで報道されており、双方とも一歩も引かない。まさにこれこそ「堂々巡り」である。そうして、この不毛の論争は「威厳」「立派」とはとても言えないが、『字通』のいう「明らか」「盛んなさま」であることは間違いない。
<追記>
漢語の「堂々」をうまく使って「堂々巡り」という言葉を作った昔の日本人の言語センスの高さに敬服するばかりである。しかし、後世の国語学者が、仏教のお堂を巡ることだと誤解してそのまま国語辞典に載せている。このままでいいのか。日本の仏教関係者はこの事実をまったく知らないと思う。私のこの論考を読んでいただければ、おそらくびっくり仰天するのではないか。仏堂は正面からうやうやしく拝むものであり、そのまわりをぐるぐる回るなどもってのほかだと・・・。
ところがである、私が図書館で調べた『仏教大辞典』や各宗派の辞典類には「堂々巡り」や「堂々回り」などの用語はまったくない。当たり前である。「お堂」とは本来「仏様(ほとけさま)」もしくはそれに準ずる人物などをおまつりする建物である。観音堂(観音菩薩)、釈迦堂(釈迦如来)、大師堂(弘法大師)、御影堂(開祖の御影、つまり画像など)、
これら神聖なお堂のまわりをグルグル回るなど、御本尊の背後に立つことであり、信仰心の篤かった昔の人には考えられないことである。仏教用語にないのは当然のことである。浄土宗の一派、時宗の「踊り念仏」でもお堂のまわりを回ったりしていない。(「時宗」で検索するとその映像が見られる)。
なぜ、このような説が出てきたのか。だれか、おそらく著名な国語学者であろうが、仏教関係者に問い合わせることもなく、「堂々」の「堂」という漢字に引っ張られ、「堂」は仏教の「お堂」のことだと思い込んだことから生まれた俗説、語源俗解の類だと思う。それがそのまま今日まで無批判に踏襲されてきているのであろう。では正しい語源はなにか。答えは単純明快、そのまま「堂々」の意味である。
−「堂々」の意味とはー
白川静『字通』(平凡社)には漢字「堂」は「神聖なる拝所」「高殿」とある。(例、朝堂、廟堂)。これが転じて、「高い」「大きい」「明らか」「盛んなさま」の意味を持つとある。そして「堂々」は「威厳があり」「立派なさま」を表わす漢語とある。
日本語はこの漢語「堂々」をそのまま借用している。「正々堂々」「威風堂々」「堂々たる態度」、戦前の軍歌に「ああ、堂々の輸送船・・・」というのもあった。これらは、「大きい」「威厳」「盛んなさま」を表しているが、中には、「白昼堂々と銀行に押し入る」と強盗事件にも使われることもある。この場合は、こっそり忍び込んだりしない、つまり「明らか(白日の元にさらす)」の意味である。「堂々巡り」とは上記の意味と同様に使っている言葉であることは間違いない。双方の議論が白熱し、お互いにその主張を明確に表明している。しかし、合意には至らない。そこで、「議論が堂々巡りする」。つまり、これである。
国語辞典には「堂々巡り」の意味として「同じことを何度も繰り返すこと」とあるが、同じ動作を繰り返してもそれを 「堂々巡り」 とは言わない。例えば、毎日、同じお堂にお参りしたとしても、これを「堂々巡り」とは言わないように、「堂々巡り」という言葉は、意見、主張、議論などの意味を言外に含んでいる。
現在の消費税問題にたとえると分かりやすい。野田首相は消費税引き上げの必要性を何度も明確に説明している。一方、引き上げ反対派もこれまた明確にその理由を繰り返し主張している。そしてこの両者の主張は連日マスコミで報道されており、双方とも一歩も引かない。まさにこれこそ「堂々巡り」である。そうして、この不毛の論争は「威厳」「立派」とはとても言えないが、『字通』のいう「明らか」「盛んなさま」であることは間違いない。
<追記>
漢語の「堂々」をうまく使って「堂々巡り」という言葉を作った昔の日本人の言語センスの高さに敬服するばかりである。しかし、後世の国語学者が、仏教のお堂を巡ることだと誤解してそのまま国語辞典に載せている。このままでいいのか。日本の仏教関係者はこの事実をまったく知らないと思う。私のこの論考を読んでいただければ、おそらくびっくり仰天するのではないか。仏堂は正面からうやうやしく拝むものであり、そのまわりをぐるぐる回るなどもってのほかだと・・・。
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