小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

信長の「天下布武」についての再論  - 天下は天下 (あめのした) ー   

2018年11月22日 | Weblog

 信長の「天下布武」の印章について、この場合、信長のいう「天下」とは京を中心とした畿内の意味であるとの説が出た(金子拓著『織田信長<天下人>の実像』)。この説を立てた人はすでにいることが同書の中で紹介されている。金子氏はそれを受けてより詳しく発展させたにすぎない。その人とは、神田千里と池上裕子である。この両氏の言わんとするところは、「天下布武」とは足利将軍・義昭を伴って入京し、畿内を平定して、将軍を中心とする畿内の秩序が回復することであり、それは永禄11年に信長が上洛することで実現したとの主旨である。この説には根本的な錯誤(思い違い)がある。

 -言語の意味を誰であれ、いかなる独裁者であっても勝手に変えられない-

 分かり易いたとえ話をしよう。ある小さな町のラーメン店が「天下一のラーメン」と書いた看板を掲げたとしよう。では、この店の店主は、「ここでいう天下とは私の住む町のことだ」と言うだろうか。たしかに、本音は町一番のラーメン店を目指していたとしても、言語としての「天下一」とは全国一、日本一の意味であり、それぐらいの気概を持って自分は誰にも負けない良い味のラーメンを作っているのだ、と答えるであろう。言語の意味とその使用意図は違うのである。

 あと一つ、滝廉太郎作曲の有名な唱歌「箱根八里」では、「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず・・」とあるが、ある人がこの歌の正しい意味は「日本国内には箱根の山より険しい山越えはいくらでもあり、この場合の天下とはせいぜい関東地方の意味で使っているのだ」と説明したとしよう。普通の日本人なら誰でも首をかしげるであろう。「天下の険」とは、「天下」と、難所で有名な中国の「函谷関」を持ち出すことで、それぐらい険しい山だと比喩的に使っているにすぎない。それが真実かどうかなどは関係ない。つまり、どのような使い方であれ、「天下」の意味は一つしかなく、信長の「天下布武」もそれぐらいの気概、意識を持っていることを表明したにすぎない。その証拠に信長が上洛したあとは「天下布武」の印章は使っていない。一地方大名から天皇や将軍に近侍するようになれば、他の有力大名にも配慮しなければならないし、それと、形式上、将軍・義昭の家臣の立場にある信長が、征夷大将軍を差し置いて「天下布武」などを公言することは憚られたのであろう。

 また、金子氏は同書の中で、『信長記』にある信長が「天下を仰せ付けられ」と「京師鎮護」を取り上げ、この場合の「天下」は「京師」と同じ意味であり、せいぜい、地理的には五畿内、概念的には足利将軍の勢威が及ぶ地域にすぎないと断定している。この見解は先の神田、池上両氏とほぼ同じである。

 とんでもない誤解である。天皇は形式上、日本国の最高主権者であり、足利将軍は名目上天下人なのである。だが、現実は全国の大名や国人領主たちはその威令に服さず、勝手な行動をとっている。13代将軍・義輝にいたっては三好・松永一党に殺害されている。まさに「天下大乱」である。そうであっても、天皇や将軍の出す詔書や御内書は「天下の命(めい)」であり、その政治活動は「天下の儀」なのである。「天下を仰せ付けられ」とは、天皇(朝廷)が「天下静謐」を信長に命じたにすぎない。実際にそれが成就するかどうかは別として・・。その第一歩として畿内支配は当然である。その後、名実共に天下人となり、「天下安寧」を成し遂げたのは次の豊臣秀吉であった。「天下」は決して特定の地域をさす言葉には使われないし使えない。「天下」の意味は一つである。

 <追記> 

 漢語「天下」の意味は不変である。それは中国でも日本でも同じである。百歩ゆずって信長が「天下布武」を京と畿内の意味で使ったとしても、その印章付きの書状を見た武田信玄はそれを文字どおり解釈して、「尾張のこわっぱが何をたわけたことを・・」と激怒するであろう。信長の意図など百パーセント伝わりはしない。言語とはそういうものである。

 なぜ日本の一部の歴史学者はこのような単純なこと(言語の意味とその使用意図は違うとのこと)が分からないのであろうか。その原因を私は日本の国語教育にあると思っている。小・中・高 12年の国語教育で言語についての学習は全くと言っていいほどない。国文法は決して言語(日本語)の文法ではない。大方の日本人は学校で学んだ国文法など何の記憶もない。「当てる」「上げる」「開ける」「飽きる」「荒れる」「浴びる」の語幹  stem はすべて「あ」など、外国の言語学者にどう説明できるのか。日本人の言語に対する無知、無関心が「天下布武」についての奇妙な論考に現れているのではないか。「天下布武」の意味は一つである。では、なぜ織田信長が岐阜時代にこの印章を使ったのか 。それは信長本人に聞いてみるほかない。 

 龍馬の「八策」にある「顧問」「大典」「部下」を、おかしいと指摘したのは私(小松)が初めてと思う。不思議なことに、この三つの言葉はどの国語辞典にも言語資料として引用されていない。「顧問」と「部下」を現代風に最初に使ったのは坂本龍馬であるのに・・。「大典」も帝国憲法発布の23年も前に幕末の史料に出ているのに!?  本来、言語と歴史はコインの表と裏の関係であるのに日本では全く別物である。最後に今一度言っておくが、日本国で臣下に「天下静謐」を命じることのできる存在は唯一「天皇」だけである。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村