小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

閑話休題  -ザギトワ選手の愛犬 「マサル」-

2018年06月07日 | Weblog

 平昌五輪金メダリスト、ロシアのザギトワが秋田県から秋田犬を贈られ、その贈呈式がテレビで報道されていた。その犬の名前は「マサル」、日本語で「勝つ」意味なのでザギトワ自身が名付けたとのこと。日本語を知らないザギトワに誰が教えたのかは知らないが、正確には「まさる」に「勝つ」との意味はない。すでに書いたように、「まさる」の語幹「まさ」に動詞形成の接尾語「る」が付いたものであり、「(人より)すぐれている、上回る」などの意味である。(例、健康にまさるものなし、男まさりの怪力)。「まさる」に漢字「勝」を当て字したため(勝る、優る)、「勝利」との意味があると誤解した人が教えたのだと思うが、ザギトワが「マサル」の正しい意味を知ったら、かえって喜ぶであろう。「マサル」とは「人よりすぐれていて、上に立つのであるから、私にもっともふさわしい」と・・。

 -日本語の構造は単純であるー

 この「まさる」の他にも「まさに」「まさか」「まさしく」と様々な接尾語が付いて造語してゆく。「正夢」「柾目」などの名詞も作る。古文には現実、真実などの意味で形容詞「まさし」もある。また、「まさ」によく似た言葉の「ただ」も同じく、動詞化して「正す」、その名詞形(連用形)「ただし」(襟を正して・・)から「正しい」「正しく」が生まれている。「ただし」は副詞としての意味もある。また、語幹「ただ」は副詞としても使われる。例文として「ただ、次のことだけは言える」(この場合、「ただ」は「真実、事実、実際」などの意味)

 -日常、普通に使っている言葉の語源も至極単純ー

 私の日本語文法理論の第二型動詞はすべて語幹がある。その語幹から次のような言葉ができている。                  

 見える ➝ 見え(見栄を張る)、 見せる ➝ みせ( 店 )、見世物、 寄せる ➝ よせ( 寄席 )、 落ちる ➝ おち(落語のオチ) 

 慣れる ➝ 慣れ、 なれなれしい、 掛ける ➝ かけ( 賭 )、 はめる ➝ はめ(ハメを外す)、 尽きる ➝ つき(運の尽き)

 似る ➝  似せる(使役形) ➝   似せもの (偽物)、 出来る ➝ でき(「出」も「来」も名詞語幹) 出来不出来、 おでき(腫物)

「ツキが回ってきた」の「ツキ」は第一型動詞「つく」(身につく、手をつく)の名詞形である。この名詞形「つき」から「尽きる」との動詞ができている。なお、「ツケをまわす」の「ツケ」は「帳簿をつける」の語幹「つけ」から来ている。日本語は「つく」「さわる」「触れる」「撫でる」「さする」「こする」などの微妙な言い回しを持った世界でも稀有な言語である。しかるに、 国文法(学校文法)では上一段活用とか下二段活用などの意味不明の用語が出てくる。大方の日本人は完全にスルーしている。国民にまったく理解されず、かつ無視されている母国語の文法を義務教育で教えている国が日本以外にあるのだろうか。私は寡聞にして知らない。

 <追記>

 NHKで「国語辞典」の編纂の仕事に従事している編集者を取り上げた番組があり、そこで、「的を得る」との言葉は「的を射る」が正しく、その誤用ではないかとの説が国語学者の間であることを知った。事実、多くの「国語辞典」は誤用説をとっている。その編集者が調べた結果、「的を得る」は江戸時代にも使用例があり誤用ではないとの見解であった。

 弓道の「的(まと)」は「書紀」にも出てくる古い言葉である。「国語辞典」には「弓を射る的(まと)」が転じて「目的、目標、要点」などの意味を持つともある。「的を外した」は弓道用語であるが、「的外れの議論」はその弓道用語から生まれた表現である。つまり、論点がボケた議論。また、「的をしぼる」の「的(まと)」は目標とか狙い所、要点などの意味であるので、「要領を得ない説明」などの表現があることからしても、「的を得た意見」などの言葉があって当然と思う。(この場合の「的」は派生語の「要点」とか「狙い目」の意味)。決して誤用ではない。また、動詞化して、「まとめる」「まとまる」との言葉もできている。二次語幹「まとめ」は日常よく使う言葉である。

 

 

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