☆Voli alla gloria☆

路が見えぬなら飛んでしまえ。日々の思考と感覚の記録を綴ってゆきたい、とあるバンカーのブログ。

日々。

2005年09月20日 | 独りごと…(ぼやきとも言う)
さて、昨日書いたように、今日は財務諸表論、五回目の講義を受けてきた。

これまで財務諸表論では、まず財務諸表って言うと、損益計算書(PL)、貸借対照表(BS)とがあるが、そのうち当面はPLを勉強するということで、これまで進めてきた。まずはそのPLの雛形を覚えることからはじめる。会計の勉強とか簿記の勉強を少しでもした方ならすぐわかると思うが、あれだ。経常損益の部から始めて、特別損益の部、そして当期純利益を求める、ここでは勘定式のPLではなくより実務的な報告式のPL。

PLに表示する会計処理の勉強をこれまで進めてきた。大雑把にこれまでの項目を記していくと、「有形固定資産」、「売上原価の内訳表示」、「棚卸資産」、「売上、仕入の控除項目」、「引当金(繰入)」、そして、今日やってきたのが「有価証券(評価損益、売却損益)」について。

解る人はわかると思うが、結局報告式の損益計算書を上の方から順に勉強していっている。まだまだ内容は薄いのだろうが、結構覚えることが多くて大変。一度マスターしてしまえば空気みたいに思えてくるのだろうけれども…はやく空気にしなくては(笑)僕にとってはまだまだメタンガスのようだ。吸ったら死ぬと思われ。
財務諸表論ってのは、今やってることに加えて、「理論」ってのも勉強しないといけないらしく、その「理論」の暗記が結構きついらしい。本試では、腕が痛くなるくらい速く書かないと終わらないような量の知識が要求されるらしく、どんなものなのか、今から楽しみ。いや、楽しくはないな。げんなり。

とりあえず…来週の月曜と火曜に初めての「定例試験」なるものがあって…初めくらい高得点を狙いたい…なんて思ってはいる。そう簡単にはいかんざき。そんなことは解ってるけれども。しかし月末は忙しい。定例試験が終わったと思えば、学校の連続講義のテストが控えてるし…のんきに誕生日プレゼント楽しみにしてる場合でもありません。早く来月にならないかな…って…来月からは大学が始まるじゃねぇか!!



それから…政策提言で少子化について勉強中…どういう研究をすればいいのだろうか。結局、当面の政策の目標とするところっていうのは、子育て支援なんじゃないかなと思うのだが。つまり、今は子育てしづらい環境なわけで、もっと楽に子育てができる社会を創ってゆく必要があるということだ。でもその一方で、今現在ある社会の風潮、社会構造も問題と言えば問題なのかもしれないが。例えば女性の高学歴化による職場進出によってもたらされた女性の価値観の変化だとか。当たり前だがこれは女性が悪いということを示しているわけではない。では何なのか。どうして少子化がここまで進んできてしまったのだろう。イメージとして、子育ては大変だとか、養育費としてのお金がかかる、などということが聞かれるようになったこと。これも何かありそうだ。以前はどうだったのだろうか。養育費の問題。昔と比べて養育費が多くかかるようになったのはなぜなのか。本当に多くかかっているのかどうか。
わが国の少子化の問題はそのまま直結し、人口の減少につながる。人口が減少するとどうなるのか。就業人口そのものの現象をもたらし、それは経済規模の縮小につながるのではなかろうか。

そんな中、先日バイト先の重役の人と話をする機会があったので、訊いてみた。少子化が進んでいるが、子供を相手に展開する家庭教師派遣という商売はこれから先やっていけるのかと。
返ってきた答えとしては、凡そ次のとおり。
家庭教師の契約をする子供の数は全体の1%に過ぎず、毎年の減少幅は3%らしい。つまり100人中1人が契約するかどうかでやっていて、それが97人に1人になったところで、その差は微々たるものだと。…ほう。まぁ酒の席であったし、結構酔っていたみたいなので本心はわからないが。本当に微々たるものなのか?それは数年先、10年か20年先までならまだ解るが、このまま少子化のペースが上がれば確実に利益はなくなっていくのではなかろうか。その先は?50年後、100年後は?

…と考えると。

結局は…
皆、自分のことしか考えてないということだ。この国を動かしてる(ように見える?)あの政治家も。誰が100年後のことを考えようか。政策ってのは、今目の前にあることを優先して行わなければならないのは当然だ。しかし。でもそれに向き合っていればいいのだろうか。

優先順位。

確かにあるんだな。そんな先のこと考えたって…、なんて。どの問題に取り組むのか、自分の生活、人生に、直接関ってくる立場となれば、優先順位ってのは必然的に決まってきてしまう。それが、社会に出るってことだなんて、そう言う人も居るかもしれない。確かにそうかもしれないが。その優先順位ってものに縛られずに、フリーの、言わば「源泉かけ流し」の提言をすることが可能なのが、僕ら「学生」なのだ。

でも…なんか。この「かけ流し」の状態で居られるのもあとどのくらいなのだろうかって。考えるとすこし、悲しいというか、寂しいというか。

これは…ただのピーターパンなんだろうか。

こういった問題を考えていると、「学生」って立場を考えてしまう。あらゆる立場ってのがあるけれども。こんなことを考えていると、あの60年代、革命に燃えていた「彼ら」の、思想の是非は問えないが、気概くらいは少しわかるような気がするのだ。

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