本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:BS・TBS「THEナンバー2 明智光秀」を斬る!

2011年06月08日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 月曜日に放送されたBS・TBSの「THEナンバー2 歴史を動かした陰の主役たち」は明智光秀でした。TBSは地上波放送の「ザ・今夜はヒストリー」で本能寺の変を取り上げており、本能寺の変勃発の6月2日にあわせて、このテーマを取り上げているようです。
 とはいえ、「ザ・今夜はヒストリー」は悪書『明智軍記』の内容をゲスト解説者に加来耕三氏を起用して振り撒く結果に終わったことはブログに書いたとおりです。
 ★ TBS「ザ・今夜はヒストリー」を斬る!
 ★ TBS「ザ・今夜はヒストリー」を斬る!(続き)

 今回も同じような結果に終わるのではないかと危惧しつつも、若干の期待をもって見てみました。その結果は・・・・・・
 まことに悲惨なものに終わってしまいました。残念!!
 今回はゲスト解説者に津本陽氏井沢元彦氏を起用していましたが、軍記物と高柳説のオンパレードでした。怨恨説の因縁話、「敵は本能寺にあり」の光秀のせりふ、光秀が足利義昭と織田信長に同時に仕えていたという両属説、光秀謀反はその両属から起きた悲劇という説、光秀が朝倉義景に仕えていたという説、信長正室と光秀は従兄弟だったいう説、光秀が義昭を信長へ斡旋したという説、光秀が鉄砲の名手だったと言う説、美濃の城主の若殿で落城後に諸国を放浪したという説。
 そんな根拠のない話を題材にああでもないこうでもないと推論を展開してどうするのでしょうか?
 軍記物と歴史学界の権威者とが作り出してしまった定説がまたまた振り撒かれてしまいました。なげかわしい現実です。
 ★ 定説を作った高柳光寿氏『明智光秀』
 ★ 光秀は朝倉義景に仕えていない
 ★ 意図的に切られた『明智軍記』と『細川家記』の関連
 ★ 光秀はいきなり信長には仕えていない
 ★ 光秀は濃姫のいとこではない
 ★ 徳川家康は光秀討伐に動いていない
 ★ 穴山梅雪は一揆に殺されていない
 ★ 安土城放火犯は徳川家康
 ★ 歴史研究の方向を狂わせた高柳氏『明智光秀』 
 ★ 高柳氏『明智光秀』の呪縛
 ★ 本能寺の変研究を支配した羽柴秀吉の呪縛

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