AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

チームA、2ndシーズンの総括・その1

2006-08-18 23:59:16 | Weblog
 さて、2nd シーズンについての私なりの総括を述べておきたい。まずはセットリスト全体、およびシーズンを通したプロジェクト展開全体について。いつも言っている通り、このブログは「私には」こう見えた、「私が」こう感じた、ということを書いているだけなので、念のため。また、プロジェクトについて批判的なことも書くが、むやみに攻撃的な書き方をするつもりはないので、できればこのエントリの内容を理由に劇場出禁にはしないで欲しいところ(^_^;)。

 2nd ステージについては、私は楽曲や構成、演出などのさまざまな点で、非常に出来の良いセットリストだったと思っている。第一印象から最後まで、それは変わらない。ただ、メンバーによって出番の多少の差が大きかったことは、いろいろな副次的な影響を生んだとは思う。問題があったとすれば、それは出番の多少の差それ自体ではなく、「そうであるにも関わらずシャッフルが ( ほとんど ) なかったこと」と、そして「メジャーデビューへのロードマップが提示されなかったこと」ではないかと思っている。

 1st シーズンでは全体曲が多い上、ユニット曲への振り分けも偏りはさほど大きくなく、途中でのシャッフルもあった。それが 2nd シーズンに入って、これだけ参加ユニット数に差をつけたことは、全体として間違っていなかったと思っている。AKB48 はメジャーデビューに向けて切磋琢磨する場所であり、決して「みんな仲良く」だけでは済まない場所だ、ということを、改めて明確にしたからだ。

 しかし、では、どこでどう頑張れば、誰からどう評価されるのか、ということが、メンバーにとっては分かりにくかったのかも知れない、と想像している。もちろんステージの上の人たちが第一に評価を求めるべきは客であるはずだが、自分が遅れをとった局面から、先を行く仲間よりも少なくなった出番の中で挽回を図るということが、どれほど難しいか。その点で中盤以降「これでは努力のしようがない」という無力感を覚えていたメンバーもいたのではなかっただろうか。そういう意味で、もし大規模なシャッフルがあれば、2nd でのメンバー間での「序列」は、まだ逆転可能なものだ、という刺激になったと思うのだ。

 一方、出番の多かったトップグループについても、日々の公演で頑張る一方、取材対応なども他のメンバーより多かったはずだが、それがメジャーデビューに向けた道のりの中で、どういうプラス材料になっているのか、ということが、実感しにくかったのではないかと想像する。たくさんの出番の中で、自分を一推しにしてくれるファンがますます増えていくにも関わらず、日常の積み重ねを「手応え」として感じにくいという意味では、実は出番の少なかったメンバーと根本的には同質な悩みを抱えていたのかも知れないという気がする。

 結果として、2nd シーズンは 2nd CD 発売やテレビの有名音楽番組出演といった華々しい成果がありながら、以後は停滞ムードが漂い、終盤には逆風が吹き荒れ、チーム A 全体がチーム K に追い抜かれた、という話が ( かなり意図的な匂いがするけれども ) 喧伝され、暗雲垂れ込める雰囲気の中で千秋楽を迎えることになってしまった。それは私が昨年末に危惧していたように、
今後はむしろ「1 軍から落とされる」ことによってしか次の物語が出て来なくなってしまわないか。それってかなり残酷な物語の作り方のような気がするのだけれども。
という事態そのもの、だったように思えてならない。

 もっとも、こういったことを丸ごと全部含めて、2nd シーズンにおいては「メンバーに悩ませる」ことを狙っていたのだとしたら、かなり残酷な仕掛けだとは思うが、しかしその狙いは完璧に当たったということになる。まあこういうことを書くと「どうせお前はオフィシャルマンセーだから屁理屈をこねて結局は擁護するんだろ」などと言われるのは承知の上だが(笑)、考えられる可能性の一つということで。それに実は、アイドルとしてどうメジャーデビューへの道のりやチャンスをつかんで行くかを、メンバー個々に「考えさせなければ」ならないのではないか、ということは、私は 2nd シーズンの最初から言っていたことでもある。

 実際問題として、表現者に対する評価というものは、明確な基準で採点された結果が通信簿のように返ってくる種類のものではなく、どこにどう「やり甲斐」を見つけ、何 ( 誰、どこ ) からどう「評価」を受け取れば良いかということも、表現者が自ら見つけていかなければならないものなのだ。表現の技法は教えられても、表現者としてのマインドは教えられる種類のものではない。もちろん側面から支援はできるが、本質的には本人が表現者として育つ中で、自ら獲得して行くしかないものなのだ。

 そういう意味では、個々人があのセットリストの中で、自分の位置と役割をどう捉え、表現者として何を掴み取ったのか、ということが、総括すべきもう一つの側面として浮上して来ることになる。それはまた別のエントリにて。


2006-08-19 00:03 追記:エントリのタイトルを修正しました。
旧:2ndシーズンの総括・その1
新:チームA、2ndシーズンの総括・その1

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