1 日 3 回公演。ぜーたくだなあ。いや 1 日 3 回は見てないけど。正確には「今年は」まだ 1 日で 3 回見たことはない、ということで。
2005 年 12 月に 2 日間だけあった、今となってはほとんど伝説の 1 日 3 回公演だが、実際にあの時に 1 日で 3 回見たことがある人はどれくらいいるのだろう、という話になった。何の根拠もない推測だが、おそらく 2 日合わせて 10 人はいないだろう、という気がする。そして、今も劇場に来続けている人はさらに少ないだろう。ところが、今年初めて 1 日 3 回公演が行われた 2008 年の 3/20(休)、そういう人が 3、4 人は劇場にいたらしい。まあ人によって「一時離れていた」ってことはあるらしいけれど。
1 日 3 公演というのはメンバーの負担が非常に大きく、いろんな意味で心配ではあるのだけれど、基本的には各チームが 1 日おきなのが救いかなと思っている。いくら何でも 1 日 3 公演に挟まれた間の日に他の仕事入れるほど非人間的な事務所もなかろう、ということで。ただし、大堀恵さんが 3/23・24 の 2 日で 5 公演、倉持明日香さんが同じ 2 日で 4 公演という例もあるので、くれぐれも体調に気をつけてほしいところ。もっとも、めーたんは他のメンバーを引き立てるために年寄りぶっているけど、カフェ時代の激務を見ていると、意外と平気のような気もするけど。
めーたんのカフェ時代の話は、私が語って良いのかどうか、ちょっと迷う。めーたんがあのステージに立ちたくて立ちたくて仕方がないのに、おそらくはそれを口に出すことが許されなくて、でもその思いが端々に滲み出ていたあの時期、私はそういう姿を見るのがつらくて、カフェからは距離を置いていたからだ。でも、ここ数日の劇場でオーディション絡みの話が出たので、書いておくことにした。
当時のカフェっ娘には、オーディションを受けるつもりの子がいっぱいいた。オーディションの 2 次審査、そして最終審査が近づくにつれて、そういう子はカフェ勤務のシフトに入るペースが落ちた。副店長としてシフトを組んでいためーたんは、自分だってオーディションを受けているのに、他の子を休ませてあげて、代わりに自分がシフトに入り続けていた。だから一時、とんでもない激務になっていたのだ。
…という話を、私は故・ライダーから聞いたのだった。彼はカフェっ娘まで含めて、AKB48 劇場に夢を抱いて集まる人たちみんなが好きだった。カフェっ娘に粘着している人は当時からいたが、ライダーは変な粘着はしていなかった。彼らしいフレンドリーさで接していただけだ。それでいながら、彼ほど ( 当時の ) カフェっ娘たちが心許していた人は、そうそういなかったように思う。
めーたんに話を戻して、彼女はいつもそうやって、自分の身を削るようにして他の子をかばう人だった。そのめーたんが、ひまわり組になってから、他のメンバーをどれだけ支えてくれたか、特に研究生たちをいかに引き立て、ひまわり組の輪と和を作り上げてくれたか。そのことに思いをはせ、一人の劇場ファンとして深い感謝と敬意を捧げたい。
2005 年 12 月に 2 日間だけあった、今となってはほとんど伝説の 1 日 3 回公演だが、実際にあの時に 1 日で 3 回見たことがある人はどれくらいいるのだろう、という話になった。何の根拠もない推測だが、おそらく 2 日合わせて 10 人はいないだろう、という気がする。そして、今も劇場に来続けている人はさらに少ないだろう。ところが、今年初めて 1 日 3 回公演が行われた 2008 年の 3/20(休)、そういう人が 3、4 人は劇場にいたらしい。まあ人によって「一時離れていた」ってことはあるらしいけれど。
1 日 3 公演というのはメンバーの負担が非常に大きく、いろんな意味で心配ではあるのだけれど、基本的には各チームが 1 日おきなのが救いかなと思っている。いくら何でも 1 日 3 公演に挟まれた間の日に他の仕事入れるほど非人間的な事務所もなかろう、ということで。ただし、大堀恵さんが 3/23・24 の 2 日で 5 公演、倉持明日香さんが同じ 2 日で 4 公演という例もあるので、くれぐれも体調に気をつけてほしいところ。もっとも、めーたんは他のメンバーを引き立てるために年寄りぶっているけど、カフェ時代の激務を見ていると、意外と平気のような気もするけど。
めーたんのカフェ時代の話は、私が語って良いのかどうか、ちょっと迷う。めーたんがあのステージに立ちたくて立ちたくて仕方がないのに、おそらくはそれを口に出すことが許されなくて、でもその思いが端々に滲み出ていたあの時期、私はそういう姿を見るのがつらくて、カフェからは距離を置いていたからだ。でも、ここ数日の劇場でオーディション絡みの話が出たので、書いておくことにした。
当時のカフェっ娘には、オーディションを受けるつもりの子がいっぱいいた。オーディションの 2 次審査、そして最終審査が近づくにつれて、そういう子はカフェ勤務のシフトに入るペースが落ちた。副店長としてシフトを組んでいためーたんは、自分だってオーディションを受けているのに、他の子を休ませてあげて、代わりに自分がシフトに入り続けていた。だから一時、とんでもない激務になっていたのだ。
…という話を、私は故・ライダーから聞いたのだった。彼はカフェっ娘まで含めて、AKB48 劇場に夢を抱いて集まる人たちみんなが好きだった。カフェっ娘に粘着している人は当時からいたが、ライダーは変な粘着はしていなかった。彼らしいフレンドリーさで接していただけだ。それでいながら、彼ほど ( 当時の ) カフェっ娘たちが心許していた人は、そうそういなかったように思う。
めーたんに話を戻して、彼女はいつもそうやって、自分の身を削るようにして他の子をかばう人だった。そのめーたんが、ひまわり組になってから、他のメンバーをどれだけ支えてくれたか、特に研究生たちをいかに引き立て、ひまわり組の輪と和を作り上げてくれたか。そのことに思いをはせ、一人の劇場ファンとして深い感謝と敬意を捧げたい。