AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

あえてその人の名は語らず

2008-05-23 02:03:22 | Weblog
 AKB48 ってこういうもんだったよな、と思った。それが研究生公演を見て真っ先に、そして、最も強く感じたことだった。

 研究生と、助っ人の藤江さんを含めた 17 人全員に、それぞれのドラマがあったことと思う。研究生公演については、良い面も悪い面も含めて、いろいろと書きたいことはあるのだが、今夜のところは、その中から 1 人だけのことを語っておきたい。以下は「私が」感じたこと、「私の」妄想に過ぎないので、あえてその人の名前は語らずにおこうおこう。

 その人のことを、私はあまり良い印象で見ていなかった。B-3rd のバックダンサーに出ていても、A-re:4th のアンダーとして出ていても、客席から見られていると照れるのか、ステージの上にいながら、ニヤニヤ笑いをしたり、下を向いてしまったりすることがあまりにも多かった。A-re:4th の最初こそいくらか緊張した様子だったが、それも慣れが出始めると少しずつゆるんでいた。ステージに立つ人としての気持ちが、まるで出来ていないように、私には見えていた。

 でも、研究生公演では最初から目つきが違っていた。もちろん、やりがいがり、楽しいといったことはあるだろう。そういったことをすべて含みつつ、それだけではない何かが、彼女に力を与えたと思う。決してまだ、上手くはない。間違いもあったし、立ち位置の入れ替わりで動きが淀むような場面も見かけたし、後半はバテ気味なのが見え見えだった。それでもなお、この公演を通じて彼女自身に起きた何らかの変化を、客席は感じ取っていたと思う。そしておそらく、彼女自身もまた、その手応えを感じたに違いない。

 アンコール 3 曲め、最後の曲でもある「何て素敵な世界に生まれたのだろう」では、2 番の頭あたりから泣いてしまい、ろくに歌えていなかった。曲が終わる頃には大泣きしてしまっていた。でも、その涙を責めてはいけないと思う。その涙は、単なる感傷ではないからだ。彼女が初めて、本当の意味で「ステージの上に立つ人」になれた証だ。歌い踊ることを通じて表現してゆこうとする者として、生まれ変わった印だ。

 ステージに立って歌い踊ることの素晴らしさ、そしておそらく、そういう者として神に選ばれたことの意味を、全身で感じ取ったことだろう。そうして生まれ変わったようにも、目ざめたようにも感じられる心に、「何て素敵な世界に生まれたのだろう」という言葉が、その歌詞の一つ一つが、きっと何よりも深く染み透ったに違いない。だからこその涙だったのだ。その感激を、その情熱を封じてしまうことはない。少なくともこの日くらいは。

 おめでとう。この日こそが、あなたにとって、本当の「初日」になったのだ。この日を、その涙を、心に刻んで欲しい。これを原点として忘れないことが、これから先のあなたの力になるだろう。いつか迷った時、苦しい時にも、この日を、その涙を思い出すことが、きっとあなたに進むべき道を見つけさせてくれるだろう。

 そして、ありがとう。あなたにとっての、この素晴らしい日に立ち会えて、客席の私たちも、とても幸せだった。

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