おうどうもん(Oudoumon People of Hakata)

福岡周辺における祭りや四季の移ろいを・・・・・・

2019 厳冬の夜の寒禊ぎ (樽の中の冷水を浴び清めの儀式は終わる) 《福岡市東区志賀海神社》

2019年01月17日 06時31分20秒 | 日記

 

西の空に陽が落ちて冬の早い闇が訪れると、「ワッショイ・ワッショイ」と元気な声が志賀海神社の参道を駆け抜ける。

 子供達を含めた射手の若者達はふんどし姿で、市営渡船のある船着き場近くの海に向かうと冷たい海に体を沈めて禊ぎを行う。

それから仮宮まで走って戻ると、樽に入った真水を被りこの夜の禊ぎは終わる。


樽の前に一列に並んだふんどし姿の子供たちに向かって、容赦なく「すくい桶」で水が浴びせられる。

 沿道では厚着をした地元の人から、「ガンバレ・ガンバレー」の声がかかる。

樽の水も減ってくると前列に座った子供たちの頭に、樽の中に残った冷たい水が一気にぶちまかれる。

 取り巻く観客からは、同情とも歓声ともつかないどよめきが起る。

彼らはこれから神社にこもり、歩射祭の朝を迎える。


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2019  若者は寒中の海を渡りいざ沖津宮へ  《福岡市東区志賀海神社》

2019年01月16日 06時36分03秒 | 日記

 

胴結舞は30分程で終わった。勝馬にある沖津宮までの海を渡る寒みそぎは汐の状態で午後1時と聞いていた。

家まで帰ってまた勝馬に行くの、面倒なので志賀島で時間を潰した。

この日は小潮で満潮が午後1時ぐらいだった。

お昼頃に海を覗くと潮が高いなと思っていたが、暖をとるための焚火にもまだ火がついていない。

待つことしばし始まったのは午後2時過ぎ写真撮るのに待つのは慣れているが、わかっていれば本を持参したのだが。

この日は海が荒れることまなく冬にしては、風もなく暖かったので存分に波の音を楽しむことができた。

 

  歩射祭で射手を務める若者達は、胴結舞が終わると志賀島北端の勝馬にある沖津宮、中津宮に参拝をする。

現在の場所に鎮座する志賀海神社といわれている表津宮は、古来は勝馬の海岸からほど近い丘の上にあったといわれている。

現在でも、表津宮跡としてそれらしき案内が示してある。

  海岸から100m程沖合にある沖津宮目指し、冷たい冬の海を騎馬を組んで進んでいく。

島に渡った若者たちは、海に潜り神にささげるガラ藻といわれる海藻を探す。

リーダーの若者の許可が得られるまで、何度も潜って目的のガラ藻を探す。 

ガラ藻を手に入れると、ひときは大きな岩場でガラ藻を頭上にかざし「まいのうきしの ひめまつや」と唱え三度回る。

この一節は「舞のうの岸の姫松や」と古くより志賀島に伝承されているという。

これは、胴結舞で若者たちが仮宮で行う所作と同じである。

若さゆえなのか青年たちはいたって元気、しか、受け継がれたしきたりはまだ彼らに試練を与える。

  


2019志賀海神社 胴結舞(どいまい)3(100kgの重さを下から支え実感して)《福岡市東区志賀島》

2019年01月15日 06時39分48秒 | 日記

 

神社から200m程先の参道の横にある仮宮で、担ぎ手が代った胴結は参道を本宮のほうへと若者の肩で運ばれる。

歩射祭は人や家畜に害を加えていていた土蜘蛛を、安曇百足をはじめとする8人の射手が退治した事に由来するといわれている。

歩射祭に用いられる大的の後ろに、胴結が据え付けられ射手が放った矢を受ける。

歩射祭に射手として参加する若者の力試しの意味もあるといわれる、100㎏といわれる胴結締その下で支える若者がいる。

担い手が重さに耐えかねて胴結が下がると、下にいる若者が押しつぶされるのではとファインダーを覗きながら気をもむ。

ちょっとでも下がると、周りで様子をうかがうOBから「上げれ・上げれ」と声が飛び手が差し伸べられる。

無事に胴結舞は終わり笑顔の記念撮影、しかし若者達にはまだまだ試練が続く。


 

 

 


2019志賀海神社 胴結舞(どいまい)2(祭囃子が家並みに響き)《福岡市東区志賀島》

2019年01月14日 06時39分53秒 | 日記

 

夜半からの雨もあがり雲間から青空がのぞき、太陽の光が若者たちの白装束を一艘照らしていた。

神社から仮宮までの漁師町の家並みを、囃子方の笛や太鼓と独特の節回しの唄とともに胴結締が行く。

重さ約100kgもある的俵を背負い若者たちは200mの参道を歩く。

肩に食い込む重さのためか顔が苦悶にゆがむ、俵を抱え上げようと白装束の若者達が体で手で支える。

沿道かからも「ガンバレーー・ガンバレー」の声援と、「回せ回せ・上げろ上げろ」とOB達の叱咤の声と手が差し伸べられる。

胴結締は若者たちの有り余る力で、右へ左へと蛇行しながら狭い通りを進み動きに合わせるように祭囃子が調子を上げる。

 

 


2019志賀海神社 胴結舞(どいまい)(青年は100kgの的を背負い歩く)《福岡市東区志賀島》

2019年01月13日 11時14分52秒 | 日記

 

前夜から雨が降り続いていた。あまり降るようだと中止になるだろうと思ってベッドに入った。

次の朝カーテン越しに覗く空は、かすかに日が差し雨も上がっていた。

年末から体調がすぐれず、カメラを持ち出すこともなかった。

行って来いよというように雨も上がったので、久々にカメラバックにカメラを詰め込んんだ。

 

日本の創成期の時代、日本近海から朝鮮、中国をまたにかけた航海術を持って活躍したといわれている安曇族。

彼らの拠点といわれる福岡市東区志賀島、かってはこの島に多く安曇という姓が残っていた。

古より志賀島の民の信仰をよりどころとした志賀海神社で、正月の15日に近い日曜日に歩射祭が行われる。

これは安曇百足(あずみももたり)の、土蜘蛛退治に由来するといわれ病魔退散、五穀豊穣を願う祭事であるという。

 胴結締は弓の練習に用いられる俵のことで、これを歩射祭の前日に射手になる若者が、参道を200m担いで大人になった証を見せる。

 担ぐのは15歳位の若者が多く、白装束に白足袋姿のいでたちで臨む。

およそ100kgの重さの胴結を一人の少年が、首からダイダイを紐でつないだものをぶら下げ背負う。

 残りの青年がこれを支え、笛や太鼓のお囃子に合わせ道中歌を歌いながら参道を歩く。

今年は、13日に行なわれる歩射祭の前日の12日に胴結舞が行われた。