「これは夜の物音である。しかし、そういう音よりももっと恐ろしいものがある。それは静けさだ。大きな火事のときにも、同じようにひっそりとして緊張の極に達する瞬間がときどきあるようだ。ポンプの噴出がやみ、消防夫ははしごをのぼるのをやめ、だれもが息をひそめてたたずんでいる。頭上の黒い蛇腹(じゃばら)が音もなくせり出し、高い壁が、立ちのぼる火柱の前で黒々と音もなく倒れ始める。だれも息をひそめ、首をちぢめ、仰向いて目をむきながら立ち、すさまじい結末を待っている。この都会の静けさはそれに似た静けさである。」
(リルケ著・望月市恵訳『マルテの手記』1946年1月20日第1刷発行、1982年3月10日第34刷発行、岩波文庫、9頁より)
(リルケ著・望月市恵訳『マルテの手記』1946年1月20日第1刷発行、1982年3月10日第34刷発行、岩波文庫、9頁より)