たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

冬の雨は冷たい

2019年12月26日 22時55分55秒 | 日記
 昨夜もなんとか眠剤で6時間ほどの睡眠を確保。弟は今週また休みのようす、昨夜も1時半頃に帰ってきました。就寝前お手洗いにいったので鉢合わせ、また怒られました。洗濯ネットを投げつけられて半年、極力顔を合わせないようにしています。顔を合わせるときは怒られるとき。荷物をさっと片付けて知らない間にひっそりと家を出て二度と戻らないようにできるとかっこいいですが残念ながらまだ荷物いっぱいでトランクひとつでひっそりと去るわけにはいかずです。次に家を出たら戻ることはない、家財処分して解体するお金を出せないかわりに土地が売れたとき入ってくるお金もいらない、弟が死んでも知らないかわりに、わたしが死んでもかまわないでほしい、ローズサークルとか弔ってくれる仲間をみつけたい、などなど朝からつらつらと頭の中をかけめぐった冬の朝、自転車をとめようとしたら爆音たてた大型二輪がはいってきてびっくり、今日もまた家から最寄り駅までの間だけでなんどもなんども怒りが爆発したつらい冬の朝。自分の中にまた怒りの感情がふきだまっていることに気づき、自分で自分の感情をもてあまし気味。大会社で13年間働いていた間と祖その後労働紛争でつもり続けた怒りの感情は結局溶けきれないまま吹きだまっているということなのか。怒りと不満を募らせて毎日毎日汚い言葉をきいているうちにまた再燃してしまったということなのか。なんだか不思議なほんとによくない場所、いろいろと勉強にはなったけれどもういい、もういいけどまだあって明日は年内最後の電話当番。五日間フルはきついので少し時間給とろうかと思っていたけど弟が休んでいる様子なのでやめた。1月から人が減ってさらに大変になるとか内心どうでもいい、仕事内容わかっていない役職者にかわってシフトまで決めていて実質権限をにぎっているみたいな女性職員たち、すごいね、なんとも不思議な雰囲気、人のやったことを漁って間違いをみつけては不満と怒りを募らせていて、助け合っているのか足を引っ張り合っているのか、どっちなのだろう。間違いを指摘されることに敏感になっている空気がいやでたまらない。誰が間違えたかがすごく重要でそれは自分ではないとかの主張がすごい。その空気に染まりたくない、染まらないように自覚したい。

 明日はさらに気温がさがって雨の予報、朝駅に向かうときふらないでほしい、それだけ。自分はいったい何をもがいているのか、何のためにこの世に生まれてきたのか、そんなことを考えても仕方ない。生まれてきてしまった。生きていてよかったと思える瞬間に出会うために生きている、それでいいじゃないか。今わかっていることは母と妹が精神を病んだ家にいるのはよくないということ、主治医の言ったとおりだった。残念だけど住まない方がいい、住めないとわかった。ほとんど歩いていないけど自転車でテーボーがきつくて足腰へろへろ。あと一日。休みに入ったら年内断捨離のことしか考えられない。その前に明日か、つらいな。

 今夜11時45分から思い出の『霧深きエルベのほとり』放送。テレビの見方忘れてしまいました。全部は無理だけどみようかな・・・。