今宵も、宇多田ヒカルさん。今宵は「花束を君に」。
http://www.utadahikaru.jp/lyric/もご参照くださいね。
この歌は、「母親讃歌」なのでしょうけれども、それをそのままいったのでは、「エリクソンの心理学をベースに…」と謳うこのブログでは、物足りませんでしょ。
「花束を君に」の歌詞を上のURLでご確認していただければ、お分かりのことと思いますが、
愛しい「お母さん」に、「花束を贈ろう」と謳う歌は、母親に対する感謝が前面に出ています。それは、「楽しいことばかり」ではなく、「苦労や淋しみ」を数知れず味わいながら、自分を育ててくれたからでしょうね。
でも、それだけじゃ、ありませんよね。
それは冒頭に出てきますね。「忘れえぬ約束」…。これは、このブログの熱心な読者ならば、すでにご存知でしょうけれども、初めての方もおられるでしょうから、一応お話しますね。漠然と「こころ」と言いますけれども、ヨーロッパの昔には、「こころ」と言えば、「良心」だったんです。「意識」と言う言葉は、近代の産物です。しかも、「無意識」が「発見」されて、余計意識されるようになったものです。さて、その「良心」、「意識」ですが、これは英語では、それぞれ、conscience カンシャンス, consciousness カンシャスネス ですね。これは、ギリシア語まで遡りますとね、συνείδησις シュネーデシス、となります。これは、συν 共に+ εἶδον(όρῶの第2アオリスト)見る、という意味です。英語の方も「共に見る」、「共に見通す」という意味です。「共に見通す」ということは、言葉を変えれば、「約束する」ということでしょ。ですから、こころ、良心は、「約束」を前提にしていることが、言葉の上からも解かりますね。
ちょっと、くどかったですかね。
宇多田ヒカルさんの「花束を君に」も、その「約束」が「「忘れえぬ約束」として出てきますでしょ。この約束は、大切に守ってくれたればこそ、「忘れえぬ約束」なのですね。そして、繰り返し「約束」を大切にしてくれる人の心こそ、「真実」であり、その「約束」を介した、宇多田ヒカルさんとお母さんの関係も「真実」になる訳です。
そして、この「真実」はギリシア語では、πίστις ピスティスです。そして、この
πίστις ビスティスは、同時に、「信頼」という意味もあります。
つまり、
「約束」にピスティス「真実」であると、母子関係もピスティス「真実」になりますから、その赤ちゃんにもピスティス「信頼」が芽生える
ということですよ。
宇多田ヒカルさんの「花束を君に」も、このピスティスを歌っている、と考えて、間違いない、と私は強く感じます。
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