エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

宇多田ヒカルさんの、約束と真実

2016-10-16 04:26:52 | 間奏曲

 

 
愛着障害のいろんな治療法
   矢内原忠雄の「子供について」  矢内原忠雄先生の晩年の小論の「子供について」があります。私が西村秀夫先生の「聖書を学ぶ会」に参加を許されて間もなく......
 

 今宵も、宇多田ヒカルさん。今宵は「花束を君に」。

 http://www.utadahikaru.jp/lyric/もご参照くださいね。

 この歌は、「母親讃歌」なのでしょうけれども、それをそのままいったのでは、「エリクソンの心理学をベースに…」と謳うこのブログでは、物足りませんでしょ。

 「花束を君に」の歌詞を上のURLでご確認していただければ、お分かりのことと思いますが、

 愛しい「お母さん」に、「花束を贈ろう」と謳う歌は、母親に対する感謝が前面に出ています。それは、「楽しいことばかり」ではなく、「苦労や淋しみ」を数知れず味わいながら、自分を育ててくれたからでしょうね。

 でも、それだけじゃ、ありませんよね。

 それは冒頭に出てきますね。「忘れえぬ約束」…。これは、このブログの熱心な読者ならば、すでにご存知でしょうけれども、初めての方もおられるでしょうから、一応お話しますね。漠然と「こころ」と言いますけれども、ヨーロッパの昔には、「こころ」と言えば、「良心」だったんです。「意識」と言う言葉は、近代の産物です。しかも、「無意識」が「発見」されて、余計意識されるようになったものです。さて、その「良心」、「意識」ですが、これは英語では、それぞれ、conscience カンシャンス, consciousness カンシャスネス ですね。これは、ギリシア語まで遡りますとね、συνείδησις シュネーデシス、となります。これは、συν 共に+ εδον(όρの第2アオリスト)見る、という意味です。英語の方も「共に見る」、「共に見通す」という意味です。「共に見通す」ということは、言葉を変えれば、「約束する」ということでしょ。ですから、こころ、良心は、「約束」を前提にしていることが、言葉の上からも解かりますね。

 ちょっと、くどかったですかね。

 宇多田ヒカルさんの「花束を君に」も、その「約束」が「「忘れえぬ約束」として出てきますでしょ。この約束は、大切に守ってくれたればこそ、「忘れえぬ約束」なのですね。そして、繰り返し「約束」を大切にしてくれる人の心こそ、「真実」であり、その「約束」を介した、宇多田ヒカルさんとお母さんの関係も「真実」になる訳です。

 そして、この「真実」はギリシア語では、πίστις ピスティスです。そして、この

πίστις ビスティスは、同時に、「信頼」という意味もあります。

 つまり、

「約束」にピスティス「真実」であると、母子関係もピスティス「真実」になりますから、その赤ちゃんにもピスティス「信頼」が芽生える

 ということですよ。

 宇多田ヒカルさんの「花束を君に」も、このピスティスを歌っている、と考えて、間違いない、と私は強く感じます。

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