精神分析の場が、お互いに顔を見せないという、視覚の穴を作って、かえって、赤ちゃんの時にお母さんと癒しのやり取りをできなかった時の、恐怖や恥しい怒りを投影することを誘い出す、というのは、実によくできた設定ですね。
次に、私が伺った夢の中で一番短い夢のことを申し上げましょう。私が数年ぶりにその夢を思い出したのは、一番短い臨床的なデータが、いかにして、車輪の軸の様に、たくさんな意味が集まったものかを証明することができる、とその夢が示しているからです。それは、ある若い女性が話してくれた初回夢でした。その若い女性は、ドイツ語を話す人でしたが、ラテン語由来のいくつかの言葉にも精通していたのですが、彼女の報告は、半ば内気、半ば、私が「その夢」をどう料理するのかな、と私に挑戦する感じでした。その夢は、暗い背景の中に、S[E]INEという言葉が明るく浮かび上がる、というだけの夢でした。最初のEはカッコに入っていました。この言葉全体は、パリを流れる川を言い表すことは明らかでした。実際、その若い女性の患者が、広場恐怖症に見舞われたのは、パリで、しかも、ルーブルを離れる時でした。彼女は広場恐怖症のために、この時、分析にやってきたのでした。しかし、たとえ彼女がルーブルで不安になるような絵を見ていたとしても、彼女はその絵を覚えていなかったのです。そして、実際問題、その種の彼女の夢が示しているのは、あまりにも鮮やかに、ネオンライトの中に、彼女の心の闇の部分に対応していた文字を見た、ということです。それは多分、ある種の健忘症でしょう。しかし、この文字は何を表しているのか?1つの単語に隠れたパズルであるように感じられました。ドイツ語で「見ること」は、sehenですが、フランス語では、「Seine セーヌ川」と発音されることが多い単語です。そうです、私どもは「セーヌのほとりで見た」のでした。しかし、seineとなれば、ドイツ語では、「かれの his」を意味する単語です。さらには、もしカッコをすれば、「それなしで」を意味するsineというラテン語の単語もあります。これらを一緒にすると、この単語のパズルが示していると思われるのは、「私は、セーヌのほとりで、何か大事なものがない誰かを見た」ということです。彼女に自由連想をしているうちに、回り道をしている時に、その患者は、自分がかなりの衝撃を受けた一幅の絵をとうとう思い出しました。それは、「キリストの割礼」という絵でした。
短い夢でも、これだけの奥行きのあることが分かるのは、実に不思議なことですね。
夢は多義的なのですね。しかも、ちゃ~んと、物語、ストーリーがあります。エリクソンの読みは見事ですが、結局、この若い女性の患者が、自由連想などをしながら、夢をエリクソンに語っている内に、自らそのストーリーを語ったのだと思います。エリクソンは、この本を書く段になって、その夢のストーリーが実に鮮やかだったので、ここで思い出して、記しているのでしょう。私はそう感じますね。
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