エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考 : #憲法違反法律違反の毎日  #感覚マヒ #ヘッチャラ #戦争はウソの塊

2017-06-29 06:10:02 | 間奏曲

 

 

 

 

 
発達トラウマ障害(DTD)という診断基準は、信頼性も検証済み
    知恵の子  遊びは芸術品   目の前にいると同時に、心の中にもいる子ども  遊びには、一級の芸術を創造す...>続きを読む  「知恵の子」と......
 

 私が一番好きな哲学者,加藤周一さんは,「戦争はウソの塊」といっていました。今のニッポンで,ウソとゴマカシがこれだけ蔓延しているということは,「もう戦争が始まっている」,と考えた方がいいのかもしれませんね。

 防衛大臣が,「自衛隊も自民党候補を応援している」という類の演説をしてしまったといいますでしょ。法律では,「公務員は不偏不党」,「公務員は全体の奉仕者」となっています。だけど,日ごろから,法はもとより,憲法まで蔑ろにして破っていて,順法精神,コンプライアンスのかけらもないこと,法律破り,憲法違反を,毎日毎日実際にはやってんです。だから,いつの間にか,憲法は実現するもの,法律は守るもの,という感覚がマヒしてきます。習慣って恐ろしいですね

 今回は,あの防衛大臣も,毎日やっていることがついつい口をついて出た。だって,毎日,法律違反,憲法違反をやってんですから。そして,ウソとゴマカシで,それを隠してんですから。防衛大臣が,防衛省から出てきた姿をテレビで見ましたけれども,「ヘッチャラ」と顔に書いてましたもんね。

 私どもがすべきことは決まってますね。

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聖書の言葉:  #アーマン #神様を信頼すること= #自分を確かにする

2017-06-29 03:06:40 | 聖書の言葉から

 

 

 

 

 
自分の言葉を持つこと
    ルターは動的受動態  眼のキラキラは、うつります。 お母さんが気前がいいと、その子どもも気前が良い。 気前の良さも、うつります。 大事なとこ......
 

 今宵の聖書の言葉は,アーマン,ヘブライ語です。

 この言葉は,『旧約聖書』の最初「創世記」の第15章6節に出て来るそうです。

アブラムは主を信じた

 

 雨宮慧先生によれば,これを逐語訳で翻訳すると,次のようになります。

「彼(アブラム)は 自分を確かにした 主において」

 

 さっきのエリクソンの誤訳だらけの翻訳とは異なり,こちらは何とクリアーなんでしょうか。この「自分を確かにした」が,今宵の聖書の言葉,アーマンになります。つまり,信頼しているのに,自分がフラフラ,フワフワしていたら,それは,本当は神様を信頼していることにはならない,ということです。神様を信頼すること=自分を確かにする なんです。

 

 お気づきでしょうか? 何が?

 

 そう,エリクソンが「アイデンティティー」と呼んだものは,このヘブライ語の『アーマン』 英語の「アーメンなんですね。

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#治療の根本原理がエリクソンと一緒

2017-06-29 02:15:31 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

  発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は収入によっていろいろです。世帯所得によって,ワンセッション500円(家庭保護世帯,母親のひとり親世帯など)~

 
態度で示す優しさや励まし それと、カタストロフィー
    遊びが礼拝になる  生真面目が好きな方には、陽気で楽しくは、不人気かもしれません。でも、陽気で楽しいは、うつるし、子どもを肯定することになる......
 

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.307,第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 たいていの人は,苦痛を味わされた過去やガッカリさせられたことに舞い戻ることを躊躇してしまうものですね。耐えられないことを思い出すだけだ,というわけでしょ。でもね,そういう人でも,人に鏡になってもらい≪共に見る≫証人になってもらえたら,新しい現実が形作られてきますよね。ドンピシャリに鏡になってもらうことは,相手にされずにいたり,ひどい言葉をぶつけられたり,「静かに」と言われ押さえつけられたりする体験とは全く違った感じがします。ドンピシャリに鏡になってもらうと,自分が感じていることは感じて善いんだぁ,自分が知っていることを知っていていいんだぁと許された感じがしますから。これが,発達トラウマ障害(DTD)から回復するときに欠かせない根本になります。

 

 

 

 

 

 実にエリクソンと同じでしょ。≪共に≫ワークショップで生活劇をして,≪共に見る≫と,発達トラウマ障害(DTD)から回復するという,本人の≪利益になる≫ことが生まれてくるものです。

 

 

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エリクソンの叡智: #臨床研究の視点  #誤訳と無理解の山脈改訳本は真理と学問に対する冒涜だ

2017-06-29 01:24:36 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

   発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は収入によっていろいろです。世帯所得によって,ワンセッション500円(家庭保護世帯,母親のひとり親世帯など)~

 
インターメッツォ : ほんとうの教育
    知恵の子  遊びは芸術品   目の前にいると同時に、心の中にもいる子ども  遊びには、一級の芸術を創造す...>続きを読む  「知恵の子」と......
 

  最近ですと,当ブログは,エリクソンに関心がある人よりも,発達トラウマ障害(DTD)に関心がある人が多いみたいです。でも,発達トラウマ障害(DTD)のセラピーは,私は基本的にエリクソンのライフサイクル心理学をベースにやってきて,相当うまくいってますよ。第一,ヴァン・デ・コーク教授が推奨する,発達トラウマ障害(DTD)に対する正しいかかわりの基本,「陽気で楽しい,やり取りのある関わり」は,実はエリクソンに学んだのではないか,とわたくしは考えているくらいですから。

   今宵のエリクソンは、Insight and Responsibility 『自分を内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますから、相手の気持ちに応答できますから』の、p.229. 第2パラグラフの3行目。おそらく,この本の中で一番大事な論文,と思われる「ゴールデンルール(黄金律)」に関する論文にも,改訳版が,決定的に大きな無理解を示し,その無理解に基づく誤訳をしているのは,見過ごしがたく,ここにそれを示しておきます。

 まずは,私の翻訳です。

 

 

 

 

 

 生き物を対象とする科学的研究は,死んでいるものを選ぶのではなく,現在進行形で,≪いまここ≫を,生きているいのちを研究するのに相応しい概念と方法論を用いなくてはなりませんでしょ。私はそれについて、常々次の様に申し上げてきました。すなわち,「相手が物であれば,その物の特質(あるいは,本質)を研究する研究は,その物に≪対して≫何かをすればできることですが≪いまここ≫を生きている生き物に不可欠な特質について,何某か大事なことが現実に学べるのは,その≪いまここ≫を生きている生き物と≪共に≫何か大切なことをしたり,その≪いまここ≫を生きている生き物の≪利益になる≫大切なことをしたりする場合だけです」ということなんですよ。これこそが,臨床研究の根本原則です。

 

 

 

 

以上です。

ところが,これが翻訳本になりますと,次のように歪められてしまいます。ちなみに,46年前の翻訳と,昨年出た改訳とでは,語順と活字以外は,変化がありません。改訳では次のようになります。

「生物体に対する科学的研究は自然淘汰されるものに対するものだけでなく,現在生きて生活しているものについての研究にも,ふさわしい概念と方法でなくてはならない。私はこのことについて,次のように言ったことがある。もののもつ特性を,そのものに対して(to),何か操作を加えて研究することができる。しかし,生命体の本質について学ぶには,何かをすることによって生命体に参加する(with)か,それらに役に立つために(for),何かをするかによってしか研究をすることができない,と。これは臨床科学の原則である。」

 

 

 

 おそらく,「操作的概念」だとか,「参加観察」という,一般的な科学用語が翻訳者の頭をよぎったと思います。でも「生命体に参加する」って,どういうことかわかりますか? 「参加観察」という言葉を知っている人も、オボロゲにしか、わかりませんでしょ。

 私は,この翻訳者が「臨床家としてのエリクソンの真髄」が,全くわかっていないことが、この翻訳で分かりましたね。

 エリクソンの臨床の基本は1)≪いまここ≫で,子どもと≪共に≫遊ぶ中で,2)≪共に見通す≫,≪陽気で楽しいやり取り≫を繰り返すと,3)その子どもの≪利益になる≫ことができる,というものです。これが,エリクソンの臨床と,臨床研究の根本原理ですが,80を過ぎても,この翻訳者は,エリクソンが実践してきた,この臨床の根本原理,真髄が、クリアーには、わからないもんだから,なんだか、ボヤッとした翻訳に歪められてしまっているわけです。

 ですから,この改訳版読まないことをお勧めします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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