東京新聞の森耕一記者の記事【三重・芦浜原発「白紙」の舞台裏 北川元知事、18年前を振り返る】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122502000136.html)。
《知事は、原発建設に同意を求められる立場。推進と決めれば全力で進めるつもりだった。だが、現地で目にしたのは、昔から支え合って暮らしてきたはずの漁村で、家族でも原発への賛否が分かれると口もきかなくなるような殺伐とした状況だった。「県がこのまま原発を進めれば、地域破壊がさらに進み、住民を苦しめ続ける。権力がそこまでしていいのか」。悩んだ末、推進は困難との思いに傾いた》。
『●戦争と原発: 伊丹万作さん「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」』
《「原発」と「戦争」を同列に論じるのは、乱暴かもしれない。だが、
「芦浜原発」阻止を訴える詩を残した錦米次郎(よねじろう)には、
重なり合って見えたに違いない》
《錦は「芦浜原発」の立地計画があった南伊勢町と大紀町境の予定地に
自ら足を踏み入れ、漁民たちから話を聞いた。誰もが受ける電気の
恩恵のために、なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか。
漁民の生活はどうなるのか。建設の先に錦が見たのは、
戦場と同じ犠牲だったのだろう。
80年前、この国は満州事変を起こし、破滅の道を突き進むように
15年近く戦争を続けた。「大東亜共栄圏」「五族共和」「自存自衛の
ための聖戦」。大多数の国民が信じた。錦自身も
「国家の絶対を疑わなかった」と戦後に書き残した。
錦の言葉に考えをめぐらせながら、映画監督の故・伊丹万作が
終戦翌年に書いた「戦争責任者の問題」という一文を思い出した》
『●立ち止まるなら今・・・「原発政策を福島第一原発事故以前に
先祖返りさせたのが自民党安倍政権」』
《■祝島の閧いは終わらない一政府、中国電力の非道 …
また山口県知事は地元出身の安倍政権にこびているのか、
煮え切らない態度を崩さない。このまま生殺し状態を続け、
祝島の人たちの自滅を狙っているのか。芦浜原発建設計画を
白紙撤回した当時の北川正恭三重県知事の英断に倣ってはどうか。
北川知事はJCO臨界事故の直後、2000年の年頭に、その決断をした》
《なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか》? 核発電「麻薬」中毒者らの暴走を、県知事は止めることが出来る。…でも、鹿児島県で挫折し、新潟県でも先行きが見えない。核発電輸出が頓挫し、脱核発電が世界の流れ。なのに、東京電力核発電人災を経験したニッポンでは、中毒患者の暴走が止まらない。
『●《余ると分かっている電力を、なぜ原発で作り続けるのか?》
核発電「麻薬」中毒なアベ様に忖度する九電』
『●《地球温暖化対策を名目に、経済産業省が新たな小型原発の開発》
…「海暖め装置」でホントに温暖化防止?』
『●「これまで東電に、8兆4000億円を超える税金が投入…
でもって今、東電は巨大な利益を上げている…」』
『●《経団連を引き連れての俯瞰する外交の破綻》…
日立製作所も断念、アベ様による原発輸出が《全て暗礁》…』
重ねて、《北川さんは「決断が正しいか確信はなかった」。迷いが大きかったからこそ地元の声を聞き、県議会とのやりとりで環境を整えた。国との衝突は、沖縄の米軍基地問題と重なる。「安倍政権は喜んで権力を振りかざしている。政治は手続きをおろそかにしてはいけない」と話す》。
《権力者はその行使に抑制的でなければ》なんて謙虚さは何処にも無し。アベ様は《喜んで権力を振りかざしている》…その典型が、沖縄での辺野古破壊。
『●2018年12月14日、「美ら海」に土砂投入…
辺野古を破壊して巨大な新基地が恒久的に沖縄を占領…』
『●辺野古破壊のために美ら海に土砂投入…
その翌日も現地で抗議が続く中、アベ様はのんびりとゴルフを満喫』
『●破壊「損」な美ら海への土砂投入…「2019年2月までの
米軍普天間飛行場の運用停止」をやってみせよ!』
『●【政界地獄耳/問答無用の自治破壊実行する政府の怖さ】
《民意も海に埋める》…民主主義国家がやること?』
『●《『日本を取り戻す』の中に沖縄は入っていな》かった、
そして今《国民のうちに沖縄は入っているのか》?』
『●《ルールを守》っていない代表格は、民主主義を破壊する
「選挙妨害を暴力団に発注する」人・アベ様』
「そして今、アベ様や最低の官房長官らは、沖縄でもデタラメを
繰り広げている。一方、故《翁長雄志さん「保守は保守でも自分は
沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖》
だった。どこぞの《保身》ならぬ「ホシュ」とは大違いだった。
《まっとうな保守政治家は野党にいた》、そして沖縄にも」
『●辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、
普天間にない巨大で多様な機能を備えた一大戦争拠点…》』
「辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、普天間にない巨大で
多様な機能を備えた一大戦争拠点…》が新たに建設される。
せめてもの普天間の機能停止・返還もあり得ず、しかも、那覇空港を
ヨコセ!、という。軟弱地盤の泥沼で、ドブガネも嵩み、いつまでたっても
辺野古破壊は止まず。「いじめ」どころの話ではない」
『●三上智恵さん《埋められていくのは、辺野古の海だけではない。
この国の未来…助けを求める、あなたの声》』
『●巨大新基地建設による辺野古破壊…
プーチン氏に《主権を行使できていない実例》と指摘されてしまう始末』
『●「在日米軍特権」「日米地位協定」「日米合同委員会」…
《米国の言うことを聞くお友達は日本だけ》』
==================================================================================
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122502000136.html】
三重・芦浜原発「白紙」の舞台裏 北川元知事、18年前を振り返る
2018年12月25日 朝刊
(原発建設の計画があった芦浜地区。自然豊かな環境が残る
=三重県大紀町で、本社ヘリ「まなづる」から)
十八年前、知事の決断で原発計画が異例の撤回に追い込まれた。三重県沿岸の中部電力芦浜原発計画は三十七年間、住民が賛否二分に割れた争いを経て、当時の北川正恭知事が二〇〇〇年に「白紙」表明した。今も各地の原発や沖縄の米軍基地を巡って国策の進め方が問われる中、北川さんは賛成、反対派と国の狭間(はざま)で悩んだ末、結論を出した。「権力者はその行使に抑制的でなければと考えた」と振り返る。(森耕一)
知事就任の一九九五年当時、県職員も中電と歩調を合わせ、反対の漁師らを説得していた。計画地の南島町(現南伊勢町)は、反対が圧倒的。中電は海洋調査のための漁業補償金二億円を漁協に前払いするなどして反対派を賛成に変え、対立は泥沼化していた。
「県が、住民にゴールのないマラソンをさせることに加担した。決着させねば」。九九年十一月、初めて現地入り。賛成、反対派の話を聞いた。反対の主婦は「子どもが転んで泣いても、親が推進か反対かを確かめられる」と声を詰まらせて、地域の人間関係が原発計画で壊されていることを訴えた。賛成派は「疲弊する漁村に原発の灯を」と涙ながらに求めた。
二〇〇〇年に入り、ごく数人の職員を招集。「県庁に遅くまで残ると記者に知られる。漏れれば大混乱となる」。四キロ離れた県立看護大の学長室などでひそかに議論した。
知事は、原発建設に同意を求められる立場。推進と決めれば全力で進めるつもりだった。だが、現地で目にしたのは、昔から支え合って暮らしてきたはずの漁村で、家族でも原発への賛否が分かれると口もきかなくなるような殺伐とした状況だった。「県がこのまま原発を進めれば、地域破壊がさらに進み、住民を苦しめ続ける。権力がそこまでしていいのか」。悩んだ末、推進は困難との思いに傾いた。ただ、国に真っ向から歯向かえばあつれきを生む。悩んで生み出したのが「白紙に戻す」だった。
当時、バブル崩壊後の電力需要低下で原発新設は急減。「中電は長年の地元工作に金を使い、疲弊している」との情報を研究者から得ていたことにも背中を押された。「白紙と言えば一気に緊張の糸は切れる」。読み通り、〇〇年二月に県議会で白紙表明すると、中電は芦浜断念を決定。半年後、自民党の閣僚から「よく決断してくれた」との言葉も。誰もが無理と思っていながら、止められなかったからだ。
北川さんは「決断が正しいか確信はなかった」。迷いが大きかったからこそ地元の声を聞き、県議会とのやりとりで環境を整えた。国との衝突は、沖縄の米軍基地問題と重なる。「安倍政権は喜んで権力を振りかざしている。政治は手続きをおろそかにしてはいけない」と話す。
<芦浜原発計画> 1963(昭和38)年、中部電力は熊野灘沿岸での立地計画を発表し、三重県南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる芦浜が候補地に。66年に反対派の漁師30人が国会議員の視察を妨害し逮捕。67~84年に計画は休止状態だったが、84年に県が原発予算を計上し85年には県議会が推進を決議。90年代に入ると南島町の古和浦漁協で、反対派と賛成派が漁協総会を舞台に衝突を繰り返す。2000年2月、北川知事が県議会で「住民の同意と協力が得られている状態とは言い難い」と表明し、計画は撤回された。
==================================================================================