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●アベ様に白紙委任を勘違いさせてはいけない:「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数に…

2015年11月29日 00時00分56秒 | Weblog


東京新聞の社説【週のはじめに考える 多数決がのし歩いては】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html)と、
LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の、ちょっと昔の記事【安倍晋三と橋下徹の“独裁者コンビ”が持ち出す「民意」「多数決」の論理を疑え!】(http://lite-ra.com/2015/05/post-1104.html)。
 

 《安全保障関連法の強行可決にみられるように、国会ではますます「数の論理」が幅をきかせていますでも、多数決は本当に万能なのでしょうか……みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数になってしまいました……実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」に出てきます》。
 《戦後日本の国家のありようを180度転換する集団的自衛権の容認を閣議で決定し、さらに安全保障関連法案(戦争法案)を数に任せてゴリ押し可決しようとしている安倍晋三。そして、阪都構想という何の具体性もないデタラメな計画を住民投票にかけて、大阪市民から白紙委任を引き出そうとしている橋下徹──。二人に共通しているのは「選挙に勝ち、多数決で『民意』を得た者がすべてを白紙委任され、独裁的に物事を進められる」というきわめて単純かつ一面的な、民主主義理解だ》。


 アベ様は「白紙委任」だと誤解している。多くの心ある市民はアベ様に「白紙委任」など託すわけがないし、絶対得票率からも、二重の意味でアベ様は誤解している。《絶対得票率小選挙区で24・4%、比例代表では16・9%にしかすぎない……全有権者の二割程度しか支持していない》にもかかわらず、「白紙委任」と嘯く。あるいは、誤解したフリをしている。それを許した、自民党支持者や、「積極的平和主義」を愛する公明党支持者たちの罪もあまりに深い。
 《弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」》……「白紙委任」と憲法と、そして、「憲法くん」。

   『●松元ヒロさん「憲法くん」は語る
    《「だけど丸投げで頼むわけじゃない。
     頼まれたから何でもできると思って
     戦争なんか始めちゃダメだよ。そのために、
     憲法にしっかりと9条を書いてこれをわたす。
     この憲法に書いてあることをしっかり守って、
     頼まれごとをやってくれ、と」・・・・・・
     松本ヒロさんの「憲法くん」は語る。
     アベ様をはじめとした自公議員、翼賛野党の
     壊憲派には理解できまい》

   『●死にゆく平和憲法: 伊藤真さんの憲法の絵本
     『あなたこそ たからもの』と松本ヒロさんの「憲法くん」

    《面倒な掃除当番をある子どもにずっと押しつけた-。
     不当なことだ。このエピソードをてこにして話は続く。
     みんなが賛成したことだからといって、正しいとは限らない
     権力が好き勝手に法律をつくって、国民の自由や権利が
     不当に害されてはならない

      <わたしたちが、えらんだだいひょうも、いつも、
        ただしいことをするとは、かぎらない。だから、
        ほんとうにたいせつなことを けんぽうに、
        かいておくことにしたんだ>》

 アベ様に「白紙委任」と嘯かせないような選挙結果が求められる。

   『●「政権にとって「白紙委任状」ほど好都合なものはありません」: 
                       2014年12月衆院選に是非行こう!
   『●小選挙区制は欠陥品だし、
      自公政権という「驕るもの」に「謙虚」さを求めても仕方ない

   『●いい加減に学ぼう: 「白紙委任状をもらった」
       とアベ様に勘違いさせるようなことをやってはいけない


 ただ、面倒なのは大阪……。最近の歎きのつぶやき。


   「■心ある大阪の皆さん、お気の毒。哀しい二択、大阪「ト」知事派か
    自民「ト」派か。「罰ゲーム」との声あり。稲田朋美氏降臨…
    ヘイトクライム 団体シンパがねぇ~
    (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/57741322ad2096ed1361fbd0e884b59b
    …」

 つまり、アベ様同様、大阪元「ト」知事も、「俺様王国」で王様になりたい人です。同類。強権的政治手法好きな二人。余所事とは言え、ため息が出てしまいます。

   『●「俺様王国」ニッポン、「俺様王国」大阪「ト」を
             造りたい強権的政治手法好きな二人

   『●ご冗談を橋下さん:「泣き落とし」の一環、「やめたらアカン」・・
                    なんて許されない、すっぱり政界引退を

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html

【社説】
週のはじめに考える 多数決がのし歩いては
2015年11月1日

 安全保障関連法の強行可決にみられるように、国会ではますます「数の論理」が幅をきかせています。でも、多数決は本当に万能なのでしょうか

 掃除当番は面倒なものです。誰も進んでやりたくない仕事です。でも、毎日、誰かが引き受けなければなりません。そこで、こんな提案がありました。

   「誰か一人にやってもらおう」

 そうして、「誰か」にA君が指名されてしまいました。来る日も、来る日もA君が一人で掃除当番を引き受けるという案です。

 みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をするという案が過半数になってしまいました。


◆掃除当番の押しつけは

 さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。こんな多数決は有効なのでしょうか。

 実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」に出てきます。絵本には、こんな説明があります。

   <たとえ、たくさんのひとがさんせいしても、ただしくないことも
     あるんだ。わたしたちは、ぜったいまちがえない、とはいえない。
     わたしたちが、えらんだだいひょうも、いつも、ただしいことを
     するとは、かぎらない>

 確かに面倒だからといって、A君に掃除当番を押しつけたことは正しくありません。提案自体も多数決の結果も間違っているわけです。では、なぜ間違いだといえるのでしょうか。

 ずばり、A君の人権が侵されているからでしょう。毎日、苦痛な掃除当番を一人に背負わせるのは、基本的人権の観点から許されませんA君という「個人の尊重」からも問題でしょう。絵本の文章はこう続きます。

   <だから、ほんとうにたいせつなことをけんぽうに
     かいておくことにしたんだ


◆民主政治の落とし穴は

 日本国憲法の三大柱は、基本的人権と国民主権、そして平和主義です。憲法前文にはとりわけ基本的人権が優先する形で書かれています。しばしば国民の間で行われた多数決の結果を「民意」と呼んだりしますが、たとえ民意が過半数であっても、基本的人権は奪うことができません。

 「A君に毎日、掃除当番をさせる」という多数決の結論は、「多数の横暴」そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意さえ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。民意もまた正しくないことがあるからです。ナチス・ドイツのときが典型例でしょう。

 初めはわずか七人だったナチス党は国民の人気を得て、民主的な手続きによって、一九三三年にドイツ国会の第一党となりました。内閣を組閣したヒトラーは議会の多数決を利用しました。そして、政府に行政権ばかりでなく立法権をも与える法律をつくりました。「全権委任法」です。

 議会は無用の存在となり、完全な独裁主義の国となりました。戦後間もないころ、旧文部省がつくった高校生向けの「民主主義」という教科書では、このテーマを「民主政治の落とし穴」というタイトルで描いています。

   <多数決という方法は、用い方によっては、多数党の
     横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの
     根底を破壊するような結果に陥ることがある>
   <多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということに
     なると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に
     正しいものにまでまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ
     去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができる>

 旧文部省の教科書は何とうまく「多数の横暴」の危うさを指摘していることでしょう。多数決を制したからといって、正しいとは限りません。それどころか、多数決を乱発して、独裁政治に至る危険性もあるわけです。

 確かに多数決は民主的手続きの一つの方法には違いありません。しかし、少数派の意見にも十分耳を傾けることや、多数決による結論に対する検証作業も同時に欠かせない手続きといえます。


◆「4分の1」の尊重を

 臨時国会の召集を野党が憲法五三条の規定に基づいて求めましたが、政府は「首相の外交日程」などを理由に拒みました。議員の四分の一の要求があれば、召集を決めねばならないという規定です。

 「四分の一」という数字は、むろん少数派の意向を尊重する意味を含んでいます。多数決論理ばかりが横行して、「四分の一」という少数派の「数の論理」を無視しては、民主主義がうまく機能するはずがありません。
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http://lite-ra.com/2015/05/post-1104.html

安倍晋三と橋下徹の“独裁者コンビ”が持ち出す「民意」「多数決」の論理を疑え!
【この記事のキーワード】安倍晋三, 松本滋, 橋下徹, 選挙 2015.05.17

     (“ゴリ押し独裁者コンビ”(左・自由民主党公式サイトより
      /右・橋下徹公式サイトより))

 戦後日本の国家のありようを180度転換する集団的自衛権の容認を閣議で決定し、さらに安全保障関連法案(戦争法案)を数に任せてゴリ押し可決しようとしている安倍晋三。そして、大阪都構想という何の具体性もないデタラメな計画を住民投票にかけて、大阪市民から白紙委任を引き出そうとしている橋下徹──。二人に共通しているのは「選挙に勝ち、多数決で『民意』を得た者がすべてを白紙委任され、独裁的に物事を進められる」というきわめて単純かつ一面的な、民主主義理解だ。

 実際、国民の側もそう考えている人が多いかもしれない。個人としては反対でも、多数決で決まったら従うのが民主主義のルールだ、と。

 たしかに、投票のない民主主義はない以上、民主主義を実質化するためには、何かのルールが必要だ。しかし、多数決はけっして最良の方法ではない。それどころか民主主義という観点から見れば欠陥だらけの方法だと教えてくれるのが、『多数決を疑う』(坂井豊貴/岩波新書)だ。

 では、具体的に多数決のどこが問題なのか。

 我が国の選挙制度は、国政選挙でも地方選挙でも、それぞれ選挙制度などに違いはあれど、一人一票による多数決方式が採用されている。この方式のもとでは有権者は「一番に支持する候補者」を選ぶことしかできず、二番目や三番目への支持表明はできない。仮に全有権者から二番目に支持を受けている候補者がいたとしても投票されることはなく、したがって彼・彼女が当選することも絶対にない。

 また、多数決は「票の割れ」に弱い。たとえば2000年のアメリカ大統領選では、当初ゴア優勢だったにも関わらず、途中から似たような政策を掲げる泡沫候補ネーダーが立候補したために、2人のあいだで票を食い合い、結果的に漁夫の利を得たブッシュが当選してしまった(その結果があのアフガン戦争、イラク侵攻であり、ひいては現在の「イスラム国」の隆盛につながっているのだから、多数決のもたらした影響は大きい)。

 加えて、多数決は少数の意見を切り捨ててしまうという欠点があるのは、中学校の公民の授業で習ったとおりだ。

 このように多数決は、適切に人々の意見を集約するルールとしては穴だらけだ。しかも、なぜそんな欠陥品が長らく採用されてきたかといえば、たんなる文化的な慣習からでしかないのだという。

   〈もし「一人一票でルールに従い決めたから民主的だ」
    とでもいうのなら、形式の抜け殻だけが残り、民主的
    という言葉の中身は消え失せてしまうだろう。投票には
    儀式性が伴えども、それは単なる儀式ではない。
    聞きたいのは信託ではなく人々の声なのだ。〉

 だからこそ、多数決に代わる「性能のよい集約ルール」が必要だ。本書の副題は「社会選択理論とは何か」であるが、社会選択理論こそ、そうした可能性を探る学問分野である。

 本書ではいくつもの集約ルールを平易に紹介し、比較検討している。そのなかでとくに有効なものとして挙げられているのが、スロヴェニアの国政選挙やFIFAワールドカップの予選でも採用されている、ボルダルールという方式だ。

 これは、たとえば選択肢が3つあるとしたら、投票者は支持する順番に1位は3点、2位は2点、3位は1点とポイントをつけ、その総和が多い選択肢から勝利するというやり方である。

 ボルダルールでは、各選択肢を1対1で対決させたときに他のあらゆる選択肢に負ける選択肢、つまり先述の大統領選の例でいえば、ブッシュのような実質的には弱いのに、全体の多数決では勝者に見えてしまう候補者を排除できるメリットがある。

 細かく見ればボルダルールにも難点はあるのだという。だが、実は完全に合理的で民主的な集約ルールなどありえないのだ! そのことは、ノーベル賞経済学者ケネス・アローを筆頭とする論者たちが「不可能性定理」で数学的に証明しているのである。

 とはいえ、ボルダルールが多数決より圧倒的にマシであることには変わりない。ボルダルールでなくともいい。いますぐにでも公職選挙法を改正し、少しでも民意が反映される多数決以外の方法を導入すべきだ。

 ところで、本書は公職選挙法にからんで、きわめて重要な指摘をしている。

   〈本来なら憲法は法律を上位から縛るものだが、
    公職選挙法が小選挙区制を通じて、下から第96条の
    実質を変えてしまっている〉

 現行の選挙制度では、小選挙区制(ないしは小選挙区寄りの区分け)の割合が大きいせいで、得票率が低くとも簡単に圧勝できてしまう。

 それをふまえると、憲法改正のための条件として衆議院と参議院のそれぞれで3分の2以上の賛成が必要だとしている憲法96条の縛りは「見かけ以上に弱い」。実際、自民党は直近の国政選挙で衆議院、参議院ともに半数以下の支持だったのも関わらず、それぞれ約76%、約54%の議席を獲得してしまった。

 憲法改正に必要なハードルは実質的には3分の2ではなく、せいぜいが半数以下で十分なのだ。このように法の抜け穴を利用して自分に都合のいいようにコトをすすめるのを脱法行為、もしくは詐欺というのではないか?

 人民主権を唱え、民主主義思想の礎を築いたルソーは、自由や権利が侵害される場合には多数決を適用してはならないとした。そして、それを実現する仕組みとして、たとえば多数派が少数派を抑圧する法律をつくらないよう、上位の憲法が禁止する立憲主義が生まれた。だから憲法が単なる多数決で簡単に改正されるなどあってはならないのだ。

 ちなみに民主制を徹底的に考えぬいたルソーにとって主権とは立法権に他ならず、そうした立法権を一部の代議士だけが独占する代表制民主制は原理的に否定されている。本サイトの過去記事でも紹介されているが、ルソーによれば代表制民主制は奴隷制と同じである。

 本書の著者もそんなルソーに依拠し、たんなる形式主義が民主制にすり替えられた現状に憤りをぶつけている。

   〈現実には主権者は、立法にも執行にもほとんどまったく
    関われない。しかし先ほどの形式の確保(引用者註:
    主権者である国民が国会議員を選出し、国会議員が法を
    定め、内閣の一員がそれを行政処分によって執行すること)
    を民主制の成立と錯視すると、現行制度は「民主的」と
    目に映ることになる。人々が声をあげたとしても、
    すでに制度を民主的だと思い込んでいる者は、
    そのような声をノイズとしてしか受け付けないだろう。〉

 結局のところ、たんなる多数決の結果を笠に着た「民主制」なぞペテンでしかない。著者はさらにペテンに加担する者がいかにも言いそうなことにたいして痛快な批判を浴びせる。

   〈「政治に文句があるなら自分が選挙して立候補して勝て」
    といった物の言い方がある。何を根拠としているか不明だが、
    それを口にする者の頭のなかでは、それが「ゲームの
    ルール」なのだろう。だが、わざわざ政治家にならねば文句を
    言えないルールのゲームは、あまりにプレイの費用が高いもので、
    それは事実上「黙っていろ」というようなものだ人々に沈黙を
    求める仕組みはまったくもって民主的でない。〉

 私たちには“クソゲー”をプレイしない権利がある。一票の格差とか投票率についてグチグチ言うのも結構。だが、真の民主主義は選挙=多数決がひからびたクソだという認識をもつところからしか始まらない。

(松本滋)
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-11-29 13:03:23
まあ、多数決ってのは決まらなかったとき、意見がまとまらなかったときの最終手段として存在してるだけで、民主主義の本質じゃないですからね。

少数者の意見をどこまですくい取るか議論するのが議会なわけで

とはいえ、法案やりたい自民党にたいして野党は絶対反対とどちらも妥協して話し合うつもりもないのだから、こうなるのは初めから見えていた

まっ、議会の多数決でやるくらいなら国民投票でもやればよかったんだよな
そっちのほうがすっきりする

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