牧師だった父の神戸栄光教会(神戸市中央区)赴任に伴い神戸に移り住んだ。同市中央区の旧諏訪山小学校(現こうべ小学校)、関西学院旧制中学部へ。講演などで少年時代を「須磨海岸で海水浴をしたり、諏訪山でキャンプをしたりした」「神戸は私の素地をつくった街」と振り返った。
終末期医療に深く関わった経験を医療現場以外でも発揮。命の大切さを伝えたいと1987年、「いのちの授業」を母校の旧諏訪山小で初めて実践。以後、神戸や西宮、姫路市内の小学校をはじめ全国で続けてきた。命の大切さを教えるため、兵庫県教育委員会が2006年にまとめた教育プログラムにも提言した。
08年には神戸の魅力を国内外に紹介する「神戸大使」に就任。本紙「随想」を執筆した。14年には関西学院が創立125年を記念して創設した「関西学院賞」の第1回受賞者に選ばれ、その記念講演会でも元気な姿を見せていた。
東京の聖路加国際病院内の理事長室には神戸ゆかりの洋画家小磯良平の母子像が飾られ、眺めるのが日課だった。
学校法人関西学院(西宮市)の宮原明理事長は「創立の原点である神戸・原田の森にあった旧制中学で学ばれ、以来、関西学院を温かい目で見守ってくれた。関西学院賞を受けた際には、(西宮市の)上ケ原キャンパスで学生・生徒に力強いメッセージを頂戴した。安らかにご永眠されますよう、お祈りします」とコメントした。