テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

<訃報:斎藤耕一監督 死去>

2009-11-30 | <memo>
 29日の西日本新聞に出ていました。
 亡くなったのは28日、午前0時5分。死因は肺炎で、享年80歳でした。告別式は12月4日とのこと。

 70年代にご贔屓にしていた監督さんで、このブログでも「旅の重さ」と「津軽じょんがら節」をご紹介しています。

*

<斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 2009年11月28日)は、日本の映画監督、写真家。

 東京八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で一位入賞する。
 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当する。若き日の石原裕次郎とも仕事仲間で親しく、裕次郎のデビュー直後に、最初の写真集『海とトランペット』を出している(復刻版日刊スポーツ出版社、1987年8月)。また、石原裕次郎の最後の映画となった『凍河』のメガホンを執ったのも斎藤である。石原裕次郎は「耕一ちゃんの為ならカネは要らんよ」とノーギャラで『凍河』に出演したという。

 その他には中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がける。

 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。同年、自ら脚本も書いた『囁きのジョー』で監督デビューする。

 以後、『小さなスナック』など松竹の「歌謡映画」を撮っていたが、1972年、岸惠子扮する仮釈放の女囚と萩原健一扮する強盗犯との短い恋を描いた『約束』で評価を高め、『旅の重さ』、キネマ旬報ベストワンにかがやいた『津軽じょんがら節』と次々と発表し、日本を代表する映画監督のひとりとなる。

 その後も日本の風土を背景にした作品を撮り続けている。特に、当時「日本一荒れた学校」と報道された「稚内南中学校」が全国民謡民舞大会で日本一になった実話をもとに作られた『稚内発・学び座』は、1999年に公開され、大反響を呼んだ。

 1974年、芸術選奨文部大臣賞、1994年、紫綬褒章受章。>(『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

*

 民放でもNHKさんでも良いですが、「約束(↓)」とか「再会」とか放送して下さい。それと「稚内発・学び座」も観てないので是非!

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 合掌




コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神の羊 | トップ | 「ローマの休日」再見 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
追悼上映とか (vivajiji)
2009-11-30 18:29:45
ないのかしら?
ほんと、ほんと、
「約束」は、ぜひ観たいなぁ!^^
切なかったもの~この映画。

80歳にもおなりに。
私の母と同い年・・・
ご冥福を祈ります。
返信する
「約束」 (十瑠)
2009-11-30 20:58:47
YouTubeでショーケン狙いの動画が有りました。予告編は見つからなかったですね。
ショーケンはまだ“エメラルド色”(笑)してるし、恵子さんの横顔も憂いがイッパイ♪
単純な話でしたのにこんなに印象深いなんて、余程描写が良かったんでしょうね。
追悼上映お願いしやッす!
返信する
はじめまして (showken-fun)
2009-11-30 21:18:45
『約束』、大画面で堪能したいです。
結構、何年かに一度は全国で上映広告を見かけます。
今も仙台では上映されているようです。
ぜひぜひ、テレビ放送も含めてお願いしたいです。
返信する
いらしゃいませ、showken-funさん (十瑠)
2009-12-01 11:07:05
まさに、ショーケンファンの方のブログですね。

ン十年前に「太陽に吼えろ!」にエキストラ出演しましてね。エキストラ初回が“マカロニ”が生きている頃で、2回目から“ジーパン”でした。
「太陽に吼えろ!」も当時はテレビを見なかったので、自分がどんな風に写っていたか知らないんです。ちょっと気になる・・・^^
返信する

コメントを投稿

<memo>」カテゴリの最新記事