テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

灰とダイヤモンド

2006-04-16 | 戦争もの
(1957/アンジェイ・ワイダ監督・共同脚本/ズビグニエフ・チブルスキー、エヴァ・クジジェフスカ、バクラフ・ザストルジンスキー/102分)


 前回のチェコに続いて東欧の作品。チェコの隣国ポーランドの半世紀前のモノクロ映画。ワイダ監督の戦争三部作の3作目で彼の最高傑作といわれている。
 子供の時に観たが殆ど忘れている。というか、子供の時には理解できなかっただろうし、今回も製作者の意図が分かったとはとても言えない。

 同じように若くして事故死した事もあって、“ポーランドのジェームズ・ディーン”といわれた、ズビグニエフ・チブルスキーが若きテロリストに扮し、ラストシーンでは、虫けらのようにゴミ集積場で死んでいく。いつもかけているサングラスがニヒルな感じで、青春映画のように扱われたこともあったらしいが、中身はそんな甘っちょろいもんではない。

 とても政治的な色彩が濃い映画だ。
 主人公のマチェクが政治テロリストというだけでなく、地方都市の市長の秘書がテロリストを使っていたり、政治家同士の駆け引きのようなものも背景にあるようなので、ポーランドの歴史に疎い者にはちょっと分かりにくい。
 更には、数年ぶりにソ連から帰ってきた東寄りの政治家(暗殺のターゲット)には息子が居るんだが、父親が居ない間に亡くなった奥さんの姉夫婦が育てていて、なんとこの姉夫婦が西側に協力的な人間だという、まことに色々な人物が複雑に絡まっている話なのだ。
 そしてそして、暗殺の指令をだしていたのは、この義理の姉の旦那だったのだから、ややこしい。

 映画の冒頭でドイツ軍が全面降伏したニュースが流れる、時はまさに、第二次世界大戦の終戦直後。ポーランド国内には、戦中から西側にシンパシーを感じる一派と、ソヴィエトに追随しようとする一派とのつばぜり合いがあっていたようで、マチェクは西側一派に所属するテロリスト。映画は、ソヴィエト帰りのある大物政治家を暗殺するところから始まる。
 手引きしたのがその地の市長の秘書で、ところが、秘書が指示した相手はソ連帰りの一般労働者だった。暗殺成功の報告をしようと仲間と一緒にホテルに戻った所へ、本当のターゲットがチェックインに来て人違いに気付く。

 テロリストの多くは元々ワルシャワ蜂起からのレジスタンス活動をしてきた仲間であり、母国の自由のためにテロを行ってきたわけだが、ドイツ軍が降伏し、戦争が終わったということで、マチェクは暗殺の必要性に疑問を持つ。暗殺が未遂であったために、とりあえずターゲットと同じホテルに宿泊し次の機会を待つことにする。ホテルのバーで働く美女と束の間の愛を交わす内に、新しい生活への望みも持ち始めるのだが・・・・。

 な~んて、書いてはみましたが、実のところよく分かってないと思います。市長の秘書と暗殺の指令を出した人物との関係も掴み切れてないし、市長がこの後中央政界に進出が決まっているらしいのに、秘書が自暴自棄になっているのもよく分からない。ドイツ軍が降伏して戦争は終わったのに、どの人々もあんまり嬉しそうでないのも、この国の複雑な歴史が関係しているんでしょうけどねぇ。

 映画としては、人間を絞ってもっと分かり易い話に組み立て直した方がよかったのでは、と思いましたな。見終わればマチェクが主人公の話だと分かるが、鑑賞中は群像劇を観ているようでした。多分、色々な事を言いたかったんでしょうがネ。

 意図的な演出が随所に見られ、神に絡ませた象徴的なシーンもある。無信心な私には意味不明なシーン(突然出てくる白い馬)もあるし、チブルスキーの演技も昔の邦画を思い出させるようにややオーバーアクト気味。

 さて、「大理石の男(1977)」も録画してるんだが、ソレをみれば少しは理解できるかな?


<追記>
 他の方々の記事を読んでいる内に少しづつ疑問が解けてきたようです。

 市長の秘書の件。
 彼は反ソ派に加担しているが、市長は終戦後中央政界に出ることが決まっている。その頃は、ポーランドが共産主義国家になることは既定路線となっていたようで、反ソ連の立場である彼がヤケになるのはそういう事情だったのだろう。

 マチェクが暗殺に消極的になっていったのは、国家の共産化が避けようがなかったことと、戦時下ではある意味正当化された殺人が、終戦後は単なる犯罪になってしまうのが分かったからではないか。

 いずれにしても、この映画の登場人物の心情を理解するのは、なかなか難しい。

・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、ワイダだから】 テアトル十瑠

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6 コメント

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ズビグニエフ・チブルス (ぶーすか)
2006-07-20 17:30:42
TB&コメント有難うございます。こちらにもTBさせて下さい。

ズビグニエフ・チブルスってジェームズ・ディーンにちょっと似ているなぁ…と思ってましたが、彼も若くして亡くなったんですか!知らなかったです。残念ですね…。

<オーバーアクト気味

そこも顔だけでなくディーンに似ているなぁ…と思いました^^;)。

私も「地下水道」に比べてちょっとわかりづらいところはありましたが、そちらのコメントを拝見して納得しましたよー。
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事故死 (十瑠)
2006-07-22 07:01:52
ジミーはポルシェの追突事故でしたが、チブルスキーは列車に飛び乗ろうとして失敗したためと書かれていました。

ちょっとカッコワル・・・ですか。
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『続・次郎長富士』のラストに使われています。 (さすらい日乗)
2006-08-05 09:00:01
この壮烈なラストは、森一生監督の大映オールスター映画『続・次郎長富士』で、森の石松(勝新太郎)の最後のシーンに見事に使われています。



森一生は、元々大好きな監督でしたが、こういう映画もきちんと見ていたのか、と少々驚きました。
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いらっしゃいませ (十瑠)
2006-08-05 13:05:06
邦画は、洋画以上には観てませんので森一生という監督も知りませんです。

『続・次郎長富士』は、知らずに観ている可能性もありますが・・・。



ベルイマンの「野いちご」で主人公の老医師が自分の死体と遭遇する夢を見るシーンがありますが、殆ど同じ趣向のシーンを、その前に黒澤が「酔いどれ天使」で描いてました。

真似たのか、はたまた偶然か、気になりますね。
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最近観ました (万葉樹)
2009-08-10 19:53:47
去年だったか、NHKでアンジェイ・ワイダ監督の特集があったので、興味をもってみました。
作品に籠められた監督の意図や、複雑な政治的背景はその番組であらまし紹介されていましたが、いざ観てみるとやはり、人間関係などが理解しづらいですね。モノクロで人物の判別がつきがたいから特に。
昔ながらのオーバーアクションは、モノクロ時代だからこそそうなのかと思ったり。

>マチェクが暗殺に消極的になっていったのは、

私は単に恋人を得たので、愛情に包まれた平和な生活を送りたくなったのではないか、という気がしました。
元もと、無目的に生きていて若さゆえにレジスタンスに参加したが、組織の上層部に捨て駒にされた悲劇を描いたもの、という印象です。
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万葉樹さん、こんばんは (十瑠)
2009-08-10 22:51:26
私も去年のワイダの特集を観ました。ロシアの暗殺事件を題材にした映画の話など、とても興味を持ちましたね。

>元もと、無目的に生きていて若さゆえにレジスタンスに参加したが、組織の上層部に捨て駒にされた悲劇を描いたもの、という印象です。

そういう見方が正統なのかも知れません。
最後の死も、後年の「俺たちに明日はない」みたいな捉え方をされたのでしょうし、それが悲しい青春映画の一面もあると人気を誘ったのかも。個人的には、書いたとおり掴み切れてませ~ん。
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