結婚式に來ている。
誰も知っている人がいないというのは不安の塊だ。
立川から奧まったところの、アニビェルセル立川で。
立川は変わってしまって全くわからない。
都立立川高校でのテニスの試合か、昭和第一工業とのテニスの練習試合だけだった。
挨拶がマッチするだろうか。
何と言っても新郎の主賓が機動隊の隊長なんだから。仲人がいなく、司会者の言葉から重ならないようにと注意してお祝いをねべさせていただきました。
新婦主賓の挨拶をしたが、年齢差も大きく、それでも話をよく聞いてくれたようです。警察官、看護師の余興が楽しかったです。記念にお祝いの言葉を残します。
ただいまご紹介にあずかりました、新婦弥穂さんの高等学校の担任の松本輝一と申します。
「良平さん、弥穂さん、ご結婚おめでとうございます。そしてご両家のご親族のみなさま、心より御祝いを申し上げます。このようなおめでたい席にお招きいただいたこと、たいへん嬉しく思っております。
ご年長の方をさしおいてはなはだ僭越ではございますが、ご指名により、お祝いを述べさせていただきます。どうぞおふたりはお座りください。」
弥穂さんとの出会いは通信制高校の科学技術学園高等学校です。ちょっと科学技術学園高等学校の説明をさせていただきます。昭和39年に国が科学技術立国を目指して科学技術振興財団を創設しました。三本柱でした。
北の丸にある科学技術館
テレビ局 東京十二チャンネル 今のテレビ東京
学校 科学技術学園工業高等学校
偶然私が科学技術学園高等学校に入ったのが昭和四十六年でした。中卒の金の卵が集まらなくなり、企業内教育で中堅技術者の育成がメーンでした。なんだかんだ言っているうちに定年が過ぎ、嘱託再雇用になりました。
残り五年、最高の個人生の担任の仕事をしようと決意しました。その時、出会ったのが弥穂さんでした。
日曜コースには年配者もいて落ち着いた雰囲気のクラスです。
通信制高校に入学する生徒はいろいろな過去を持っています。弥穂さんも全日制高校を中退し何年か経って21歳で編入学しました。
担任といっても通信制の単位制の高校ですからHR以外は会うことがないです。私はカメラを持って教室、体育館等に入っていき生徒の顔を見ます。弥穂さんはいつも真面目に熱心に授業に参加していました。通信制高校での一番の学習はレポートの作成です。提出期限があり継続的に学習するのはなかなか大変です。当時はミクシーで日記を書いていました。弥穂さんもやっていたような気がします。その中でトラックの運転をやっていることを知りました。築地市場から魚を配達する仕事です。三年半ほど働き、肉体的にも精神的にも鍛えられたそうです。でも、元気がいい割にはおとなしいという印象でした。
私が将来のことを聞いたのは保健室の先生になりたいということでした。本当は人の役に立つ医師になりたかったそうです。
高校に通い、「看護師」を取ることを目指しました。高校卒業後は二十三歳になり、親を頼りにせず、働きながら通える准看護師から正看護師の道を目指しています。
本当に、芯のしっかりした女性です。
人生の道を決めた時出会ったのが新郎の良平さんということです。
科学技術学園高等学校での思い出は、いろんな子がいるんだなーと気づけたことです。私との出会いで、教師嫌いが少し軽減したそうです。
私は、通信制高校に四十年勤務した中でいろんな人と接しました。ただ言えることは、余計な一言は堪えるということです。今から三十年前ですが、いすゞ自動車藤沢工場の学校で、八十五キロの競歩という名物行事がありました。「根性を育成する」という名目でした。私は、「馬鹿だね、根性はそんなもんじゃないよ」と言ったところみんなから反発をくらい、「来年一緒に歩けよ」ということになりました。小田急線の湘南台から山中湖の道志まで高校生と延々と寝ないで歩くのです。
七十キロ過ぎたら「無」になり、一歩足を前に出す勇気、「継続は力なり」という言葉が自然に出てきました。
家庭を築くことは日々の小さな努力の継続です。お互いを尊敬し、みんなを尊敬し、きちんと生きることだと思います。「やさしさ」、「敬う」というシンプルな言葉を実践していただきたいと思います。
長くなりましたが私の挨拶とさせていただきます。本日は本当におめでとうございました。