その大学病院は五反田から中原街道を進むとあります。
最上階のレストランはなんと帝国ホテルが入ってます。
そんな中、知り合いの研究室へ・・・。
K先生『おう!海パン持ってきたか?』 はい!とわたし。
その先生は超音波診断の権威。
ちょうどフランスから超音波で結石を破壊する機械を購入したがまだデータがないのでちょうどよかった!とニタリ・・。
間抜けにも海パンに着替えて待ってました。すると看護師さんたちがばたばたと走って行きます。
どうしました? ちょっと圧が強すぎて腎臓から出血です・・・・。
わたしもばたばた走って海パンの上にズボンはいてあわててかえりました。
明日へ続く・・・。
さて沖縄の話し。米軍の資金で国内の大学へ行くのが日留。アメリカへいくのが米留。
条件は共産主義に走らないこと!こうしてたくさんの優秀な学生さんが勉強して沖縄に帰ってきて立派な指導者として活躍していきます。中にはちょっと外れかけた知事さんもいらっしゃいましたが・・・。
米留組の卒業生の組織は 金門クラブ(ゴールデンゲートブリッジ)といいいまでもご活躍です。
暑さ寒さも彼岸まで あと一息ですね。暑いだのだるいだのって言ってられることの幸せさですよね。
すべては心がけ次第ですもの。と心がけてみます。長続きしないかもしれないが・・・。