何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祈り つなげ!

2015-02-16 20:16:09 | 
昨日『神つなげ!「てんでんこ」の悲痛』のなかで、ある危機管理専門の精神科医の
「突然の大災害などに打ちのめされた時、精神的に参ってしまうことを避ける方法の一つとして、体を動かすことは有効。被災者も嘆き悲しみ座り込んでしまうのでなく、何か出来ることを前向きに探して体を動かす、これが心のケアに非常に役立つ」 という助言を書いた。

たしかデール・カーネギーもあの有名な「道は開ける」の中で、「オガクズを挽くな」と繰り返し書いていた。
うろ覚えだが、 「終わったことをクヨクヨと考えず、前を向け」「一見すると行動は感情に従っているようだが、実際には行動と感情は同時に働く。だから、気持ちとして面白くない時でも、楽しそうに振る舞え、そうすれば気持ちも快活になる」という内容だったと記憶している。

だから、彼女が「甘えるな。鍋釜を探して、廃材を使って薪をくべ、自炊せよ」と言うのは、あながち間違ってはいないのかもしれないが、命からがら避難所に身を寄せた被災者に、この言葉は酷すぎるし、事実として間違っているとも思われる。

誰も彼もが、生活の再建を必死に考えていたに違いない。それが行動に移される前の一時の「座り込み」を責めることは、私には到底できないが、
事実として、被災者の多くは呆然自失の体でただ座り込んでいただけでは、ない。

それを教えてくれたのが、「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」(佐々涼子)だ。

読書は趣味というより癖ともいえる私だが、日本の出版物の紙の半分近くが被災地・石巻で生産されているのは知らなかった。

紙製造に携わる人は、ただ画一的に同じ用紙を大量生産しているのではないことも、この本で知った。
「紙の手触りや香りのもたらす幸福感は、その体験自体がすでに読書の一部」だという信念のもと、用途に応じた紙が生産されているそうだ。

「子供が手に取って嬉しくなるような、ゴージャスでふわっとした厚みがあり、しかも友達の家に持って行くにも軽い紙」「柔らかい手で触っても指を切らないように開発された紙」は、子供が好きなコミック誌用に。
「毎日めくっても破れない、耐久性重視の紙」は、教科書用に。
「限りなく薄く、いくら使っても破れにくく、しかも静電気を帯びないように特殊加工された紙」は、辞書のために。
文庫本を出す出版社にもこだわりがあり、「講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤。」「出版社は文庫の色に『これが俺たちの色だ』っていう強い誇りを持ってる」そうだが、それも、「紙つなげ」を読むまでは、気が付かなかった。いや、今、各社の文庫本を手に取っても、その微妙な違いが私には分からないが、そんな微妙な違いにかける強い誇りに応えるだけの技術と生産力を備えた工場が、被災地石巻にはあった。

「工場は死んだ」

津波に襲われ壊滅状態の工場を見た誰もが、そう口にしたそうだ。
「紙つなげ」で紹介される壊滅状態の工場の写真を見れば、「再建」や「復興」という言葉は空しく、石巻の人が「工場は死んだ」と嘆くのは、当然の惨状である。
しかし、石巻の日本製紙が閉鎖されるということは、日本の出版業界に打撃を与えるだけでなく、地域の基幹産業を潰すことにもなり、それは大切なものを失った被災地の人から仕事まで奪うことにも繋がる。

命が助かったばかりの従業員と石巻の人々は、震災直後から「工場の煙突から、以前のように白い煙を上げてほしい」と動き出す。

「全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず一台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言でき、従業員たちもはずみがつくだろう」という工場長。

震災からわずか2週間後に現地入りした社長は、不安におののく従業員に力強く表明する。
「これから日本製紙が全力をあげて石巻工場を立て直す!」
「金の心配はするな。銀行と話をつけてきた」と。

大震災からたった二週間で、「全国の出版社が、石巻の紙を待っている」という誇りを胸に、工場再建に向け全力投球を始め、半年で主力マシンの一つが動き出す。
このとき工場長が掲げた「半年復興」という目標は、壊滅的な工場の状態からすれば、無謀な目標にも思えたそうだが、明るい話題のない被災地で、それは、彼らがすがりつくことのできる、唯一具体的な希望となったそうだ。

今、震災前と変わりなく本を読むことが出来るのは、大切な人を失い家を失い、自身の生活再建もままならない段階で、日本の「本」を支えるために立ち上がった人がいてくれるからだ。

誰も彼もが、甘えて座り込んでいただけでは、ないし、
絶望し憔悴し、座り込んでしまっても、それを責めることが出来ないほどの、大震災だった。

そこへ向けられた「甘えるな」という言葉。

彼女が信じる神は、愛を説くのではなかったか、隣人を愛せよと絶対愛アガペーを説くのではなかったか。

「愛」の定義は分からないが、仮にそれを他者(弱者)への共感だとすれば、
震災後2か月の段階での「甘えるな」の言葉は、あまりに「愛」のない言葉ではなかろうか。

先にも書いたが、彼女の言う「鍋釜を自分達で調達し、そこかしこに散乱する木片を薪にし、自分達で食べ物を作れ」には、心のケアに役立つ実用的な側面がある。
しかし、そうだとしても、散乱している木片は、直前までは誰かの家であり家具であったことを思えば、その言葉の根底に「愛」があるのかは、厳しく問われなければならない。

そして、もし「愛」があるのなら、今回のような騒動は起っていなかったのではないかと、感じている。


つづく



追記
ところで、これほどの想いで被災地が造ってくれている紙に、罵詈雑言と誹謗中傷を書き殴り、皇太子御一家を傷つけている。
皇太子ご夫妻が被災地お見舞いをされた翌日には、そのお身舞いの様子がバッシング記事(週刊誌)として書かれている。前日の様子を翌日発売の雑誌で書けるはずもなく、明らかな捏造によるバッシング。

雅子様の御体調もあって、公務などには限りがあるが、だからこそ出席される公務とお言葉に込められる想いは、重いのではないか。
御病気になられて以降10年の間に、地方公務は限られているが、そのほぼ半数が被災地ご訪問である。つい先日も海外に震災を伝える活動をする被災地の学生と接見されたが、これも継続的に支援されている活動だという。
御病気以来お誕生日の会見はなく、雅子様のお言葉を伺う機会は限られているが、震災以降は繰り返し、被災地を心配され復興を願う気持ちを書かれている。お言葉に占める「被災地への想い」の割合は、いろいろ引き比べても、雅子様のそれは重いものがある。

たった四年で震災の風化が懸念されることが信じられないが、皇族方が復興を見守る活動をされるのは有難い。

被災地に皇太子ご夫妻の祈りがつながるように!

被災地が造ってくれる紙に、日本の、皇太子御一家の明るい知らせが記されるように願っている。
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