何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

紺碧の水脈の果て 祈り③

2019-03-31 12:15:50 | 
「紺碧の水脈の果て①」「紺碧の水脈の果て②」より

馬酔木の花言葉 犠牲 献身


ワンコお告げの本を先に記しておくべきかと迷っていたのだが、書きかけの順番に。

「紺碧の果てを見よ」(須賀しのぶ)

文庫裏紹介文より引用
会津出身の父から「喧嘩は逃げるが、最上の勝ち」と教えられ、反発した鷹志は海軍の道を選び、妹の雪子は自由を求めて茨の道を歩んだ。 海軍兵学校の固い友情も、つかの間の青春も、ささやかな夢も、苛烈な運命が引き裂いていく。
戦争の大義を信じきれぬまま、海空の極限状況で、彼らは何を想って戦ったのか。 いつの時代も変わらぬ若者たちの真情を、紺碧の果てに切々と描く感動の大作。 

戊辰戦争というと会津白虎隊の悲劇ばかりが取り上げられるが、辛酸を舐めたのは何も会津ばかりではない。
近年ある事情で※そのあたりを厭うようになっているので、本書も悲劇や什が前面に出ていることに読みづらさを感じたが、後書きで本書の参考資料が同じく朝敵の汚名をきた二本松藩士の子弟 朝河貫一氏の「日本の禍機」だと知り、再読し、泣いた。

朝河貫一氏は、日本人で初めてアメリカ・イェール大学の教授になった教授になった人物だ。
朝河氏の父は、二本松藩の砲術方の家柄だったが、御一新後の生活は困窮を極めた。
藩士だった父は、その経緯を息子・貫一に多くは語らなかったが、語らずとも、戦いには大義が必要であること、大義があれど負ければ通用せぬこと、負けてなお誇りを失わないことなどは、貫一に伝わっていたという。(「最後の日本人~朝河貫一の生涯~」安部善雄)。
この貫一がアメリカに渡り、歴史学(法制史)で教鞭をとった際に精神の支柱になったのは、他ならぬ武士道だったという。

一 自分の気分を他人に押し付けることなかれ
一 よほど必要でない限り、自分の長所を他人にてらうことなかれ
一 他人が自分をどのように思うも、気にすることなかれ

この空気感が、本書にはよく出ている。

本書の主人公は、父祖が会津藩士であったことを誇りにしているが、父はそれを全く口にせず ただ「喧嘩は逃げるが、最上の勝ち」とだけ言われて育つ。
そんな父に反発し、国を守る防人たらんと海軍兵学校へ進むが、現実に直面するに従い、父の言葉が重く頭にのしかかってくる。

同期一の秀才は、「紺碧の果てを見よ」の言葉を残し逝ってしまう。
血気盛んで正義感溢れる先輩は、目の前で次々と部下が命を落とすことに耐えきれず、逝ってしまう。
好戦家で鳴らした親友は、紺碧の果てではなく、愛する人の元へ帰りたいと願いつつ、逝ってしまう。

国を守る防人たらんとすることは、何なのか。

主人公は、戦況が見えてきた頃から、その先を造り守ることを考え始める。

そうして迎えた玉音放送。
負けを受け入れられず切腹をはかった部下の腸を腹に戻しながら、主人公が語る言葉が、本書の全てだと思う。

『私は、会津の出である。貧窮し、故郷を捨てた。おそらくは、朝敵会津の出でなければ、私は人生のごく早いうちから士官の道を望むことはなかっただろう。朝敵と蔑まれた時代をよく知る者は、我々に昔のことは語らなかったが、かわりにこう言った。負ければ何もかも失う。決して変わらないと信じていた正義や美徳も全て奪われ、地べたに叩きつけられ、唾を吐かれる。死んだ者も生き延びた者も、未来永劫尊厳など失われる。それが敗北だと』

『我々がどれほど死力を尽くして戦ったか、どれほどこの国を愛していたか、顧みられることはないかもしれぬ。私の先祖がそうだったように、むしろ我らのいっさいの努力は嫌悪と嘲笑の対象となるかもしれぬ、戦友の死すら侮られる屈辱に、いっそ船上で果てればよかったと悲嘆に暮れることもあるだろう。だが、過去、敗れ去った者たちは、常に悲嘆を力に変えて這い上がった。諸君もまた、必ず困難を克服するだろう。諸君の戦いぶりを知る私は確信している。諸君は、今でも、そしてこれからも何も変わらぬ。誇り高き防人である。国を、友を、家族を守り育てるものである。』

『敗北せねば見えぬこともある。敗北したことで見えなくなるものもある。誰もが、一度は勝ち、一度は負ける。真に人として問われるののは、負けた後のことだ。諸君、悲憤はこらえよ、復讐は捨てよ。だが誇りは決して捨ててくれるな』

『我らは、敗北を糧に立ちあがる防人である。いかなる時代にあっても、諸君よ、紺碧の果てをみよ』


明日4月1日は、5月1日に御即位される皇太子様の御世の元号が発表される。

御即位を前にした文章で、「敗北を糧に立ちあがる防人」を関連付けるのは縁起でもないかもしれないが、私が※そのあたりを厭うようになった理由が悲劇や自己犠牲を語り過ぎる今の流儀にあることを考えれば、次の御世を前に一人一人が’’防人’’の意味を考える必要があるのではないかと、思う。

そのあたりについては、明日発表される元号のニュースと併せて考えてみたい。

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