何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

紺碧の水脈の果て 祈り②

2019-03-14 15:18:36 | 
「紺碧の水脈の果て 祈り①」より

「紺碧の水脈の果て 祈り①」で、本のタイトルを書きあぐねたのは、その本を紹介する記事の多くが、反戦的でありながら愛国的だと紹介していたせいでもある。
謂わんとしていることは分かるのだが、近年の保守にしてもリベラルにしても腰の据わっていないエセっぷりを見るにつけ、「反戦的でありながら愛国的」という本を、心の内は兎も角、(ここで)どのように記せばよいのか迷っている。

「紺碧の果てを見よ」(須賀しのぶ)

裏表紙のあらすじより
『会津出身の父から「喧嘩は逃げるが、最上の勝ち」と教えられ、反発した鷹志は海軍の道を選び、妹の雪子は自由を求めて茨の道を歩んだ。 海軍兵学校の固い友情も、つかの間の青春も、ささやかな夢も、苛烈な運命が引き裂いていく。
戦争の大義を信じきれぬまま、海空の極限状況で、彼らは何を想って戦ったのか。 いつの時代も変わらぬ若者たちの真情を、紺碧の果てに切々と描く感動の大作。』


会津藩士だったことを誇る祖母と、頑なにそれを語らず「喧嘩は逃げるが、最上の勝ち」を信条にする父の間で揺れていた主人公・鷹志が、関東大震災を機に「国を守る防人になりたい」と海軍兵学校への入学を決意するのだが、その決意のほどを確かめるために、逆賊の汚名を負う事の厳しさを教える父とおじ(遠縁のおじで、後に鷹志の養父となる海軍将校)の言葉は、全編を貫く柱であり、キナ臭い現在にも重くのしかかってくる。

『負ければ何もかも失う。
 決して変わらないと信じていた正義や美徳も、すべて奪われ、地べたに叩きつけられ、唾を吐かれる。
 死んだ者も生き延びた者も、未来永劫、尊厳など失われる。それが敗北だ。
『やるなら勝て。そのためには、いつも頭を冷やしておくんだ。
 過去に負けたことがあるなら、なぜ負けたかを徹底的に考えろ』(『 』「紺碧の果てを見よ」より)

「国を守る防人になりたい」鷹志に、逆賊の汚名を負うことの厳しさを教えたうえで、「やるなら勝て」と云う海軍将校のおじ。

「国を守る防人になりたい」鷹志に、多くは語らず 『喧嘩は逃げるが、最上の勝ち』『男なら簡単に喧嘩するもんじゃない。挑発されても耐える。その場で喧嘩に勝つよりよほど難しいが、一番尊い勝利になる』とだけ頑なに云い続ける父。

父の『中身のない空虚な器はいつも見た目だけは立派だ。だから、中身のない者がたやすく惹かれる。今のおまえが軍人など、片腹痛い』という言葉は、好戦的な空気への警鐘としては意味をなしたが、関東大震災の混乱時に民を守るために軍隊が果たした役割の大きさを目の当たりにした鷹志には、届き難かった。

この空気感が、現在を鑑みるに恐ろしい。

戦争は、軍人によってのみ引き起こされるのではないことを、本書も教えてくれる。

海軍兵学校時代 好戦家として知られていた先輩や同期生でさえ、世界の現実を知ることで勝利に懐疑的になり、また次々と仲間を喪うなかで命を賭けて戦う大義に迷いを生じさせていく。

だが、そうはさせない空気が、戦わない者によって作られていく。

『一つの国が戦いに向かう時というのは、こういうものなのだろうか。日本の世論は、もとより連中を懲らしめよの一言である。現時点でもなお戦いをためらうのは、おそらく政府ぐらいなものなのだ。騒乱への疑問は熱に溶かされ、ひとつの方向に皆がいっせいに駆けだす。そうなると、もはや誰にも止められない。それ自体が巨大な生き物のように、あらゆるものを巻き込んで進んでいく。鷹志もまた例外ではなかった。逆らうすべをもたぬまま、気が付けばその渦に呑み込まれていた。』

国民は戦争特需で景気が良くなったと喜び、新聞は戦争を煽ったあげく実態とかけ離れた勝利で紙面を埋める。

本書には、開戦するや慰問袋を大売出しする百貨店や、大陸に派遣されている従軍記者が海軍将校に「支那だけじゃつまらんだろうから米英をやっつけろ、さすれば満州の平和も手に入る」と嗾ける場面があるが、それがあながちフィクションとは思えないのは、同様の空気を「二つの祖国」(山崎豊子)「小さなおうち」(中島京子)が描いているからだ。(毎日新聞の記者だった山崎豊子氏は「二つの祖国」で主人公の口を借り、戦時下における日本のマスコミの無責任ぶりを痛烈に批判しているし、「小さいおうち」は、戦争特需を期待し戦争を歓迎している国民の様を描き出している。)

それを国民が忘れ、ただ被害者面をしていたのでは、私達は何度でも同じことを繰り返してしまう。

本書では手紙が重要な位置づけをなしているが、鷹志の同期・皆川生徒(同期一の秀才だが、病に倒れ卒業を待たず没す)の最期の手紙は、今の私に守られる者の覚悟を突き付けてくる。

『仏像を直接返しに行けず、申し訳ない。何ひとつ果たせず去らねばならぬのは慙愧に堪えないが、護国の鬼となりて、海に溶け、風となり、守り通す所存、この仏像の加護もいや増したことだろう。貴様は決して、目的を果たすまで死ぬことはない、安心せよ。
では先に表門より出でて、海にて待つ。
再び相まみえる時まで、いざさらば。
友よ、紺碧の果てを見よ。
愛するものの防人たれ。』

戦争は、ある日突然おこるのではないし、戊辰戦争で逆賊の汚名を負った者を地べたに叩きつけ、唾を吐いたのは、何も薩長だけではなかったはずだ。

そこにはいつも、大きな声でがなりたてる者に付き従う迷える弱き・・愛すべき者がいる。

そんなことを、もう少し考えてみようと思う。
つづく

追記
ところでホワイトデー前日の昨日、超後輩くんが妹の手作りだと、照れくさそうにチョコクッキーを渡してくれた。
まったく思いがけないことだった。
こんな超後輩君に心配されるほどに私は弱って見えたのか。
そろそろ元気出していかねば!と、周回遅れで知った「あなたは あなたを走れ!」の言葉を胸に、誓っている。

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