何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

番外編 ミステリー本&世界

2017-10-07 23:55:55 | ひとりごと
「番外編 aufheben 釣り球②」の末尾で、「’’人の人生と世論に悪影響を与えうるマスコミの責任’’については、次回へつづく」としたが、これを考えのに打って付けの お題がグーグルさんから届いていたので、それをまず記しておきたい。
お題、<10月7日は「ミステリーの日」。あなたは好きなミステリー小説は何ですか?教えてください!>

自分の記憶している限りで、一番最初に読んだミステリー小説と云えば、小学校の図書館で借りた「怪盗対名探偵」(モーリス・ルブラン)だ。
これですっかりミステリー小説が病みつきになった私が中学時代に読み漁ったのはアガサクリスティ―ポワロシリーズで、高校時代はさすがにミステリーを読みふけっている余裕はなかったが、大学時代に読み始めて今に至っているミステリーとしてはパトリシア・コーンウェル検視官シリーズがある。

山岳ミステリー・医療ミステリーなど好きなジャンルは様々あれど、どういうわけか本格推理小説というものに縁が無く(あの江戸川乱歩も読まないまま)、この年まで来てしまったのだが、一体ミステリーと推理小説の違いは何処にあるのだろうか? 
そんな疑問を初めて私にもたらしたのは「名探偵の掟」(東野圭吾)なのだが、これを読んだからと云え、混迷は増すばかりで、未だにその区別は判然としていない。
こんな私なので、ミステリー小説のなかで好きな本の名をあげるのは、この際 控えるが、ミステリー小説ではないにも拘らず近年最大の謎を感じさせた本を記しておきたい。

「ザ・プリンセス雅子妃物語」(友納尚子)
本書はノンフィクションとも云えるものだと思うが、タイトルが敢えて「物語」としているのには理由があり、それこそが十数年にも及ぶバッシングの謎と諸悪の根源を示しているものと、私は考えている。

本書は、友納氏が週刊文春に連載していたものを本にしたものだが、この連載記事の一部に宮内庁から抗議が入った。
友納氏は取材と記事に自信があるとし内容を改めることなく、連載をまとめたものが上梓されたのだが、その時点で抗議は取り下げられていなかった為、「物語」と題するしかなかったのだと思われる。
では、友納氏の取材と抗議との間の、どこに齟齬があるのか?

友納氏は、雅子妃殿下が病に倒れられた理由は幾つもあるだろうが、その引き金となった最大のものとして、2003年10月15日、メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐会でのある出来事にあると記している。(言い分が食い違っているため、具体的な御名前を記すことは差し控える)

海外要人に対し皇族方をご紹介する場合、皇太子様から身位の順になされるものだが、本書によると、メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐会では、雅子妃殿下は紹介されることなく次に移ってしまった為、雅子妃殿下もメキシコ大統領も握手するため差し出した手が宙を泳いでしまったという。これに狼狽された雅子妃殿下は、その後の晩餐会でも全く食事が喉を通らず顔色も無かったと、友納氏は数々の証言とともに記している。
この仕打ちは、男子誕生しか望まれていないという重圧で押しつぶされそうになっていた雅子妃殿下への痛恨の一撃となり、『雅子妃が妃殿下としての自己の存在について、決定的に自信を喪失』される原因となった、と友納氏は記している。
実際、雅子妃殿下はこの出来事から二カ月後に、ストレスが大きな原因とも云われる帯状疱疹に罹られ、そのまま長い療養生活に入られるのだ。

だが、この記事に対し宮内庁はHPページに反論を掲載した。
曰く、
メキシコ大統領へのご紹介の際 雅子妃殿下のすぐ側で、事の次第を見ていた御方は、ご自身 記憶力が優れていると自負されているが、その御方が申されるに、そのような事実(雅子妃殿下の紹介が飛ばされる)は無かったと証言できる。

ところが、この反論文掲載から一年後、この件の訂正文とやらが又ホームページに掲載された。
曰く、
(記憶力確かだと自負されていた)御方は実はこの晩餐会を欠席されていた為、雅子妃殿下の紹介が飛ばされたか否かは目撃されていなかった。

謎である、まったくもって謎である。
その場に立ちあわなかったにもかかわらず、何が見えたというのだろうか、いや何を見なかったというのだろうか。
これをミステリーと云わずして何をミステリーというのだろうか。

色々な意見はあるだろうが、この件に限って云えば、一部不正確な点はあるにせよ「''雅子妃殿下ご紹介飛ばし''はあった」とする記事の方が正しいと思うのは、この記事が数々の目撃証言からなっているからだ。
だが、皇太子御一家へ日常的に向けられる悪質なバッシングのほとんどは、そのような取材を経たものではない。

「番外編 aufheben 釣り球②」で銀平は、捏造記事を書いた記者の資質と取材態度を問題にしているが、皇太子御一家をバッシングする記者にも同様のことが当てはまると思われる。

例えば、「雅子妃殿下が御召し物を作りすぎる」と酷いバッシングが続いた時には、たまらず東宮職が「ご病気の妃殿下は、公務が満足にできないことを申し訳なく思われ御自分の御召し物はほとんど作られてない。サイズを直して何年も同じものをお召しになっている」と打ち明けたことがあると記憶しているが、実際あのメキシコ大統領歓迎晩餐会でお召しのドレスは、11年後の典子様の御結婚を祝う晩餐会でもお召しになっている。
      
<左>メキシコ大統領歓迎晩餐会(2003,10)<右>高円宮典子様の御結婚 晩餐会(2014,10)

皇室を敬愛しその写真集を折々に購入している(程度の、つまり皇室担当記者でも評論家でもない)素人皇室ファンの私ですら、雅子妃殿下は15年以上前の服を頻繁に お召しになっていると気付くにもかかわらず、その専門家が嘘ばかり並び立てバッシングするのは何故なのか。
「雅子妃殿下は御実家に里帰りしすぎる」というバッシングもあるが、御両親は国連大使としてニューヨークに赴任されていた(1994~1998)ことや、現在は国際司法裁判所判事としてオランダにおられる(2003~,2009には裁判長に任命される)ことから、それは馬鹿らしい言い掛かりだとしかいえない。

このような事は、何も皇室専門家でなくとも分かりきったことだが、それでも大見出しでバッシングされるのは何故なのか。
皇太子御一家へのバッシングが始まったのは、雅子妃殿下が病に倒れられ男児誕生の可能性が失われた頃からであり、それが熾烈さを増したのは、皇太子様が「時代に即した公務の在り方」に言及された頃からだと考えている。
ここに幾重にも思惑が絡み、官民挙げての大バッシングとなり、それはまだ幼い敬宮様にも及ぶという非情なものであった。

だが、国民もその思惑を見破ることができないような者ばかりではない。
東京朝日が捏造記事まで書き「野球と其の害毒」キャンペーンを張ろうとも、野球熱が冷めるどころか高まったのと同様に、これほど長きにわたる皇太子御一家バッシングキャンペーンにも拘らず、心から応援している人は多いと思っている。(注、最新の「婦人公論」の世論調査によると、好きな皇族のベスト3を、皇太子御一家が圧倒的な支持で独占されているという)

21世紀の世は、マスメディアだけでなく個人の呟きまでもが、時に世論を形成してしまうことがある。
だからこそ、今一度 昭和天皇の御言葉を思い起こさねばならないと考える。

「側近日誌」(木下道雄)に収録 聖談拝聴録原稿(木下のメモ)より引用
~引用開始~  「番外編 aufheben アへ単打」
以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来たが、結論として概括的に私の感想を話そう。
先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を目して反動主義者とか非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時中のことを回顧して見ても、今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。
かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。又このことが日本民族の向上ともなり、世界に向かって人種平等を要求する大きな力ともなることと思う。
~引用終了~

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