将棋おたくのつぶやき

主に将棋中心のブログです。

すかし詰はフェアリーには不可か

2009-08-25 07:40:37 | 将棋
2chスレ「これが神局だ!4」635より

つまりこういうことですね。
攻方:22歩、23玉、33香
玉方:11玉、25銀
持駒:飛香
ばか自殺6手
13香、12飛合、21歩成、同玉、22飛、同飛まで

「普通かしこルールがルールとして整合性がなさすぎる(歴史的背景により)のであって、透かし詰を不可とするヘルプ系ルールのほうがルールとしての完成度が高い」と考えるべきかと。

ああいった大上段の疑問をウェブ上、ましてや2chでぶつける意味はあんまりないと思うのですが…。

解答選手権へ投稿する?

2009-08-23 18:35:24 | 将棋
最近詰将棋熱が変に戻ってきている。
作品を投稿もしている。

この間投稿した作品、きっと没だと思うので。
もしそうなったら、解答選手権の作品募集へ投稿しようか、などと考えた。

募集要項を見ていたら。
http://blog.goo.ne.jp/shogi-problem/e/534082697f131eadbfc152827ebf5738
>*事前に採否は通知しない。他の発表媒体への二重投稿はかたく禁止する。
*選手権で採用されなかった作品は、それ以降どこに投稿してもいい。
*競技の公正を期すため、事前に他人に見せたり、ネットで公開した作品を投稿したりすることはできない。また、投稿後も外部への公表をくれぐれも慎むこと。
そういえば他人に見せたり投稿して、「あ、この作品あれだ」と解答者にばれてはいけないんだった。

ということで安心して解答選手権はあきらめることとした。
そもそも心配する必要など何もない。投稿したって没に決まっている。

詰将棋のPC作図は可か

2009-08-15 14:24:01 | 将棋
前日と同じ場所のTETSUさんのサイトより。

昨日と同様の問題で、それ自体に問題はないと思います。
というよりそれを否定することはむしろ困難。

ただしPC使用に対しては謙虚であってほしい、と。

ツールの進化は、即ちその世界の進化に他ならない。
そのツールが有効である部分において、以前と同レベルに甘んじてはいけない。
たとえば極端な条件作。盤面+持駒趣向などの場合は、ほぼ作図労力を省略できるので、以前であれば入選作クラスだったものがボツ作になることも、当然ともいえる。(趣向作家の方には受難の時代と言わざるをえない)
あぶり出しよりも初形曲詰のほうが多く感じるのも、その影響と思われるものの、あまりにお手軽に作れてしまい、内容の吟味が感じられないこともしばしば。
裸詰の第一人者である岡本孝雄さんは、「つまらない裸詰は発表しない」こともあったらしいと。作家とはかくあるべし、という矜持を感じる。

さらには、昨日の内容にもあるとおり、変化紛れの手触りを感じられない作品が解答を募集されかねない傾向。
作品の真の完成度においては良いかもしれない。しかし解答募集のコーナーで、あまりに人工的な変化紛れを読みきることは、その作品の印象を著しく悪くするのみならず、解答者を解答募集から遠ざけることにもつながりかねない。

そうすると、発表の方式にも変化があって良いのではないか。
最初から「自力解答をお勧めしない」形式があることも良いだろう。相馬康幸Collectionでは見開きで解答がわかることで画期的な本であるが、それら作品はもちろん解図に耐えうる作品群でありながらも、「自力解答せずともその価値を示すことができる」作品群であるからこそ成り立つ方法である。
昨日の内容と関わってくるが、お互いに「自力」のみを要求しないコミュニケーションがあっても良いのではないか。特に条件作において、解答を最初から明示する、無理な自力解答を勧めない、難しければ序の数手のみ見ることもできる(「くもの糸」の発表時を思い出していただきたい)、などという試みがあっても良いのではないか。

詰将棋もまたコミュニケーションの一つであり、そこに各個人の個性が十分に尊重されるからこそ面白いのだが、個人のエゴのみが強まることや、統一をはかる必要ゆえに皆が不利益を被る事態も避けたい。作図、発表、解答、鑑賞、全てを縦断的に改良する様々な試みがあることを期待したい。

再び論文口調になってしまった。

詰将棋のPC解答は可か

2009-08-14 18:22:46 | 将棋
TETSUさんのおもちゃ箱で画期的なガイドラインが提示された。
解答については、PCを使用しても良いというものである。
http://toybox.tea-nifty.com/memo/2009/08/post-4383.html

PCで解答できるのが当たり前になったのはここ10年ほど。
おそらくほとんどの詰将棋ファンは詰将棋と触れたのはそれ以前からであり、詰将棋は自力で解くもの、という考え方が自然であったろう。
解答順位戦などは解答数を競っており、実際にPC解答は不可と考えるコーナーも多いと思われる。

ではPC解答はすべきでないだろうか?
以前詰パラで吉村達也氏が、連載において「解答発表後にも短評を集めるべき」と主張していた(いつごろのパラだったか忘れましたが)。その1つの目的が「そういう順だったのか。ここがわからなかった、残念」という、「解けなかった」ことへの感想を集めるメリットがある、ということである。
実際に、解けなかった作品にも溢れるような感動を覚え、文章化したいと思った経験は誰にでもあるだろう。おもちゃ箱の提案は、それを拾い上げることができるという意味で妙案である。

しかし、重要な問題も否定はできない。
TETSUさん自身が指摘しているように、「自分で解いてみないと面白さがわからない」作品も数多くあるからである。
もし理想が高い解答者が、上記の考えを十分に理解した上でPC解答を行うのであれば支障はそうない。しかしながら、それを正しく理解できない解答者が安易にPCに手を伸ばしてしまっては、「鑑賞」そのものの価値が下落してしまうおそれがある。「誤解答で将棋ソフトに文句をつけたりする」ような人はいないと信じたいが、それは論外としか言いようがない。

もしPCで解くのが当たり前の時代が来てしまったら、詰将棋界は崩壊してしまう。そこには手触り、職人芸を味わう過程は存在せず、それを伝える努力も自然と消えてしまうだろう。この世界に入る若手の方には、PCを使うことにはよくよく慎重であってほしいし、もし使用する際には謙虚であってほしい。
また自力で解答することの尊さを、先人たちも伝える努力が必要である。近年、変化紛れをPCで処理した感の強い作品が散見される。作品の完成度のためには悪くないのかもしれないが、作者が読みきらないものを解くことには虚しさを禁じえない。そういった作品を出題することにも、謙虚になっていただきたい。そうでなければ、誰も自力解答などしなくなるだろう。解答募集の方法を考え直すのも一案であろう。

PC解答は今後の詰将棋界において非常に重要な問題であり、そのリスクとベネフィットを勘案した上で許容されるであろう。しかしその使用については、安易なものとならぬよう、作家・解答者らがその制限についてよく考えて行うべきである。

ちょっと論文風にまとめてみました。

詰将棋は創るもの?見つけるもの?

2009-08-08 19:07:52 | 将棋
実にどうでもいいことのように思いますが…。

当然「創作」というくらいであり、そこらへんに転がっているものを拾ってくるわけではない。
しかし詰将棋はすさまじい条件の厳しさをかいくぐって存在するものであり、自由な表現が許されるものではない。

音楽と文学は鑑賞者の自由度において全く異なる。
文学では時間軸において鑑賞者を創作者が縛ることはなく、
音楽では鑑賞者は全て創作者の意図にゆだねられる。

創作者の自由度でいえば、小説と俳句では全く異なる。

しかし確かに、詰将棋の「創作」はどこか他の芸術と違う印象を受けなくもない。
相対性理論のように、自然の心理を発見したときのような、理知的な美しさも併せ持っているような。

より知りたいことは、むしろ「創る」のか「見つける」のか、ということを考える過程。
その作家のポリシーがそんなところから垣間見えるように思える。

自分は作図がそもそも全くできないのだが、「勝手にできた」ときしかうまくいっていないので、今のところ「見つける」派。
詰将棋にある自由度を、もっとうまく使えればいいのになぁ。