将棋おたくのつぶやき

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詰将棋のPC解答は可か

2009-08-14 18:22:46 | 将棋
TETSUさんのおもちゃ箱で画期的なガイドラインが提示された。
解答については、PCを使用しても良いというものである。
http://toybox.tea-nifty.com/memo/2009/08/post-4383.html

PCで解答できるのが当たり前になったのはここ10年ほど。
おそらくほとんどの詰将棋ファンは詰将棋と触れたのはそれ以前からであり、詰将棋は自力で解くもの、という考え方が自然であったろう。
解答順位戦などは解答数を競っており、実際にPC解答は不可と考えるコーナーも多いと思われる。

ではPC解答はすべきでないだろうか?
以前詰パラで吉村達也氏が、連載において「解答発表後にも短評を集めるべき」と主張していた(いつごろのパラだったか忘れましたが)。その1つの目的が「そういう順だったのか。ここがわからなかった、残念」という、「解けなかった」ことへの感想を集めるメリットがある、ということである。
実際に、解けなかった作品にも溢れるような感動を覚え、文章化したいと思った経験は誰にでもあるだろう。おもちゃ箱の提案は、それを拾い上げることができるという意味で妙案である。

しかし、重要な問題も否定はできない。
TETSUさん自身が指摘しているように、「自分で解いてみないと面白さがわからない」作品も数多くあるからである。
もし理想が高い解答者が、上記の考えを十分に理解した上でPC解答を行うのであれば支障はそうない。しかしながら、それを正しく理解できない解答者が安易にPCに手を伸ばしてしまっては、「鑑賞」そのものの価値が下落してしまうおそれがある。「誤解答で将棋ソフトに文句をつけたりする」ような人はいないと信じたいが、それは論外としか言いようがない。

もしPCで解くのが当たり前の時代が来てしまったら、詰将棋界は崩壊してしまう。そこには手触り、職人芸を味わう過程は存在せず、それを伝える努力も自然と消えてしまうだろう。この世界に入る若手の方には、PCを使うことにはよくよく慎重であってほしいし、もし使用する際には謙虚であってほしい。
また自力で解答することの尊さを、先人たちも伝える努力が必要である。近年、変化紛れをPCで処理した感の強い作品が散見される。作品の完成度のためには悪くないのかもしれないが、作者が読みきらないものを解くことには虚しさを禁じえない。そういった作品を出題することにも、謙虚になっていただきたい。そうでなければ、誰も自力解答などしなくなるだろう。解答募集の方法を考え直すのも一案であろう。

PC解答は今後の詰将棋界において非常に重要な問題であり、そのリスクとベネフィットを勘案した上で許容されるであろう。しかしその使用については、安易なものとならぬよう、作家・解答者らがその制限についてよく考えて行うべきである。

ちょっと論文風にまとめてみました。

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