goo blog サービス終了のお知らせ 

Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値11(江戸時代の心性2)

2023-01-09 11:31:49 | 論文

 思想家発生の時期を見てみると、第一期については朱子学の官学化と戦国武士的エートスの陽明学による吸収の状況が中江藤樹に見られ、新社会秩序の幼年期と旧社会秩序の成熟期が重なっていることが熊沢蕃山からもうかがわれる。成熟を示す現象は多様な価値を受け入れる状況に示されている。しかし陽明学は第二期には勢力を失った。山鹿素行などは朱子学も陽明学も否定し、(儒教)古学の祖となると同時に武士道の体系家として後世に大きな影響を残したことは旧社会秩序の価値の思想的結実といえるのではないだろうか。またこの時期、例外的状況として契沖が国学の祖となる活動を行っていた。

 

 それに対して第二期は朱子学の成熟化とそれに対する反発の現象が見られる。朱子学の成熟化は貝原益軒や新井白石による格物致知の追究に見られるが、主流となる現象は成熟化であり、形式化した朱子学に対する人間主義的な反発であろう。伊藤仁斎や荻生徂徠らの古学が第二期の特徴をなしており、青年期といえる。同時に朱子学からの強烈な反応もあり、それが山崎闇斎である。官学との論争は荻生徂徠をして社会秩序側に押し上げ、江戸時代の思想は頂点を迎えた。古学と同じ理由から成長をはじめた国学は賀茂真淵に見られるように少しずつ成長していった。例外的状況としては安藤昌益の思想が生まれた。またこの時期は社会の安定により、経済が成長したことを裏付けるかのように、主な思想家が支配階級であった武士ではないところにも注意を払う必要があるだろう。伊藤仁斎、山崎闇斎、賀茂真淵、安藤昌益は武士でなく、大衆への思想普及といえる石田梅岩の心学は大衆への思想の到達という側面ももっていたといえる。

 

 第三期は荻生徂徠から流れ出した。客観世界としての自然解釈は外されたが、人間社会については経学が生まれ、太宰春台、本田利明に引き継がれた。成熟を示す批評精神は富田仲基、山片蟠桃に現れた。徂徠の射程範囲外であった自然解釈については三浦梅園によって始まり、新社会秩序の幼年時代としての蘭学の発展は翻訳から始まった。杉田玄白や前野良沢らの活動が挙げられるが、この時期、蘭学は学問的、経学的関心にとどまっていた。第三期は商人的思想が武士階級に波及していく時期にもあたり、海保青陵の人間関係の解釈にその現象が見られる。

 

 また、古学が荻生徂徠で大成し成熟を迎えたのに遅れて、国学が本居宣長により大成を迎えた。この現象は例外的現象ゆえであろう。第二期の安藤昌益、この時期の三浦梅園も例外的現象であったが、辺境であったため後継者が育たず、引き継がれることがなかった。第四期は蘭学を学んだ者の中から実学、兵学の大家が現れる。それと同時に政治的イデオローグとして情動的な平田篤胤や吉田松陰といった指導者が現れた。

 

 閉鎖的なモデルとして、日本の「江戸時代」における社会秩序の質的な心理変動について、特に「心性の四期」の例として考えてきた。シュペングラー的な内向型の価値変容について江戸時代を例として見てきたが、こうした表面的な動きの背後に、この時代における日本人の価値、その生命あるいは運命のようなものを観照することができるかもしれない。これに黒船といった外部力が加わって、日本人は「明治維新」という応戦を行うこととなった。

 

All rights reserved to M Ariake

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文明と価値10(江戸時代の... | トップ | 文明と価値12(明治維新以... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

論文」カテゴリの最新記事