L-20lonesomelife

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

「変わったのは世間ではなく自分」

2024-03-27 06:11:23 | 愚痴
少し思った。
変わったのは世の中の風潮ではなく、自分の方なのかもしれないな、と。

昔から世の中はいい加減で嘘ばかりだった。
世間ではデマが垂れ流しだったし、詐欺や事故物件が右往左往していた。
今と変わってない。
昔と変わってない。
自分は完成度を望み、平和を望み、自由を望んだ。
最後に安定を望んでいる。
昔の理想と同じ。

変わったのか?今は。
昔と違うのか?

変わったのは年老いて完成度を望み過ぎている自分の方でないのだろうか?
出鱈目な時代。
それが今なら昔も同じだな。

昔は出鱈目でいい加減だった。
今は細かいものが増えたけれど、基本構造は同じ。
ただ、道具が変わっただけだ。
そう思う。

変わったと思ってる自分の思いが変わっただけなのだろう。
今現在、最新の道具を使うということだけが変わった。
それは、道具の変化を受け入れたら、それだけでいいのかもしれない。
あとは昔と同じように、出鱈目に生きていけば。
それで、それだけで良くないか?

デジタルでいろんな事が便利になったと思い込んでる。
でもねぇ、我々というか人間の生活の仕方はむしろ窮屈になってる気がしないか?
1日の仕事の時間が終われば 会社、職場という場所から離れ そこからの時間は何をしてても他人には分からなかったのは昔である。
当然、何してるか不明だから自分以外の人については全く感知できない。
それを考えたら不安要素なのかもしれない。
が、逆に「そんなの関係ない」と一切 忘れてて良い。

今はいつでもどこでも連絡がつくし、ややもすると他人が自分の居場所を知ってたりする。
画像も見えるし、町じゅうのカメラで録画されていたりする。
監視されてる牢獄の中に似てる。
それが便利と思うならそれでもいいけれど、生活の中に楽になった、幸せの度合いが大きくなった、と言えないと思う。

人の噂も75日
不透明な人の噂さ話はちっちゃな事がどんどん膨らんで町中に広がる。
ややもすると隣町まで広がり国じゅうにすら広まる。
デマも広まるし、良からぬ噂を作為的に言い振り撒くこともあった。
今は昔と違って噂の真偽をネット検索して調べることが誰でもできる様になった。
と、そうは言っても、やはり同じことがネットの中で行われてる。
場所が生身の人の動く空間をから物理的に狭い空間であるはずのネット環境の中だけで完結する様になっただけ。
人の噂も75日
ネットの中でも同じことが繰り返されてませんか?
昔も今も人の世の中は同じだなぁ。

結婚しない若者も増えた。
家庭に未来を感じない?
子供との生活の幸せ感は味わってみないと分からないのだけれど、経験する前に、あるいはそれにチャレンジする前にネットやSNSの情報で幻滅してるんじゃあないのかな?

そういう時代背景に「発展した」という言葉を当てはめて良いものか。
でも、やはりそこは若者はパワーがあるから、時代なりの行動を取ってるらしい。
ある意味、反抗精神とでも言おうか。
一筋縄ではいかない連中が出てくる。
そういう若者には、言わずもがな年寄りが「今の若者は~」と話し始める。
つまり、道具が変わり、やや生活環境の変化があるけれど、人と人との世界は同じ土俵の上で切磋琢磨してる。
そういう様に 人の生活としては同じ暮らし方じゃあないのかな。

しかし、今の環境の流れも結局は昔の様に放浪されて流されて落ち着くところは本来の人の手による生活にもどるでしょうね。
新しい機械も、遊びもたいていはかつてから存在していた伝統のもとに戻って来た気がします。
肉体的に楽をしようとして様々な機器を投入した。
そうして得た仕事の短縮でできた時間でトレーニングジムに行く。
そこで汗をかくことは、なんだか合理性にかけてる様にも感じますがね。
生活の中で生きるために汗をかいて得た報酬こそが最も尊くあるいは愛おしく感じませんか?

六十数年 生きてきて感じるのです。
人は今も結局は同じことをしてるなぁ、と。
ちょっとだけ形を変えてみただけ。
変わったのは私自身が歳を取ったことだけだな。
ちょっと、身体が不自由だな。
そこだけな、そんな感じだ。

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