コミュニケーション障害の改修のために癖を修正する手順を探すのが必要と感じる
自己診断です
意識してみた
日常の現象をどう考えてるか?
さまざまなことに対して否定的だな
確かに普通の逆サイドを探してる
世論的に多くの人が考える方向と逆さを意識している
「宝くじを買った。当たればいいな」
ではなく、
『宝くじを買った。外れたら嫌だなと思うから当たってほしくない、と先に考えておこう』
みたいな
それが自己を矛盾に晒してる
深層心理に
「当たって欲しい」を持ってるから。逆さに自己を求めることで
何も無かったことにしようとする
でも、それは更なる自己矛盾を起こす
でもってそれが日常の会話にすら発生してる
言葉が矛盾を通過してから出てくる
なので、意識が道に迷う
言ってることと、やってることが狂い出す
さらに考えてることまでが迷ってくる
簡単に
「素直でイイ」
と言われるが
意識が迷うと「素直」が見つからない
前提として
恐怖があるのだろうとも思う
それは人間に対しての恐怖ではないか?
人間が恐怖を持ってやってくる
どこが怖いのか?
害を与えられた事があったから?
トラウマとも言われる
被害妄想とも言う言葉が付く
確かに成長過程で校内暴力に出会ったことがある
でも、例えばもっと上の世代は戦争にも出会ってる
そう言う人たちはどうなのか?
だから自殺者がいる
私の知らない世間では私の想像を超えた数の人たちが死んでいる
あるいは今でもそう
2003年頃には、年間で3万4千人くらいの人が日本国内で自殺してる
私一人
十人、百人、千人、一万人 それが3倍以上
一年にそれだけ自らが自らを殺す選択をする
それをどう受け入れるのか
当然、苦しいからその選択をする
みんなが同じ意味や理由ではない
が、おそらく 似た感覚を感じる
自己肯定、自己否定というレベルではない
しかし、発起点は似た場所ではないだろうか?
喜怒哀楽がなければ存在しないのか?
感じなくなればイイというモノではない
感じ方の道に迷わなければいい?
自らの意識を受け入れる手順、順序か?
道草が多いな
道案内が欲しい
だから思考に補助線を引けと茂木健一郎さんは言った
それでも癖は治らない
まだまだ、先は長いな
時間がかかる
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