66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

終活

2022-05-18 10:39:27 | エッセイ


終わりがそこまで迫ってる感覚。
或いはそんなに意識せずとも次第に感じてくるのではなかろうか。
身の回りの整理整頓。

私の父の場合は予期せずやってきた。
75歳。
風邪をこじらせて肺炎で病院へ。
そのまま戻ってこなかった。
父には感謝しかない。
色んな意味で。
父の最後の瞬間の前三日間、父の病室で付き合った。
隣の心電図の機械、心拍数が下がり始めた瞬間を感じ、自分から看護師に訴えた。
もうすでに意識が無かったけれど、身体が必死で三日間生きようとしていた。
下半身は既に冷たいのにまだ生きようとしてる。

命ある意味はあっけないけれどそれでも生きる意志は身体に宿ってる。
きっと意識はオマケだろう。

だから終活なんて自然と身体が教えてくれそうに思う。
頭の中でどうしようもこうしようもと考えたって、恐らく自然と共に進んでるのは自らの身体そのものじゃあないのかな?

むしろ終活っていうのは老後の生き方を簡素化するための生き方のひとつでしょ、きっと。
それならば賛成です。
まぁ、子供は育てていく過程が醍醐味の一つ。
そして死んだ後に子孫が色々と後の世話を看取るのが気持ちの成長に貢献するじゃあないでしょうかね。
私の父のように死の前後を見せつけてくれた。

だからきっと私は父と同じような最後を迎えるんだろう、と気持ちを一つ腹に落とせてます。
ある意味、ただの虫ケラのような心臓が動いてるだけ生命体の人になったところを。
どう感じるのかはそれぞれでしょうけれど、わたしは納得できた。
生き様、死に様が自分の意識にまで感じられた瞬間。
これでいいんだと。
コメント
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