先日 MRIを撮った。
椎間板ヘルニアだそうな。
足の痺れの原因を調べるためである。
脳には特に問題は見られなかった。
結局は痺れは治る様な気配はない。
当然 目で見えるような大病ではない。
思うに 医者の検査でわかるものはとても大きく 変わった内容が見つからないと判らないのではないか?
そう感じる。
それでも苦しいのは自分自身なのである。
他人には分からない。
この生きづらさは医者も分からない微々たるものなのだろうな。
その微々たる所で苦しんでいる。
それが他人には分からない。
それほど微々たるものであれば気持ちの持ちようで変わりそうな気がする。
裏を返せばそれほど気持ちの持ちようが大事ということではないのか?
他人には分からない大きな差があるという事なのではないのか?
その時の気持ちでどんでん返し。
「楽をする」ということは「気持ちをケアする」ということ?
したがって、楽をする事によって病気が治ることが多い気がする。
だから喜怒哀楽によって変化する世の中ができあがる。
苦しむのは自分だ。
楽をするのも自分だ。
他人には分からない。
わからない他人をデジタル化した情報というものがある。
SNSによって他人の評価が飛び交う。
それを後押しするマスメディア。
病気になるのは自分なのに他人がそこをとやかく突き上げて心がどんどん疲弊する。
病気が悪化しても他人には分からない。
分からないのにインターネットの世界が生き物のように他人の身体を蝕んでいく。
「大きなお世話!」
「他人は黙ってろ!!」
「外野は黙ってろ!!」
「芸能人」という存在も「皇族」と言う存在もそういう「役目」は「人が創った」文化だ。
生身の身体や肉体を扱う次元じゃない。
ましてや「皇族問題」も皇族から離れたら「ただの人」。
病気になってまでも口を出すのは論外であろうな。
ウイグル人の虐待問題とさして変わらん気がする。
情報化した人の肉体をおもちゃを壊すように壊していく。
他人事だから。
手のひらの上のおもちゃと同じだから。
まぁ、言うてる私の言葉も
それを人ごとと言えばそれまでだけどね。
じゃあ私は私の保身だけを考えようか。
私では無い あなたの生死や肉体の問題も見ない聞かない触らない、に限るんでしょうね。