前回、前々回から続いており、今回は訳文です。一番枚数が多く7枚になります。
このような訳でいいのかどうか分かりませんが、故事の引用やら何やら表現も難しく、著者の范曄が頭がとても良い人だということは分かります。
しかし、宦官はメチャクチャ貶されてます。
確かに十常侍のように強欲でロクでもない方々もたくさんおりますが、もっと悪い人はたくさんいるでしょうに・・・。
いつになるか分かりませんが、次回はこの訳文をもっと簡略化してふざけた書き方をした「砕けた訳文」と少し画像を入れたものをアップしたいと思います。
後漢末期の宦官は本当に悪質だったので、下げずまれるもの仕方ないですが、
滅私奉公した宦官も多数いると思います。
まあ、本当に後漢末期は異常でしたが。
でも、後漢書を書き上げた作者も、不名誉な最期でしたし、
宦官の事、あまり言えないですね。
鄭衆さんの場合は非常に大きな手柄を立てたので、
高い地位に就くのは当然だと思います。
ただ、宦官だったから、宦官が権力を持つ始まり、と言われてしまいますね。
功臣が権力を持って、一族が虎の威を借りても、
功臣が権力を持つ始まり、とは書かれませんものね。
まあ儒教の影響が強かったと思います。
忙しい中、お疲れ様でした!
また次回を楽しみにしてます!
注釈は飛ばそうかと思いますが、以前の漢文も全て訳したし、全部訳すると言い切ったので訳すことにします。
鄭衆さんや会長の時代の宦官は2万人ぐらいいたと思います。明末期では10万人ぐらいいたという話です。
殆どの宦官は雑用に従事していて老いたり病気になれば追い出され、静かに生活していましたものね。
中常侍以上になれた宦官など僅かです。
そういえば范曄も班固みたいに刑死しましたものね。
鄭衆さんは初めて養子を持ちましたので、ここも評価を下げてるのではないかと思います。
おそらく取り入ろうとした県令やらに息子をもらってと頼まれたのでしょう。会長はそんな感じです。
しかし、後年の宦官との違いは鄭衆さんも会長も親類縁者を役人にしたという記録は残ってないことです。
まぁ、儒教の教え前提になってますので、どんなに功績を上げても、控えめであっても宦官であることが人間失格とされてるので公平の目で見てもらえないですね。
次回には、なるべく早く何かアップするようにします。
鄭衆さんは宦官が権力を持つ始まりと言われるようですが、それは後漢の宦官を知る後世からの視点ならではの視点なのかなと思いました。鄭衆さんの活躍した当時は、その功績を讃えられてたのかなと。
くだけた訳文も楽しみにしてます!
確かに当時の人々からは何が善で何が悪などと判断できません。
数百年も経ってから当時の事情を知らない人間が結果だけを見て勝手に評価していますものね。
竇憲や梁冀などというやりたい放題だった外戚を排斥したのが宦官ですが、どんなに功績を上げても宦官というだけで善人だろうが悪人だろうが一括りにされてしまうところが悲しいですね。
体調を崩し、ブログも長くお休みさせていただいています。
なかなかブログの復帰ができませんが、ぼちぼち訪問させていただきます。
今回の翻訳も大作になりましたね。
鄭衆さんの登場もあったりで懐かしく拝見させていただきました。
まずはゆっくりとお休みして体調を戻してください。
私の方は、実家の親が入院、そして施設へ入所と落ち着かない日々が続いています。
趣味は3か月以上もお休みしていました。
様子を見ながら続きを作る予定です。