今回の列伝もヤフーのブログからの移行です。
列伝訳は李延年伝(史記・漢書)、李夫人伝(漢書・外戚伝)、周章伝、何敞伝、清河孝王伝(後漢書)ありますが、少しずつ移行していきます。何敞伝、清河孝王伝はキャラ漫画付きです。
蔡倫さんや李延年さんのお墓はありますが、鄭衆さんのお墓は不明です。
後漢書鄭衆伝によれば彼の出身地は「南陽犨(しゅう)の人なり。」ではそれは何処なのか?と。
後漢書志第二十二郡国四によれば「南陽郡は荊州に属し、雒陽(洛陽)から南の七百里、三十七の城がある。」とあります。
漢書地理志第八上によれば、上記の南陽郡の中に「犨(県)」という地があり、その場所は「河南、魯山東南五十里」ということです。
また、「犨(県)」は前・後漢、三国、晋の時も変わらず、隋以後に行政区域としての名称が消失し、その地は魯山県に合併されたということです。
この犨の地は春秋戦国時代は楚国に属し、犨城という城がありました。犨城は春秋の時に楚国の(都市・邑)になり、今は河南省平頂山市魯山県張官營鎮の西の約2.5キロメートルに位置し、鎮管轄区内に犨東の古戦場と犨城の遺跡があるということです。
彼の出身地はこの犨城の周辺ではなかったのかと思われます。
彼のお墓の有りかが分からないので、昨年8月には上記犨城跡と封地方面(新野)に行って来ました。(ヤフーブログで旅行記事にしていたものを一部抜粋しています)
前置きが長かったのですが、後漢書鄭衆伝の原文、訓読文、書き下し文、訳文の順で載せています。
3DCGで鄭衆さんキャラを作っています。下の二つの画像です。
最後に鄭衆さんの出身地周辺(河南省平頂山市魯山県張官營鎮)犨城跡入り口の写真です。
トウモロコシの背が高く、城跡らしきものは全く見つけられませんでした。
お付き合いありがとうございます。