おでかけZIOさん

さ迷い人でも言いましょうか、さしたる当てもなく、場所を時間を彷徨っております。

下宅部遺跡

2018-01-09 20:30:20 | ちょっことお出かけ

好天が続いています。
そこで以前より気になっていた下宅部遺跡を訪ねて見ることに。
JR、西武鉄道と乗り継ぎ東村山駅に到着、まずは東村山ふるさと歴史館に行って情報を仕入れましょう。
猿田彦神社への案内板を見かけます。後ほどと思って通り過ぎてしまいました。

諏訪神社の手前の和菓子屋さんのウインドウで美味しそうないなり寿司を見かけ購入、昼ごはんを確保、さあぁせっせと歩きましょう。そのちょいと先に歴史館がありました。

その歴史館で、この辺り、東山道武蔵路が、そして中世には鎌倉古道が通る地と気づかされ、なるほど猿田彦が道案内でいるのも肯けます。寄っておくべきでしたと、ちょいと後悔したのでした。
東村山ふるさと歴史館の展示はさらっとおさらいする程度、下宅部遺跡関連出土品は八国山たいけんの里にあるとの事、マップをいただいて進みます。
 
 
その前に外せない場所があります。正福寺地蔵堂です。
マップを頼りに西に進むとまもなく正福寺の大きな屋根が見えてきす。
そして地蔵堂も。1407(応永7)年の見るからに端正な建物です。
東京都唯一の国宝建築物、円覚寺舎利殿と並ぶ室町唐様建築の禅宗仏殿とか。
その反りの見事なこと、伸びやかな垂木の素晴らしさ、三手先の詰組組物の斬新さ、花頭窓に波形欄間、願いが叶い目にすることができおおいに感激したのでした。
 
そこから東村山市立八国山たいけんの里へ。
小さいスペースながら出土物の展示に軽い興奮を覚えます。
ボランティア・ガイドの方の説明を聞きながら、先日読んだ工藤氏の著書に掲載されていた、そのものを目にし感激倍加です。漆の樹液採集から製品までの過程を見ることができ、また現代にも引き継がれている編組製品の存在を目の当たりにする、その感動は衝撃的です。

 
 
館を出、下宅部遺跡へ。当然埋め戻されていますが、縄文人に思いを馳せて見ました。
ここは八国山の入口、ちょうど昼時、先ほど買ったおいなりさんを頂くことにしましょう。
なかなか美味しい。突然の思い付き、〇でした。
 
今日の第二主題、八国山ハイキングを始めましょう。
武蔵野の雑木林が残っているという、確かにそんな感じの尾根道でした。
  
この尾根道の北の端に将軍塚がありました。
そしてその下に久米川古戦場跡が。
この辺りを東山道が走り鎌倉街道が走っていた要所だったのです。
朝日将軍新田義貞が旗を掲げ、鎌倉幕府軍とこの地で戦った場所と言う訳です。
元弘3年(1333年)分倍河原の合戦です。
(・_・D フムフム、そこから板碑保存館のある徳蔵寺に足を運びましょう。
ここに元弘の碑がありました。太平記の記述を裏付ける貴重な板碑です。
この1週間後、新田義貞は稲村ケ崎に突入し、鎌倉北条氏を滅亡させたことになります。
 
と言う訳で、今日はここまで、ミッション終了。
なかなか味わい深いお出かけでありました。
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あけおめ

2018-01-05 00:28:08 | ちょっことお出かけ

あけましておめでとうございます。
正月三が日、何処にも出かけないのではハンドルネームに申し訳ありません。
と言う訳で、初詣と山歩きの欲張りプラン、年末の流れで千葉の清澄寺を選択したのでした。
ボトルネックの千葉ICを何とか通り抜け、木更津JCで海蛍と反対方向内陸部へ。
県道81号線で元清澄山側を通って清澄寺到着です。
初日の出日本一の看板にちょいとど肝抜かれながらも、ここは日蓮上人、立宗の地、
洋上に上がる陽の出に御題目を唱えたと、そうした光景に出会える地なのだと、納得しました。
兎も角参拝しましょう。
 

ご朱印も頂いて、境内巡り。

本堂の裏山、妙見山(377㍍)に。奥宮、妙見堂がありました。

千葉氏が信仰した妙見信仰、太平洋を望むこの地で北天を見上げる感覚がいいですね!
下って千年杉を改めて見上げ、

日蓮宗感得の地、旭が森を訪れます。
四阿からの太平洋は素晴らしい。元旦の日の出にはさぞかし賑わったと容易に想像できました。

 
先のお堂付近から富士山も遠望できるとのことでしたが、雲が出ていてかないませんでした。
さて、そこから?
予定では元清澄山に行く予定でしたが、あんまりのんびりし過ぎて、無理そう。
予定変更、麻綿原までゆっくり歩いてみることに。
一杯水林道を歩いていく。と、道半ば過ぎで土砂崩れ。
ゲート前の通行止めの表示はこれだったのね、と一人納得。
 

越えていくこともないので、ここでUターン。
途中の陽だまりでランチ、それこそのんびりハイキングでありました。
こんなお花も見かけました。アザミ、ハハコグサ、サギゴケ
  
帰りは鴨川のほうに下り、海鮮御膳に舌鼓打っての帰宅となったのでした。
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