おでかけZIOさん

さ迷い人でも言いましょうか、さしたる当てもなく、場所を時間を彷徨っております。

三昧塚古墳

2018-06-17 16:02:18 | 常陸の国から

梅雨時のつかの間の晴日、ちょっと出かけて見たくなるものです。
ここからだと常磐道沿いを、渋滞のストレスが無いのでつい選んでしまいます。

新聞の美術館・博物館情報から茨城県立歴史館チョイス、行ってきました。
歴史館に着いてみると何かいつもと違う感じ。
そう、本日は「歴史館まつり」なのだとか。したがって入場料も無料とのことでした。
  
そして、三昧塚古墳出土品重要文化財指定記念、企画展「三昧塚古墳と船塚古墳」展が開催初日でありました。
これはラッキー、学芸員の解説付きで一昨年「三昧塚古墳展」以来のお宝を目にすることが出来ました。
三昧塚古墳の目玉の
金銅馬形飾付透彫冠を改めて凝視しました。
5世紀後半の前方後円墳だとか、馬と鉄、これが腑分けの鍵なのでしょう。
馬具の取り付け金具が熊本・
江田船山古墳のものと同質性があるとのこと、そしてワカタケル鉄剣銘で有名なさきたま古墳群・稲荷山古墳と江田船山古墳の同時代性が言われている今日、ワカタケルと称される雄略帝の頃の常陸を垣間見る思いです。
戟(ゲキ)も展示されていて興味深いものがありました。
船塚古墳の出土品も併せて展示、この古墳は6世紀中頃とか、三昧塚古墳とは半世紀の間がある。
船塚古墳は
今城塚古墳(継体帝)と作り出し等、相似形だと言う。
比べると埴輪が一回り大きくなり、円筒埴輪の突体の数も多く朝顔形埴輪も出現する。
なるほど、面白い。けれど、即ヤマト王権、云云かんぬんは、少し間を取りたい。
さて、館を出て、お腹が空いた。今日はお祭り、出店が出てる。常陸牛丼を頬張ってランチに、グットタイミング。
これからはフィールドワークに移りましょう。
霞ヶ浦周辺の古墳の推移は4C勅使塚古墳➡5C船塚山古墳➡5C~6C三昧塚古墳➡6C大日塚古墳・船塚古墳
これらをピックアップしながら巡りましょう。
まず、千代田石岡ICから近い船塚山古墳から。
  
ここは一昨年も回った記憶があります。なかなか大きな古墳です。
群馬・太田天神山古墳に次ぐ東日本第2の大きさだとか、立派です。
墳丘はブタナの花盛り、この頃よく見る光景です。ネジバナ(モジズリ)も咲きだしました。
隣の府中愛宕山古墳、ここも再訪となります。
  
さて、ここから三昧塚古墳を目指します。ここは直ぐ探せました。
近くの親子つれが訪れて遊んでいました。そんな光景が似合う場所です。
 
 
次の目標、勅使塚古墳と大日塚古墳がなかなか見つかりません。
そして、やっと林の中に大日塚古墳を発見、昔より神聖な場所、猿田彦が祀られていたのですね。
 
 
勅使塚古墳は見逃してしまいました。(家に帰って古墳マップで確認)
よくあることです。
霞ヶ浦湖畔を伝って移動、大井戸古墳へ。
 
ついで、愛宕神社のある愛宕塚古墳を訪ねてタイムオーバー。
  
今日の古墳逍遥を終了することにしました。
感想は、常陸の国は、筑波山霞ヶ浦(香取の海)に集約されるのではないか、ということです。
どの墳丘の頂上からも筑波山がよく見え、棺をその延長線の軸線合わせているように見えるし、
縄文海進時の海の侵入を思い、船塚のネーミングを各所に見るとき、そう思えるのです。
 
穏やかな霞ヶ浦の景色が何よりも心に残ります。
夕景を、そして蓮の花咲くころ、また訪れたいと思うZIOでした。(6/16)


三昧塚古墳展

2016-10-23 18:11:40 | 常陸の国から

新聞の美術館・博物館案内をチェックしていると、幾つか気になる所がでてくる。
それを行けそうな時にはと、記憶の倉庫にしまって置くのだが、そんな都合の良い日が珠にはやって来る。
今日はそんな日、水戸の茨城県立歴史館「三昧塚古墳とその時代」展に行く事にした。
博物館開場の時間9時にあわせて家を出る。
やや車が多い。秋の行楽シーズン、常磐道だからこの程度で済んでいるのだろう、と独り納得了解。
予定通り、9時過ぎに着いたのだが、開場は9時半、ままよ。
周辺を散策、旧水海道小本館や銀杏並木を見ながら待ちます。
 

さて、その企画展、古代香取の海を根拠として活動した首長達の紹介、といった所でしょうか。
以前、霞ヶ浦市を中心に古墳巡りをした事があるのだが、今回の三昧塚古墳は行方市に広がっている古墳群の一つ、興味深く拝見しました。
明治大学の考古学教室、つまり大塚初重先生と関係が深いようで今回も講演会が企画されていました。
(残念!聞きそびれてしまいました。でも、元気になられたようで良かったです。)
今企画展の目玉は馬の飾りの付いた金銅製の冠でしょうか。
5世紀後葉から6世紀初め築造と言われる三昧塚古墳、倭の五王時代を経過した後の東国の姿なのでしょう。威信財としての馬、そして金銅製装飾、円筒埴輪に取り囲まれた古墳、首長はどんな世界性をもっていたのでしょうか。毛の国や総の国との関係性をもっと深く取り上げてもらいたいものです。
その後、常設展も見学、あの虎塚古墳の復元があったりして愉しませてくれました。

  
そこから何処へ。
大串貝塚に針路をとったのですが、此処はダイダラ法師伝説が残る遺跡、以前も立ち寄ったことを思い出す。取り敢えず復習を兼ねて資料館を一巡り。
 
お腹が空いてきた。昼時、此処は大洗が近いと言う事で、海鮮丼がちらつく。
ここは正直にお腹の指示に従うことにしした。
ついでに(失礼)、大洗磯前神社にご挨拶。
祭神は大己貴命と少彦名命、国つ神である。
その場所はなかなかのロケーション、正月一日に行われる歳旦祭を見て見たいものです。 
 
次に馬渡埴輪製作遺跡へ。
 5世紀末から6世紀にかけての埴輪の大工房跡なのだとか。
生垣で住居跡や窯跡を示していた。今は花菖蒲園にでもなっているのだろうか、そんな所である。
粘土がとれ、燃料の樹木が豊富、そうした所は日本中、何所にもありそうだ。
 
そんなこんなで時間はすぐ過ぎる。
帰りながら、もう一か所と言う事で、再び水戸市内に戻って県内一の規模と言われる愛宕山古墳へ。
今は後円部に愛宕神社が祀られ樹木に覆われていて、全体が見渡し悪くなっている。
ただ、足下を那珂川が流れ、古墳の適地であった。
そして、水戸が那珂川の側に発展した町であることを再認識させられたのでした。
常陸風土記にある、曝井も脇にあり、その地の歴史の古さも感じさせてくれる場所でありました。(10/22)