連邦準備制度 (れんぽうじゅんびせいど)
Federal Reserve System, FRS
アメリカ合衆国の中央銀行制度を司る企業体で、ワシントンD.C.にある連邦準備制度理事会 (Board of Governors of the Federal Reserve System または Federal Reserve Board, FRB) が全国の主要都市に散在する連邦準備銀行 (Federal Reserve Banks, FRB) を統括する組織形態を特徴とする私立銀行群。英語では主に the Fed と略称する。 (ただし正式な略語では無い)
日本での略称は FRS だが、実際には連邦準備制度と制度を運営する「理事会」はあまり区別されず、両者とも FRB と呼ばれることが多い。また、連邦準備制度理事会の長は議長 (Chairman of the Federal Reserve Board) と呼ばれる。2006年 2月 1日からはベン・バーナンキ議長。
( wikipedia 画像は、私の里美術館にて添付した。)
2017 02 06 あっと驚く、ためごろう。 【わが郷】
2013 09 23 イエレン氏、FRB議長就任なら厳しいトーン出す 【WSJ】
イエレン氏を次期FRB副議長に指名-オバマ米大統領 2010 04 30 【bloomberg 】
2013 09 05 消えるエルピーダ、巨大になる Micron 【pc.watch】
たとえば上の記事で、エルピーダメモリ が Micron Technology によって、総額 2,000億円で買収されるとしても、この 2,000憶円は FRB傘下の金融などから、都合つけられたものだろう。つまり、銀行など金融事業者は、借り手がいればお金を 『エイッ、どろん~と、印刷』 (是が銀行などによる「信用創造」とか、「金銭消費貸借契約の成立」とか云われる、信用の現金化) してしまえばよいだけの事だ。つまり金融は 「打ち出の小槌」 をもって、ひと振りすれば、エルピーダメモリを煮て食おうが、焼いて食おうが、勝手気ままにできる。ならば、なにも米国関連の企業の餌に差し出すことは無い。つまり、日本の金融機関が 「金を印刷して渡せば済むこと。」 (この場合、当然のことながら、エルピーダの再建計画書が作成されねばならない。たとえば、日本独自の先端技術をもって、新しい高額な電子部品を製造する。そして、それを日本の自動車業界とか、情報機器メーカー、あるいは航空機産業が引き受ける。) だったのだ。ところが、こうは出来ない「事情」が日本の金融にはあるのだろう。つまり、日本の産業界は、米穀などの金融と、その用心棒である軍とか、その隠然とした暴力実行組織、■■■とかにめっぽう弱いのだ。
平和時こそ思想のトレンチは深く掘れ
(つまり、これって経済戦争だから当然の事、命がかかっている。アッチはその気でやっている。)
政府が金持ちから借金をする。
この方法が国債を発行して、生保とかの保険業界、それから日本郵政とか銀行などの、金融に買ってもらうのだ。買ってもらえなければ、日本の国家財政は破綻する。よく外国から買ってもらっていないので、日本の国債はデフォルトつまり破綻はない。とか言っている莫迦者がいる。国家財政が破綻したから、国債が発行されているのだ。
つまり、馬鹿者には、自分が馬鹿者なのは、分かるハズもない。
そして日本の政治が、これら金持ちの言いなりになっているのを、国民は知らされていない。
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『半沢直樹』 のドラマで言えば、日本の金融庁がどうしても、伊勢志摩ホテルを「実破」(実質破たん先)に指定して、経営に横やりを入れる。金融庁の検査担当者が、自分の嫁になる娘の親の、その上司 (大和田常務) のために、権力を私物化した。このような、ドロドロの勝手気ままが、伊勢志摩ホテルの健全な企業再生とは無関係に進められようとした。
また、ドラマでは、アメリカのホテルチェーンの大手に、資本参加を許して、経営権を大幅に制約されてしまう。
これだって、この伊勢志摩ホテルに投資される資金は、どこゾやの金融が、『エイッ、どろん』 とやって生み出した、カレンシーにすぎない。
つまり、国民とかが知らないのを良い事にして、世界の金融は勝手気ままを為している。
(このような事が、ごく普通に、日常的に行われている。つまり是って、湯田菌が日本の産業に菌糸を伸ばして、枯らして腐らせる。そして栄養を、チュウチュウと吸い取ってしまう。こんなんでは、産業の森がどんどん枯れていく。このような産業を腐朽させる行為は、何も米国内の金融だけではなく、日本国内の大手金融もやっている。なので、わが郷では、コイツラのことをひっくるめて、 『 湯田屋 』 と呼び慣わしている。)
喰っちゃならないものを、喰ってしまうと……。
豚になる。(つまり、パナソニックのように、解体されて、肉にして売りとばされる。宮崎監督は、この辺りのニュアンスを、知っていて描いているのだと思う。)
グローバルな金融改革などという、とんでもない 『日本金融の武装放棄』 (金融の自由化) が、日本経済の富をこのようにして、米穀などの金融に毀損されつづける、環境を整備したのだ。これが、金融の高みから眺めた、失われた、20年の実態なのだ。
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