旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

松島の雄島にある餐霞亭主墓碑をめぐって

2011-01-12 23:43:38 | 水の道逍遥
昨年末に千葉県木更津市の方から電子メールが届いた。

その内容は、「雄島(宮城県松島町)にある餐霞亭主墓碑(さんかていしゅぼひ)に刻んである内容等について、教えて欲しい。」といったもの。
選擇寺(せんちゃくじ)のご住職 山本さんからのもので、貞山運河事典の中で紹介している「霊場 雄島」のページを見ての問合せだった。



▲餐霞亭主墓碑(宮城県宮城郡松島町雄島)


ご住職によれば、「餐霞亭主墓」と刻まれているお墓が、友人3人と遊学の旅の途中松島で亡くなった同寺檀徒の稲次家8代当主眞年(まとし)である事が分かったとのこと。



▲齋譽眞年居士墓(千葉県木更津市の選擇寺境内)


この眞年という人物は、年少にして詩を賦し、文にすぐれ、書道にも通じ、草書、隷書まで能くかけたと木更津市史では紹介している。

幸いにも、当方で松島町史の関連部分のコピーを持っていたので、それを郵送することができた。

    *

私もこの「餐霞亭主墓(さんかていしゅぼ)」には興味を持ち、掲載したのだった。
雄島の東端あって少し傾いてはいるが、とても趣きと存在感のある石碑だからだ。
今回のことで碑の建立経緯を知ることができ、そして山本住職の「年が改まったら墓参に松島を訪れたい」というご意向を伺い、つい“縁”というものの奥深さを思ってしまった。

なお、この碑は、眞年が病没したとき、荼毘(だび)に付して遺骨は郷里に持ち帰っていることから、松島の雄島に供養碑として建てたものと解される。

せっかくの機会なので、碑に刻まれている内容を紹介します。

    *

餐霞亭主墓碑       ※以下の内容は、読みやすいように加工してあります。 

 姓は稲次、諱(いみな)は眞年(まとし)、字(あざな)は子音、通称 作左衛門、南総の君去津(=木更津)の人、寛政八年(1796年)生まれ、文政十三年(1830年)奥の松島を訪れたときに病没、享年35歳、尾島(=雄島)の松吟庵の傍らに葬る
             木更津邑
     餐霞亭主墓
                   藍屋
  難面もかくれし月や啼蛙           雪空舎南悠
  行春と思へと尽ぬ名残かな         欣多楼爽章
  一羽かもて帰りはかなし鴈(がん)の声  孤坐亭一架
  春の葉も易くて消つ分れ霜         畔戸斎一川
      文政一三年庚寅閏三月

     *
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2 コメント

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石碑の建立者は扇屋主です (京野 英一)
2011-02-19 20:12:29
松島の宿で最も有名だった扇屋(櫻井)弥右衛門が建てたものです。
松吟庵は文政の頃この地より南側に位置していましたので、この石碑は移された可能性があります。
木更津邑 餐霞亭主が扇屋に滞在していたことがわかります。
また扇屋の自宅は仙台市に移築されて現存しております。
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深い話ですね (やまぼうし)
2011-02-21 23:05:34
京野様
これまた深い話ですね。この件にも興味がわいてきました。掘り下げてみたくなりました。
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