以前から興味を持っていた山形県最上町と宮城県加美町を結ぶ県道を歩いてきた。
※関連記事は ⇒ こちら
この道路は一般県道。加美町宮崎の切込地区と最上町赤倉温泉とをつなぐものであることから、切込地区の振興を考える上で重要路線と考えていたもの。
まずは最上町に移動。途中、ドライブイン「そば生産農家 おおう牧場」で昼食。もちろん“もりそば”の大盛。香り、太さといい硬さといい、絶妙。
水田があり、まだ奥にまで民家が続くかと思われる道を進むと砂利道に入る。林道かと錯覚してくる。
いよいよ山道。山神社が建っている。
三叉路に到着。
こちらは山形県側。
こちらは宮城県側。
田代橋を渡る。
草むらに上義勝沢の標柱。林の中に人の気配があるが、目で確認は出来ない。
またまた三叉路に出る。砂利道ではあるがそれほど悪くは無い。
県境に近い山形県側に、「奥羽山脈緑の回廊」の標識が建っている。
すぐ脇には、墜落死した自衛隊士の慰霊碑。どうやらきちんとお参りされているようだ。
碑には、次のように刻まれている。
雪峯に夢うるわしく眠る君と
永久に語らん国見の山々
哲夫
昭和四十三年一月十七日 十三時四十七分
紙西一等空尉 愛機と共に此の地に瞑す
昭和四九年 秋彼岸
宮崎山岳会 建立
この碑から西の空を見上げると、
慰霊碑と緑の回廊案内標識のそばにある道路標識。
また先を進む。道端に咲くヤマアジサイがとても綺麗。
付近のドングリ林。これでは熊が出るはずだ。
山形県最上町への道と二ツ石ダムの原石山への道の別れに立つ田代番所跡の標柱(場所は宮城県側)。江戸時代、山形県赤倉に通じるこの地で、特に蜜馬、蜜石の取締りを厳重にしたという。
この場所から東方を望むとこれまた雄大。
もう、宮城県に入っている。
ちなみに、これが原石を採取した山。ピラミッド状になっている。
やや進むと、また道路わきには2本の標柱。一本は田代番所跡、他方は田代分校跡となっている。分校は昭和初期まであったらしい。こんなさびしい場所での暮らしとは、いったいどういうものだったのだろうか。
付近の様子。道路は、二ツ石ダム建設の原石を運ぶため舗装済。
やや東に進む。こちらは、旧宮崎町(現在の加美町)の田代キャンプ場。
かなり荒れている。
ほどなく、二ツ石ダムのある寒風沢方面から登ってくる舗装路と、鳴子方面につながる「東北自然歩道 ふるさと緑の道(林道)」との十字路になる。
標柱はツルに覆われ、重たそう。次の画像は、林道の入口。この先は砂利道。
ここから、一気に宮崎切込地区に向かう。
(追記)
① 山菜取り、ドライブなどを楽しむ数組に遭遇。ドライブ中の女性二人には、切込地区まで案内をする。
② 道路標識が不備。舗装してとまでは言うつもりはないが、かなり人々が出入りしていることを思えば、せめて案内標識はしっかり整備されていたほうが良い。
③ 途中眺める奥羽山脈は雄大。新緑と紅葉の時期は、格別と思える。
④ 山野草ウオッチングもまた楽しい。
漆沢ダムのところから山形県尾花沢市上ノ畑地区を結ぶ最上海道(軽井沢越)は、深く記憶に残る歩きでした。
登山口までと下山口からの交通の便が難点ですが、いつかはまた行って見たいと常々思っています。
11年前に本田一郎様からいただいたその著『甦れ「最上海道」』は、今も大切にしています。
わたしの歩いた過去2回の様子は、こちらにあります。
https://blog.goo.ne.jp/zas_001/s/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E9%81%93
紅葉などの季節に歩いてみることをお勧めします。とても良いコースですよ~。
私も数年前歩きましたが、地元をこれほど詳しく取り上げていただきありがとうございます。
実は私も加美町の歴史研究グループの方達の講座などで最上街道のことをしりました。
今はコロナで活動は休みのようですが、関係者の方々も高齢化ということもあるようです。
道は整備されているのでドライブで訪れる方はいるようです。
これからも、よろしくお願いします。
ありがとうございます。