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旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

厚樫山(阿津賀志山)と医王寺【福島県】

2016-11-22 22:20:08 | 福島県の山

2016.11.20(日)は、飯坂温泉で開催される小学校時代の同級会に参加。
せっかくの機会なので、その前にかねてから興味のあった厚樫山(阿津賀志山)と医王寺に行ってみることにした。

厚樫山(阿津賀志山) 標高 289m

この山は、古くは国見山とも呼ばれ、文治5年(1189年)には源氏(頼朝軍)と藤原氏(奥州軍)の激戦があった地でもある。
そのとき造られた阿津賀志防塁は、山の中腹から平野部に下って阿武隈川岸に至る約4kmの二重の堀と土塁からなる長大な防御施設。
福岡県福岡市の元寇防塁、同太宰府市の水城大堤とともに日本三大防塁と称されているもの。

この堀を造るために延べ25万人が動員され、6カ月以上かかったと推定されている。

ときに藤原軍の総大将は藤原泰衡。
阿津賀志山防衛軍の最高責任者は藤原国衡(泰衡の異母兄で平泉の西木戸に館を構えていた)。



(左が厚樫山(阿津賀志山)遊歩道入口)


(国見町指定史跡 阿津賀志山画像碑群:嘉永6年(1853年)のころ行者佛源が国見山経が岡の中腹に大師堂を建立する際にその資金集めのために信徒に助成参加を呼びかけ、報恩として一石一像を刻んだもの。山頂まで随所に置かれている。)


(阿津賀志防塁の始点)


(山頂直下の駐車場:右手にはトイレあり。)


(山頂三角点:右は画像碑)


(山頂の展望台:近くにはあづま屋もある。)


(展望台からの眺望:右手は半田山、奥には吾妻の山並み)


(半田山)


(防塁の案内板の一部を抜粋・加工)


次は、国指定史跡 石母田供養石塔へ。
この石塔には梵字と塔婆建立の功徳の意を漢文で刻んであり、鎌倉時代の禅密合一の思想をみることができる特異なもので、殊に元の帰化僧寧一山(ねいいつさん)の書として貴重なものとのこと。
とはいえ、いくら目を凝らしてみても判別できなかったが・・・。



(民家の間にある石母田供養石塔)


次は、町指定史跡の石母田城跡へ。
こちらは果樹畑になっていた。



(石母田城跡)


次は、義経腰掛の松。





(ブルーシートで覆われたかつての松:かなり太い。)


(わきの案内板から拡大転載)


(すぐ近くにある国見神社)


次に、現在も発掘調査が進められている国道4号わきの防塁にも行ってみた。





(案内板に置かれていたリーフレットの一部をコピー転載)

 
次に移動した先は、福島市飯坂温泉の医王寺。

この寺は、天長3年(826年)に弘法大師空海作の薬師如来像を祀り、草堂を建てたことに始まると伝えられている。
平安時代末、大鳥城を居城とし、ここ信夫地方を治めていた信夫の庄司佐藤基治公の菩提寺ともなっている。

そのころ、平泉の鎮守府将軍藤原秀衡公のもとに身を寄せていた源義経公が源平合戦への旗揚げをした折、その子佐藤継信、忠信兄弟は忠義の厚い家臣として義経公に従っている。
そして兄の継信公は、四国屋島の合戦で義経公を射ようとする矢の盾となって命を失っている。
また弟の忠信公は、頼朝公から追われ、窮地に立った義経公一行を救うべく、京都堀川の館で義経公を装い応戦し、身代わりとなって討ち死にしている。
義経公一行は、平泉に向かう途中、この寺に参籠し遺髪を埋めて二人の追悼供養の法要を営んだという。

時は下り、元禄2年(1689年)陰暦5月2日、松尾芭蕉は「おくの細道」行脚の折に、この寺を訪れ句を詠んでいる。

  笈(おい)も太刀(たち)も 五月(さつき)にかざれ 紙幟(かみのぼり)   芭蕉



(薬師堂、佐藤兄弟の墓碑は正面奥にある。)


(薬師堂)


(佐藤継信公・忠信公墓碑)


(医王寺本殿:芭蕉句碑は向かって左手側にある。)


(芭蕉句碑)


※この継信と忠信の妻たちは、2人の息子を失って嘆き悲しむ年老いた義母(乙和御前)を慰めるため、自身の悲しみをこらえて夫の甲冑を身に着け、その雄姿を装ってみせたという。⇒ こちら


まだ時間に余裕があったので、大鳥城跡にも行ってみることにした。
ここは、舘ノ山公園になっている。



(西駐車場から上ったステージ広場)




(大鳥城本丸跡:けっこう広い。)


(本丸跡から望む福島市街地と信夫山方向)


(帰路に立ち寄った矢庫の跡)


2 コメント

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Unknown (morino)
2016-11-29 22:47:39
小学生の時に飯坂にいました。
医王寺、大鳥城跡・・・懐かしいです。
厚樫山は知りませんでした。
そのうち飯坂近辺を歩いてみようかな。
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Unknown (やまぼうし)
2016-12-02 01:34:15
morinoさん、こんばんは!
飯坂で子供時代を過ごされたとは。城跡に立つ姿を想像すると、井上陽水『少年時代』のフレーズが重なってくるのではと勝手に思ってしまいます。
厚樫山は気軽に車で行けるところから、子連れの家族や若いカップルなどに親しまれているようです。
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