●悪魔と踊ろう vol 1-2 祭りの前に
梅雨がおわり、夏が一番暑いと感じる時期だった。
平成2年8月
目覚めと同時に体のあちこちから、汗がにじみ出た。
昨日は盗人の現場で 、夜遅くまで指紋を採ったり聞き込みをしたりで、
帰ったのは夜の11時頃だった。
今日は朝から刑事当直。
普通なら土曜日の休日だが、刑事課には休みも何もない。
高知県の四万十川河口にある四万十市、歴史だけは古く
京都の公家、関白 一条教房(のりふさ)が、応仁2年(1468年)応仁の乱で、
この地に“流され”てから開けた町で
町のつくりも 一条通、大橋通り、京町、東山など、京都にちなんだ名前が付けられた
“土佐の小京都”と呼ばれているが、人口は3万人たらずの田舎町である。
この町の中村警察署 刑事課 鑑識係兼捜査係が当時の仕事だった。
最近、この町に盗人が横行している。
路上の車から現金を盗む車上狙いや、空き巣が頻繁に起きていた。
車上狙いは、ドアロックを見事に開けている。かなり手慣れた盗人だ、
被害にあった車の窓ガラスに、5ミリ程度のひっかき傷が付いている。
~まず、細い針金状の道具か、または~厚紙程度の薄く細長い金属をガラスの隙間に差し込み、
数秒でドアロックを開けているだろう。
指紋も出ない、目撃者もいない、かいもく手掛かりがないまま2ヶ月たち、
うだるような夏になった。
1ヶ月間、ほとんど休みらしい休日はない。
子供や女房も旦那の休みなんか、まったく気にしてない。
かってに、やっているようだ。
子供は女の子が2人、小学校4年と5年の年子だ、
毎日毎日、酔っぱらって寝るから、年子の女の子ができたんだ。無計画はなはだしい。
小学校が夏休みになって、一度ぐらいは海水浴につれて行こうと思いながら、そのままになり、
・・このままじゃ~海水浴にも行かず、夏が終わってしまうと~・・毎日・毎日・盗人を追いかけていた。
平成2年8月25日、その日も ~いつものように、ドンブリで朝飯を食って仕事に出かけた。
いつもの道を・いつもの車で、いつもの橋を通り、汗を拭きながら中村警察署に入った土曜日の朝。
官公所は休みで、今日は当直の者しかいない。とりあえず刑事課に入り当直の準備をして、
一階事務室に降り、当直体制に入った。
ちょうどそのとき、署長室から背広姿の男が一人出て、駐車場の車から何か書類を提げ、
またすぐ署長室に入った。
・・・見慣れない男だ、それに~このくそ暑い夏に、朝から背広なんか着ているやつは、
銀行員ぐらいなもんだろう、白いワイシャツに・きちんとネクタイを締め、
その上から~背広だ。
どう見ても銀行員にしか見えない、どうして・・これほどキチンとする必要があるのか?
よほど世間体を気にする職種だ、オレにはつとまらん、そんなことを思いながら
ぼんやり背広姿を見ていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが全ての始まりだった。
12年前のワンカットが、今でも鮮明に映り出す、
背広姿の組織が持つエゴと、黒い制服姿の組織が作り出すエゴの共同制作の始まりだった。
組織と言う美名を前面に押し出した、エゴとエゴが互いにからみ合い、
ドロドロした泥水になり、1人の銀行員を飲み込んでしまった序曲の始まりである。
やがて署長室から、3人の“背広男”が出て来た。
1人は若い背広で、あとの2人は年輩の背広である。
まるで背広の“ダンボール箱”に、穴を開け~首から上の顔だけ “外に出した”
背広の“箱人間”が、やたらと御丁寧に歩いているようだ。~アホの看板にしか見えない。
それぞれの“背広の箱”は、警察署長に~何回も頭を下げ、
歩きながら~ことさら丁重な言葉使いを羅列しながら帰って行った。
背広男が、若い運転手付きの車に乗り、うやうやしく警察署までおいでになって
署長室で何か?お願いをして帰った。ここまでは理解できる、
背広姿の組織体、つまり世間的に形のある組織から~何かお願いを受けた我が組織のボス
・・・警察署長は、まず型式を作る。
お願いした相手側の組織体が、大きければ大きいほど、大きな形、無難な結果が必要になる。
学校とPTAの関係と同じだ。・・~屁のようなガスが充満していた。
形と形が、可もなく不可もなく、感情もなく、上手に絡まった。クソガスだ。
おそらく数分後、署長が何らかの命令を出す、それが何か~その部分だけが不明だ。
ただ確かなことは、今日も忙しい1日になると言うことだ。
・・・12年前の一場面。
今でも紙芝居の様に、その一枚目がまったく動かず、 記憶に残っている。
ただぼんやり・いつものように~指揮官でありボスである署長様が、いつものように的外れの
御命令を出し、 現場はいかにして、馬鹿殿を満足さすか~動き出す。その御命令を待っていた。
もしもこの時、ここにいなければ、普通の平凡な警察人生を送れたものを、
これが・とんでもない幕開けになろうとは、知る由もなかった。
蒸し暑い、12年前の朝。
背広姿の立派な組織人が帰ってから少し間をおいて、署長室の扉が開いた。
先頭に本日の当直責任者 交通課長 安田 、 次に刑事課長 田岡 が出てきて
2人共しきりに、後ろの“バカ殿”を振り返りながら~「そうですね、~そうですね」と言っている。
後ろには我らがボス、偉大なる神々の神、“馬鹿殿”が控えている。
両脇には課長様2人が、愛想を振りながら“馬鹿殿”に相槌を打っている。
つまり本日の方針は既に決定、後は用件を聞くだけだ。
・・・何だろう? ま、いいことでないのは確かだ。
一応、刑事当直である以上、くわしく御命令を聞かなければいけない。
奴らが話し出す前に奴らの前に進み出る、これが宮仕えのコツだ。
2人の課長を押し退けるような勢いで、署長が皆の前に出てきて指示し始める。
「きのう、8月24日に仕事中の一国銀行外交員が、いなくなった。あ~~・・
現金は700数10万円持ったまま行方不明になっている。
現金についは、まだ詳細には判明してないが、およそ750万円位だ。
いまのところ、なぜいなくなったのか不明である。
銀行も、昨日午後から・・・・・
行方不明の銀行員が行きそうな所を探しているようだが
発見できず、・・本日、届けがあった。
今日も銀行員が、何人か出て探しているようだ。
うちも届けがあった以上“やらん”わけにはいかん。
今日と明日は、土・日曜日で、当直員しかいないから
平常勤務を通じて、行方不明者の捜索に当たる。
今日は警らパト(パトカー)と捜査車の2台で捜索するよう。
ただ夏季休暇をとった者もいるし、 今日は当直員しかいないので
あまり遠くには行かず~
何かあったら直ぐ帰れる様に、市内中心の捜索に絞って実施してくれ。
行方不明者の特徴は、課長から指示があるから。
・・・・・ただ、まだ何も判ってないのだから、
これを事件だと言わないように、くれぐれも注意してくれ、
結局、銀行員が金を持ち逃げ・しただけなら
銀行側に迷惑がかかることになるからなぁ~・・・・・・・。
・・・・・・この点、よく考えて行動する様に」
まことに事務的な指示をして、急ぎ足で帰った署長の後、
手回しよく、行方不明銀行員の身体特徴などを書いた用紙を
交通課長が当直員に配った。
行方不明銀行員
職業 一国銀行中村支店勤務 外交員(独身)
住所 四万十市山下通り128番地2 ライオンズマンション203号室
氏名 佐田 伸一
昭和38年2月9日生 (27歳)
身長 182 センチ位 やせ型
頭髪 7・3 分け (中髪)
仕事中の使用車両
ホンダ・スーパーカブ
50シーシー
青色
ナンバー
中村市 あ ・167
行方不明になった時間帯
行方不明者は当日、銀行の得意先を数件回っている。
この事は、銀行の調査で明白である。
その後、昼頃から失踪している。
配られた用紙には、これだけしか書いてない。
写真もない~後日~家族の者が持って来る~ とのこと。・・~以上。
“以上”と言うのが最後の言葉だった。
~“以上”~ 警察では、なぜかこう言う言い方が好まれる。・・・・・「以上」・・・・・。
しかし“素朴な質問”が“1つ”ある。
まず質問しても無益だと思うが~一応してみることにした。
それが~あまりに基本的な、基本的すぎるがゆえの、馬鹿らしいほど素朴な内容だったからだ。
「 課長~ 四万十市じゃぁ~毎月24日が、商店や市場での給料日です。
行方不明の銀行員は、この給料日に~いなくなったわけですが、
給料日なら~商店なんかに配った金もあるはずです。
つまり、この銀行員は、朝、銀行を出るときには、
行方不明当時の750万円位より、もっと多く金を持っていたはずだ。
いったい、いくら持って銀行を出たのか判りませんか。
・・・・・・・・・・・・・どうせ逃げるなら~金が多いとき~逃げるだろうに」
質問は、できるだけしないようにしている。警察では、何でも「はい」と言うに限る。
とにかく疑問を持たず、自分の頭で考えない事だが、あまりに素朴な疑問だった。
毎月24日は給料日、四万十市でメシを食う警察官なら・あたりまえの常識だろうが、
“その常識”を~公務員は知らないだろう?・・イヤミを込めた質問だ。
その常識の日・24日に銀行員が行方不明になった。
しかも最も多く金を持っていたであろう、銀行を出た際の失踪でなく、
ある程度・金を配送したと思われる昼頃の失踪である。
~これだけでも~おかしい~じつに素朴な疑問である。
だからあえて尋ねた。これでも警察では余計な言動と映ったらしい。
刑事課長と当直責任者の交通課長、両警部殿は不機嫌そうな顔になり
「今そんな詳しいことは判ってない。今日はとにかく銀行員を探すことや」 ~
と言い残してサッサと~いなくなった。
アホの警察官は“ハラの中”で1人怒り狂った。
【~・・クソボケぇ~・・・今・銀行のエライさんと、話していたヤツが・・・
「・・・詳しいことは、解ってない」と、
・・・~オドレらぁ~何を話していた?糞ボケ】
・・・・・・・・・・・・・と、“ハラワタの中”では~そう思った。が、どうでもいい。
警部殿が最も気にしているのは、いつの場合も警察本部に報告する“上向け”の報告文書を作ることだ。
まずは報告、敵は本能寺にあり。・・・である。
味方の大将に“可もなく不可もなく”上手に報告して、
自分の“足元”を守り抜くことが最重要課題である。
個人企業なら、第一に外の顧客に対するサービス及び利益を優先さすのだが、
親方日の丸の~お役人が考える事は、まず自分自身の保身・立身出世が先行する。
つまり、~「事件」と断言するな。事件なら警察に責任ができる。
次に、いかにして~組織内の上層部に、精一杯努力しているかをアピールするか?・・・である。
おそらく今頃~無難な報告文書を頭の中で、一生懸命考えていることだろう。
とにかく署内におるより、外に出るのが気楽でいい。
相勤者と一緒に、捜査車で銀行員を探すことにした。
探すと言っても~写真もない状態で~ただ失踪した銀行員と言っても判る訳がない。
・・・そんなことは、どうでもいい~ただ上から言われた「探す」と言う行動を起こせばいいだけだ。
結果はどうでもいい、課長殿がほしいものは、今日の事。~銀行員の捜索をしました~との 事実だけがほしい訳で、
~ヤリました~捜しました~この町のスミからスミまで捜しました。
~この既成事実を上手に本部報告するのが目的だ、
~まず、・・今日いくら探しても銀行員は見つからない。そんな事は判っている。
が、探した。捜した。ヤリマシタ。
・・警察はやった。・・やりました。・・明日もやります。・・頑張ります。
・・・の形が必要な訳だ。
・・・・・・・・・ 敵は本能寺に有り。
・・・・・・敵は外には居ない、味方の大将、警察本部が最も大事な強敵である。
まず本能寺、現場なんか~なんとかなる。
~本部に現場は見えん、見えん物は、後で何とでも ~報告できる。
・・・いつもの手だ。
失踪した銀行員が銀行を出発した際、いくら現金を持っていたのか?
12年たった今でも、私は知らない。
たぶん銀行からは警察に報告があったと思うが、そんなことは本部報告の中だけに必要なことで、
他には取るに足らん事だろう。
銀行員がその気になり、内部の現金を横領する気になれば、数百万円程度の現金では済むまいが
~そんな事は、どうでもいいんだ。
その日の 相勤者 今田刑事を捜査車の助手席に乗せ、四万十市内を ~くまなく走り回った。
どうせ、見つかると思って走った訳では無い。車の中で何を話したか全く記憶にない。
ただ四万十川沿いを走った際、2人のワイシャツ姿の中年男が、
原付オートバイを近くに 置き
何か~さがし物をしているようだった。
どう見ても四万十川には場違いな2人組で、
一国銀行も失踪した銀行員を探している、と聞いていたので、
この2人組は銀行員では?・・と思い、車の窓から
「銀行の方ですか」と声をかけた。
思った通り一国銀行の職員だった。
聞けば昨日の午後から、失踪した行員を捜しているとのこと
「今日、男子行員は、ほとんどの者が、心当たりを探している」
・・・・・・・・・・・・・・ 汗を拭き拭き答えた。
銀行では昨日から探している、それなら昨夜のうちに警察に届け出れば、
警察は、今朝早くから動けた。~そうするべきだ、そうしないのは何か?
もし~持ち逃げなら銀行の失態になる、世間体を重んじる銀行が、すんなり~やるはずがない。
銀行の失態は、絶対に出さない。
どこも~組織と言う所は、同じだ。と、つくづく思い知らされた。
今思えば、これが酒屋の店員が失踪したのであれば、全然違う展開になったかもしれない。
組織防衛とは美しい言葉だ、組織を守る、その為にあらゆる手段が使われる。
個人の事なんか~どうでもいい、ヤクザの「組」とおなじだ。
まったく同じだ、昨日ヤクザの事務所前を通りかかったとき、
顔見知りの組員が、汗をかき ながら車を洗っていた。
黒いベンツだ。
聞けば親分が女と一緒に飲みに行く、その運転手をするそうだ。
一杯飲んで、どっかのモーテルにシケ込むまで、ハンドルを黙って握り続け
「親分、親分」と言いながら、女のケツに最敬礼するハメになるだろう。どこも同じさ、
カッコイイのは映画の中だけで、警察も銀行も組織と言う美名が先行し
中間管理職が出世 だけを考える者なら、
まず自分の立場が最も有利になるポジションを維持するため、
上向きに、当たりさわりの 無い報告を作文する。
銀行は、持ち逃げを恐れた。警察は「事件」を警戒した。
事件となれば、犯人を割り出し捕まえなければならない。解決できれば出世の道が開ける。
が、できない時は、自分の出世に大変な汚点を残す。
・・・今の署長や課長は、今年一杯~無難に乗り切れば、来年は県本部に御栄転・間違いない
・・・・・・・・・・~若手の出世コースにあるエリートだ。
~自分の足元は、清く・正しく・美しく・きわめて清純に整えている。立派なモンだ。
銀行員の死体でもあれば別だが、何もない・何の手掛かりも無い現状で、動けば損になる。
・・何が損で、何が得か?イエスか?・ノーか?・・・回答は1つ、
・・・・・・・・・・・・・・・・事件じゃ無い。持ち逃げだ。銀行は~それを最も警戒している。
相手が気にしている一点を突けば、持ち逃げで終わる。事の成り行きだ。
以前、東京の銀行員が路上で強盗に襲われ、九死に一生を得て生還した事件があった。
その時、テレビのニュースで、被害者の“銀行員夫婦”が
「ご迷惑をおかけしました」と言いながら、何回も何回も頭を下げていた。
被害者が、しかも、銀行の仕事をしてない、その“被害者の奥さん”までが
テレビに出て、どうして頭を何回も下げ、あやまる必要があるのか?
しかも・・・「ご迷惑を~おかけしました」と言う内容だった。
強盗の被害者である銀行員が、なぜ「迷惑をかけた」と、あやまる。
被害者が、なぜ~迷惑をかけた~ことになるのか?
日本のような治安国家で、白昼強盗に襲われた被害者夫婦が、どうして~あやまる必要がある。
これも銀行の管理者が組織権力を振り回し、末端の犠牲者に強制したワザだ。
テレビで全国放映された~銀行名入りの被害者を抱えた銀行幹部が、体裁を取りつくろう為、
被害の銀行員に強要したんだろう。
そうでなければ、
どうして、被害者とその妻が謝る。~日本にそんな風習があるのか?
いくら銀行といえども、少し常識があれば、これほど馬鹿げた対応はしないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・モノには限度と言う事がある。
何か得体の知れない怒りが、フツフツと沸きだし、何もやる気が無くなった。
どうでもいい、失踪だろうが、なんだろうが、“上”が~やりたいように~やりゃぁいい。
どうでもいい。
どっか喫茶店にでも入って、時間潰しすればよかったが、
相勤者の今田刑事は、堅物だけにサボルこともできず、ただアホのように車を走らせた。
この今田が、後で大変な敵になろうとは、この時は想像もしなかった。
銀行員失踪事件を蒸し込んだ一員である今田刑事は、その後4年間で、
巡査長、巡査部長、警部補、と、トントン拍子の出世をし、
今や、高知県警察本部のエリート警察官である。
何もかも既に仕組まれていた、最初から出来上がっていた。
が、それが判るまでに~7年間の時間が必要だった。
まさか、こんなことが。と、想像も出来ない組織のカラクリに気づくまで暗中模索、
手探りの歩みだった。
(四万十川・赤鉄橋)
梅雨がおわり、夏が一番暑いと感じる時期だった。
平成2年8月
目覚めと同時に体のあちこちから、汗がにじみ出た。
昨日は盗人の現場で 、夜遅くまで指紋を採ったり聞き込みをしたりで、
帰ったのは夜の11時頃だった。
今日は朝から刑事当直。
普通なら土曜日の休日だが、刑事課には休みも何もない。
高知県の四万十川河口にある四万十市、歴史だけは古く
京都の公家、関白 一条教房(のりふさ)が、応仁2年(1468年)応仁の乱で、
この地に“流され”てから開けた町で
町のつくりも 一条通、大橋通り、京町、東山など、京都にちなんだ名前が付けられた
“土佐の小京都”と呼ばれているが、人口は3万人たらずの田舎町である。
この町の中村警察署 刑事課 鑑識係兼捜査係が当時の仕事だった。
最近、この町に盗人が横行している。
路上の車から現金を盗む車上狙いや、空き巣が頻繁に起きていた。
車上狙いは、ドアロックを見事に開けている。かなり手慣れた盗人だ、
被害にあった車の窓ガラスに、5ミリ程度のひっかき傷が付いている。
~まず、細い針金状の道具か、または~厚紙程度の薄く細長い金属をガラスの隙間に差し込み、
数秒でドアロックを開けているだろう。
指紋も出ない、目撃者もいない、かいもく手掛かりがないまま2ヶ月たち、
うだるような夏になった。
1ヶ月間、ほとんど休みらしい休日はない。
子供や女房も旦那の休みなんか、まったく気にしてない。
かってに、やっているようだ。
子供は女の子が2人、小学校4年と5年の年子だ、
毎日毎日、酔っぱらって寝るから、年子の女の子ができたんだ。無計画はなはだしい。
小学校が夏休みになって、一度ぐらいは海水浴につれて行こうと思いながら、そのままになり、
・・このままじゃ~海水浴にも行かず、夏が終わってしまうと~・・毎日・毎日・盗人を追いかけていた。
平成2年8月25日、その日も ~いつものように、ドンブリで朝飯を食って仕事に出かけた。
いつもの道を・いつもの車で、いつもの橋を通り、汗を拭きながら中村警察署に入った土曜日の朝。
官公所は休みで、今日は当直の者しかいない。とりあえず刑事課に入り当直の準備をして、
一階事務室に降り、当直体制に入った。
ちょうどそのとき、署長室から背広姿の男が一人出て、駐車場の車から何か書類を提げ、
またすぐ署長室に入った。
・・・見慣れない男だ、それに~このくそ暑い夏に、朝から背広なんか着ているやつは、
銀行員ぐらいなもんだろう、白いワイシャツに・きちんとネクタイを締め、
その上から~背広だ。
どう見ても銀行員にしか見えない、どうして・・これほどキチンとする必要があるのか?
よほど世間体を気にする職種だ、オレにはつとまらん、そんなことを思いながら
ぼんやり背広姿を見ていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが全ての始まりだった。
12年前のワンカットが、今でも鮮明に映り出す、
背広姿の組織が持つエゴと、黒い制服姿の組織が作り出すエゴの共同制作の始まりだった。
組織と言う美名を前面に押し出した、エゴとエゴが互いにからみ合い、
ドロドロした泥水になり、1人の銀行員を飲み込んでしまった序曲の始まりである。
やがて署長室から、3人の“背広男”が出て来た。
1人は若い背広で、あとの2人は年輩の背広である。
まるで背広の“ダンボール箱”に、穴を開け~首から上の顔だけ “外に出した”
背広の“箱人間”が、やたらと御丁寧に歩いているようだ。~アホの看板にしか見えない。
それぞれの“背広の箱”は、警察署長に~何回も頭を下げ、
歩きながら~ことさら丁重な言葉使いを羅列しながら帰って行った。
背広男が、若い運転手付きの車に乗り、うやうやしく警察署までおいでになって
署長室で何か?お願いをして帰った。ここまでは理解できる、
背広姿の組織体、つまり世間的に形のある組織から~何かお願いを受けた我が組織のボス
・・・警察署長は、まず型式を作る。
お願いした相手側の組織体が、大きければ大きいほど、大きな形、無難な結果が必要になる。
学校とPTAの関係と同じだ。・・~屁のようなガスが充満していた。
形と形が、可もなく不可もなく、感情もなく、上手に絡まった。クソガスだ。
おそらく数分後、署長が何らかの命令を出す、それが何か~その部分だけが不明だ。
ただ確かなことは、今日も忙しい1日になると言うことだ。
・・・12年前の一場面。
今でも紙芝居の様に、その一枚目がまったく動かず、 記憶に残っている。
ただぼんやり・いつものように~指揮官でありボスである署長様が、いつものように的外れの
御命令を出し、 現場はいかにして、馬鹿殿を満足さすか~動き出す。その御命令を待っていた。
もしもこの時、ここにいなければ、普通の平凡な警察人生を送れたものを、
これが・とんでもない幕開けになろうとは、知る由もなかった。
蒸し暑い、12年前の朝。
背広姿の立派な組織人が帰ってから少し間をおいて、署長室の扉が開いた。
先頭に本日の当直責任者 交通課長 安田 、 次に刑事課長 田岡 が出てきて
2人共しきりに、後ろの“バカ殿”を振り返りながら~「そうですね、~そうですね」と言っている。
後ろには我らがボス、偉大なる神々の神、“馬鹿殿”が控えている。
両脇には課長様2人が、愛想を振りながら“馬鹿殿”に相槌を打っている。
つまり本日の方針は既に決定、後は用件を聞くだけだ。
・・・何だろう? ま、いいことでないのは確かだ。
一応、刑事当直である以上、くわしく御命令を聞かなければいけない。
奴らが話し出す前に奴らの前に進み出る、これが宮仕えのコツだ。
2人の課長を押し退けるような勢いで、署長が皆の前に出てきて指示し始める。
「きのう、8月24日に仕事中の一国銀行外交員が、いなくなった。あ~~・・
現金は700数10万円持ったまま行方不明になっている。
現金についは、まだ詳細には判明してないが、およそ750万円位だ。
いまのところ、なぜいなくなったのか不明である。
銀行も、昨日午後から・・・・・
行方不明の銀行員が行きそうな所を探しているようだが
発見できず、・・本日、届けがあった。
今日も銀行員が、何人か出て探しているようだ。
うちも届けがあった以上“やらん”わけにはいかん。
今日と明日は、土・日曜日で、当直員しかいないから
平常勤務を通じて、行方不明者の捜索に当たる。
今日は警らパト(パトカー)と捜査車の2台で捜索するよう。
ただ夏季休暇をとった者もいるし、 今日は当直員しかいないので
あまり遠くには行かず~
何かあったら直ぐ帰れる様に、市内中心の捜索に絞って実施してくれ。
行方不明者の特徴は、課長から指示があるから。
・・・・・ただ、まだ何も判ってないのだから、
これを事件だと言わないように、くれぐれも注意してくれ、
結局、銀行員が金を持ち逃げ・しただけなら
銀行側に迷惑がかかることになるからなぁ~・・・・・・・。
・・・・・・この点、よく考えて行動する様に」
まことに事務的な指示をして、急ぎ足で帰った署長の後、
手回しよく、行方不明銀行員の身体特徴などを書いた用紙を
交通課長が当直員に配った。
行方不明銀行員
職業 一国銀行中村支店勤務 外交員(独身)
住所 四万十市山下通り128番地2 ライオンズマンション203号室
氏名 佐田 伸一
昭和38年2月9日生 (27歳)
身長 182 センチ位 やせ型
頭髪 7・3 分け (中髪)
仕事中の使用車両
ホンダ・スーパーカブ
50シーシー
青色
ナンバー
中村市 あ ・167
行方不明になった時間帯
行方不明者は当日、銀行の得意先を数件回っている。
この事は、銀行の調査で明白である。
その後、昼頃から失踪している。
配られた用紙には、これだけしか書いてない。
写真もない~後日~家族の者が持って来る~ とのこと。・・~以上。
“以上”と言うのが最後の言葉だった。
~“以上”~ 警察では、なぜかこう言う言い方が好まれる。・・・・・「以上」・・・・・。
しかし“素朴な質問”が“1つ”ある。
まず質問しても無益だと思うが~一応してみることにした。
それが~あまりに基本的な、基本的すぎるがゆえの、馬鹿らしいほど素朴な内容だったからだ。
「 課長~ 四万十市じゃぁ~毎月24日が、商店や市場での給料日です。
行方不明の銀行員は、この給料日に~いなくなったわけですが、
給料日なら~商店なんかに配った金もあるはずです。
つまり、この銀行員は、朝、銀行を出るときには、
行方不明当時の750万円位より、もっと多く金を持っていたはずだ。
いったい、いくら持って銀行を出たのか判りませんか。
・・・・・・・・・・・・・どうせ逃げるなら~金が多いとき~逃げるだろうに」
質問は、できるだけしないようにしている。警察では、何でも「はい」と言うに限る。
とにかく疑問を持たず、自分の頭で考えない事だが、あまりに素朴な疑問だった。
毎月24日は給料日、四万十市でメシを食う警察官なら・あたりまえの常識だろうが、
“その常識”を~公務員は知らないだろう?・・イヤミを込めた質問だ。
その常識の日・24日に銀行員が行方不明になった。
しかも最も多く金を持っていたであろう、銀行を出た際の失踪でなく、
ある程度・金を配送したと思われる昼頃の失踪である。
~これだけでも~おかしい~じつに素朴な疑問である。
だからあえて尋ねた。これでも警察では余計な言動と映ったらしい。
刑事課長と当直責任者の交通課長、両警部殿は不機嫌そうな顔になり
「今そんな詳しいことは判ってない。今日はとにかく銀行員を探すことや」 ~
と言い残してサッサと~いなくなった。
アホの警察官は“ハラの中”で1人怒り狂った。
【~・・クソボケぇ~・・・今・銀行のエライさんと、話していたヤツが・・・
「・・・詳しいことは、解ってない」と、
・・・~オドレらぁ~何を話していた?糞ボケ】
・・・・・・・・・・・・・と、“ハラワタの中”では~そう思った。が、どうでもいい。
警部殿が最も気にしているのは、いつの場合も警察本部に報告する“上向け”の報告文書を作ることだ。
まずは報告、敵は本能寺にあり。・・・である。
味方の大将に“可もなく不可もなく”上手に報告して、
自分の“足元”を守り抜くことが最重要課題である。
個人企業なら、第一に外の顧客に対するサービス及び利益を優先さすのだが、
親方日の丸の~お役人が考える事は、まず自分自身の保身・立身出世が先行する。
つまり、~「事件」と断言するな。事件なら警察に責任ができる。
次に、いかにして~組織内の上層部に、精一杯努力しているかをアピールするか?・・・である。
おそらく今頃~無難な報告文書を頭の中で、一生懸命考えていることだろう。
とにかく署内におるより、外に出るのが気楽でいい。
相勤者と一緒に、捜査車で銀行員を探すことにした。
探すと言っても~写真もない状態で~ただ失踪した銀行員と言っても判る訳がない。
・・・そんなことは、どうでもいい~ただ上から言われた「探す」と言う行動を起こせばいいだけだ。
結果はどうでもいい、課長殿がほしいものは、今日の事。~銀行員の捜索をしました~との 事実だけがほしい訳で、
~ヤリました~捜しました~この町のスミからスミまで捜しました。
~この既成事実を上手に本部報告するのが目的だ、
~まず、・・今日いくら探しても銀行員は見つからない。そんな事は判っている。
が、探した。捜した。ヤリマシタ。
・・警察はやった。・・やりました。・・明日もやります。・・頑張ります。
・・・の形が必要な訳だ。
・・・・・・・・・ 敵は本能寺に有り。
・・・・・・敵は外には居ない、味方の大将、警察本部が最も大事な強敵である。
まず本能寺、現場なんか~なんとかなる。
~本部に現場は見えん、見えん物は、後で何とでも ~報告できる。
・・・いつもの手だ。
失踪した銀行員が銀行を出発した際、いくら現金を持っていたのか?
12年たった今でも、私は知らない。
たぶん銀行からは警察に報告があったと思うが、そんなことは本部報告の中だけに必要なことで、
他には取るに足らん事だろう。
銀行員がその気になり、内部の現金を横領する気になれば、数百万円程度の現金では済むまいが
~そんな事は、どうでもいいんだ。
その日の 相勤者 今田刑事を捜査車の助手席に乗せ、四万十市内を ~くまなく走り回った。
どうせ、見つかると思って走った訳では無い。車の中で何を話したか全く記憶にない。
ただ四万十川沿いを走った際、2人のワイシャツ姿の中年男が、
原付オートバイを近くに 置き
何か~さがし物をしているようだった。
どう見ても四万十川には場違いな2人組で、
一国銀行も失踪した銀行員を探している、と聞いていたので、
この2人組は銀行員では?・・と思い、車の窓から
「銀行の方ですか」と声をかけた。
思った通り一国銀行の職員だった。
聞けば昨日の午後から、失踪した行員を捜しているとのこと
「今日、男子行員は、ほとんどの者が、心当たりを探している」
・・・・・・・・・・・・・・ 汗を拭き拭き答えた。
銀行では昨日から探している、それなら昨夜のうちに警察に届け出れば、
警察は、今朝早くから動けた。~そうするべきだ、そうしないのは何か?
もし~持ち逃げなら銀行の失態になる、世間体を重んじる銀行が、すんなり~やるはずがない。
銀行の失態は、絶対に出さない。
どこも~組織と言う所は、同じだ。と、つくづく思い知らされた。
今思えば、これが酒屋の店員が失踪したのであれば、全然違う展開になったかもしれない。
組織防衛とは美しい言葉だ、組織を守る、その為にあらゆる手段が使われる。
個人の事なんか~どうでもいい、ヤクザの「組」とおなじだ。
まったく同じだ、昨日ヤクザの事務所前を通りかかったとき、
顔見知りの組員が、汗をかき ながら車を洗っていた。
黒いベンツだ。
聞けば親分が女と一緒に飲みに行く、その運転手をするそうだ。
一杯飲んで、どっかのモーテルにシケ込むまで、ハンドルを黙って握り続け
「親分、親分」と言いながら、女のケツに最敬礼するハメになるだろう。どこも同じさ、
カッコイイのは映画の中だけで、警察も銀行も組織と言う美名が先行し
中間管理職が出世 だけを考える者なら、
まず自分の立場が最も有利になるポジションを維持するため、
上向きに、当たりさわりの 無い報告を作文する。
銀行は、持ち逃げを恐れた。警察は「事件」を警戒した。
事件となれば、犯人を割り出し捕まえなければならない。解決できれば出世の道が開ける。
が、できない時は、自分の出世に大変な汚点を残す。
・・・今の署長や課長は、今年一杯~無難に乗り切れば、来年は県本部に御栄転・間違いない
・・・・・・・・・・~若手の出世コースにあるエリートだ。
~自分の足元は、清く・正しく・美しく・きわめて清純に整えている。立派なモンだ。
銀行員の死体でもあれば別だが、何もない・何の手掛かりも無い現状で、動けば損になる。
・・何が損で、何が得か?イエスか?・ノーか?・・・回答は1つ、
・・・・・・・・・・・・・・・・事件じゃ無い。持ち逃げだ。銀行は~それを最も警戒している。
相手が気にしている一点を突けば、持ち逃げで終わる。事の成り行きだ。
以前、東京の銀行員が路上で強盗に襲われ、九死に一生を得て生還した事件があった。
その時、テレビのニュースで、被害者の“銀行員夫婦”が
「ご迷惑をおかけしました」と言いながら、何回も何回も頭を下げていた。
被害者が、しかも、銀行の仕事をしてない、その“被害者の奥さん”までが
テレビに出て、どうして頭を何回も下げ、あやまる必要があるのか?
しかも・・・「ご迷惑を~おかけしました」と言う内容だった。
強盗の被害者である銀行員が、なぜ「迷惑をかけた」と、あやまる。
被害者が、なぜ~迷惑をかけた~ことになるのか?
日本のような治安国家で、白昼強盗に襲われた被害者夫婦が、どうして~あやまる必要がある。
これも銀行の管理者が組織権力を振り回し、末端の犠牲者に強制したワザだ。
テレビで全国放映された~銀行名入りの被害者を抱えた銀行幹部が、体裁を取りつくろう為、
被害の銀行員に強要したんだろう。
そうでなければ、
どうして、被害者とその妻が謝る。~日本にそんな風習があるのか?
いくら銀行といえども、少し常識があれば、これほど馬鹿げた対応はしないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・モノには限度と言う事がある。
何か得体の知れない怒りが、フツフツと沸きだし、何もやる気が無くなった。
どうでもいい、失踪だろうが、なんだろうが、“上”が~やりたいように~やりゃぁいい。
どうでもいい。
どっか喫茶店にでも入って、時間潰しすればよかったが、
相勤者の今田刑事は、堅物だけにサボルこともできず、ただアホのように車を走らせた。
この今田が、後で大変な敵になろうとは、この時は想像もしなかった。
銀行員失踪事件を蒸し込んだ一員である今田刑事は、その後4年間で、
巡査長、巡査部長、警部補、と、トントン拍子の出世をし、
今や、高知県警察本部のエリート警察官である。
何もかも既に仕組まれていた、最初から出来上がっていた。
が、それが判るまでに~7年間の時間が必要だった。
まさか、こんなことが。と、想像も出来ない組織のカラクリに気づくまで暗中模索、
手探りの歩みだった。
(四万十川・赤鉄橋)
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