Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

コーカス・レース

2008年09月16日 | Weblog
森山大道展を見る。
森山大道の「限界と潜在性」を探ってみること。
誰のものでもないものの、記憶の底へ。
なぜ、ハワイなのか。
森山大道と中平卓馬。日本・写真史の二つの系譜。気分と物。
二人の傍らで、間で、高梨豊を再考してみること。

「森山大道論」へのいくつかの素朴な疑問。

写真家の肉体性について-「すでにあらかじめ言葉や文化によって意味付けられた事物や現象で満たされた世界をカメラで選び取るのではなく、分節化された世界に先立つ、さしあたって等価に立ち現れる未踏の物象の世界を自らの肉体的・身体的反応とともに突き動かされるカメラによって切り分けていく写真家の姿が浮かび上がってこないだろうか(世界の既成の分節化に先立つ「身分け=見分け」としての行為)(深川雅文『光のプロジェクト』)。こうした写真行為における「肉体性の特権化」は眉唾物である。世界の既成の分節化に先立つだって?むしろ、こうした肉体的な反応こそが最も「世界の既成の分節化」に基づいているのではないだろうか。あるいは紋切り型として自動化されやすいものではないか。感覚的・運動的知覚。草を食う牛の肉体的自動的再認行為(そもそも肉体的反応っていうけど、被写体が変われば肉体的反応も変化するんじゃないの?そのときの精神的なあり様で肉体的反応も変化するんじゃないの?どうして森山大道の写真はみんな同じような反応の結果・効果に見えてしまうの?)。

このことにいち早く気づいていたのが、中平卓馬である。確かに、プロヴォーク時代の森山大道の写真は、従来の撮る側(写真家)の位置を問いに付すことがなかった写真に対して、撮る側の反応自体を写真に導入することで、撮る人そのものを問いに付した。その意味では、あらかじめ理念化された撮影者(撮影主体)に対して、現実(生身)の不確かな撮影者の位置を露呈させることで、写真を撮ることの意味を問いに付した。しかし、だからといって、「対象のモチーフに対する客観的な真実」を問題にした土門拳の写真が乗り越えられたなどと嘯いてはならない。土門拳は被写体の意味があらかじめ了解できないからこそ、被写体(対象)を重要視したのである。被写体の「真理」を切り開くために。中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』はまさに、土門拳を再考することだったにちがいない(デジタル時代だからこそ、土門拳を再考すべきではないか。デジタル時代の「土門拳論」を書くこと)。

付け加えておけば、森山大道たちの「肉体的反応」による世界の切り取りに意味がないと言っているわけではない。「肉体的反応」による世界の切り取りが、言葉や文化によってあらかじめ分節化された世界を宙吊りにすることが重要なのである。「肉体的反応」によって切り取りられた映像を美学化してはならないのだ。したがって、森山大道の写真そのものの診断をしているわけではない。実際、1980年代の〈光と影)シリーズは、まさに「肉離れ」の試みであったろう。

前述の「森山大道展」の冊子コメントのなかで、森山大道は次のように語っている。「たとえ写真が、いかに個の美学や観念の領域から写されたものであれ、本来的あるいは終局的に無名性を帯びて、写真は、人類の歴史、世界の歴史の資料として存在しうる能力を持つ」。人類の歴史、世界の歴史の資料だって、あまりにも素朴すぎるのではないか。写真は未来にとって、人類の歴史、世界の歴史の資料足りえるほど、純粋なものなのか。かつてプロヴォークは、写真が歴史の視覚的資料足ることへの疑問から出発したのではなかったのか。未来のために、現在(現実)の諸条件を変えることこそ、プロヴォークが目指したことではなかったのか。「忘れるために撮る」という小林のりおの宣言の方に、ぼくは共感する。

写真の使命は、未来のための歴史的な視覚的資料になることではない。むしろ、確かな視覚的資料足ることを宙吊りにし、裏切ってしまうことにある。そこにおいてこそ写真は、証拠ではなく新たな問いを切り開くことになる。

「……そして貧しい時代に何のための詩人たちか」と謳ったヘルダーリンについてのハイデガーの注釈。「何のための写真家か、そして映像の飽和した時代にあってなおも何のための写真家たちか」と問うてみたい気がする。

写真とは“事実”を写すことではなく、事物の“真理”を写すことである。明け開くこととしての“真理”を。

被造物はみな、そのすべての眼で見ている、
“開かれたもの”を。われら人間の眼だけが、
裏返されたようになっている。(リルケ『ドゥイノの悲歌』)

柳宗悦の「用の美」とは、カント美学の観点からすれば矛盾する表現である。使用的関心を排除してこそ成り立つ美。柳宗悦はこの矛盾をどう解消しようとしたのか。どう乗り越えようとしたのか。柳宗悦の「民芸運動」が日本の近代の始まりのなかで生まれてきたことを忘れてはならない。写真もまた、「記録と表現」というアポリアではなく、「用と美」-「使用と美」の観点からとらえなおしてはどうだろうか?

「晩年のベートーヴェンは同時に主観的とも客観的とも呼ばれる。客観的なのは脆くひび割れた風景であり、主観的なのは、この風景を照らして燃え輝かせる光である。かれは主観客観双方の調和的な綜合を生ぜしめない。かれはそれを、分裂の力として時間の中で引き裂き、永遠のために取って置こうとする」(アドルノ「ベートーヴェンの晩年様式」川村二郎訳)。

写真とは紛れもなく一つのイメージ(映像)である。しかし一方で、イメージ化に徹底的にあらがうことにおいてこそ、写真固有の力があるのではないか。イメージを拒否するイメージ。しかしまた、写真が一つのイメージであるならば、果たして写真はイメージであることを免れることはできるのか。撮ることを拒否することにおいてしか、それは達成できないだろう。したがって、見えないものを見えるようにするといった暴かれた事物もまた、もう一つのイメージにすぎない。だが、イメージ化にあらがう一つの方法がある。イメージを宙吊りにし、機能不全に陥らせることである。この矛盾、分裂、二重性のない、あらゆる写真は退屈である。

日経新聞の7月16日付け夕刊で、港千尋氏が気になる発言をしていたので、ちょっとコメントをしておきたい。

「ただ、携帯やコンパクトデジタルカメラは、撮影者と被写体との関係という点で従来型のカメラと大きな違いがある。ファインダーをのぞき込んでシャッターを切る作業は、世界のある瞬間を切り取るということ。当然、決断という要素が重要になるし、そういう一瞬に命を賭けて仕事をするプロたちによって写真の歴史も成り立ってきた」…略…「何かを撮るとき、自分自身の頭で考え決断をしたうえで撮ろうとしているのか、それとも自分は単にスクリーンの向こう側で眺める“視聴者”になっているのか。そこまで思いを致すのが、責任ある大人になるということだと考える」

携帯やコンパクトデジタルカメラと、従来のフィルムカメラとの、写真行為における違いは、確かに港氏のおっしゃる通りだと思うのだが、だからといって、フィルムカメラには撮影者の意志があり、コンパクトデジタルカメラには意志が希薄という対立的な見方には首肯できない。というよりも、そもそも写真とは撮影者の意図を超えて、被写体を無差別に等価に写してしまうことに、写真固有の力があるのではなかったのか。だからこそ、ベンヤミンが次のように語ったことが今でも重要なのである。

「“文字に不案内な者ではなく、写真に不案内な者が、未来の文盲ということになろう”と言われたことがある。しかし、自分の撮った写真から何も読みとることのできない写真家も、同じく文盲と見なされるべきではないか。-ベンヤミン(『写真小史』久保哲司訳)

確かに、携帯やコンパクトデジタルカメラの映像は、従来型のカメラの映像に比較し、緊張感がなく緩んでいる。「世界を切り取るのではなく、眺めている」(同上)映像である。静止画ではなく、動画の一部としての映像。しかしだからこそ、使い方によっては有効かつ批評的映像足りえるのだ。

港氏のような対立的な見方をしてしまうと、ベンヤミンが言ったように、写真の機能に再び「創造性や天才性、永遠の価値や神秘の概念」を回復させてしまうのではないか。中平卓馬や森山大道たちのプロヴォークは、撮影者の胡散臭い「決断」や「意志」に対して「否」をつきつけるために「肉体性」やら「身体性」、「ノーファインダーの手法」を導入したのではなかったのか。

ということは、撮影する際の意志や決断が問題なのではなくて、ベンヤミンが語るように、自分が撮った写真から何を読み取るかが重要なのである。つまり、撮影後の選択の意志や決断こそが重要なのである。「映画やテレビのスクリーンを眺めるかのような“視聴者”」は、決して携帯やコンパクトデジタルカメラの使用者ばかりではない。むしろいまや、従来型のカメラを使った写真家にこそ数多くいることを認識しなければならない。

「人や場所や状況に素直に向き合って、何も考えずにぱっとシャッターを押す。写真っていうのは、本当はそれが一番良いんですよ。そうすれば、被写体の方のパワーが迫ってくるようになって、それが写真というジャンルの強みになる。でも、最近の応募作は、コンセプチュアルに頭で考えたり、カメラの機能を色々使ったりするものが多過ぎるのかもしれない」(「第30回キヤノン新世紀審査総評」での荒木の発言)

おこかがましいようだけど、荒木の考えていることと、ぼくが考えていることは基本的に一緒だな(大笑)。ただし、荒木は撮影後のセレクト・構成の重要性を付け加えることを忘れているけど(そんなこと、言わずもがなことなのかな?)。つまり、自ら撮った写真を読むことを。したがって“読むこと”において、コンセプチュアルでなければならないし、論争的に言うならば、加工性(作為性)も厭う必要はない。

プラトンの彫刻や絵画に対する非難は有名である(『国家』や『ソピステス』など)。プラトンにとっての芸術は、感覚によってとらえられた現実を模写したものすぎない。なんとも空しい行為ではないかということである。その上、芸術は人を欺く虚像をつくりだすというわけである。プラトンが写真を見たらおそらく、烈火のごとく憤慨したことだろう。プラトン的な観点から、写真をとらえなおしてみること。イデアと写真。

「意味作用がイマージュのかたちをとってあらわれるとすれば、それはある過剰によってであり、また、それは、お互いに重なり合い、対立矛盾する意味の複数化として、実現するのである。夢の想像的造形性とは、そこに現れる意味にとっては、自らの矛盾に他ならないのである」(フーコー「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」石田英敬訳)

上記のフーコーの言葉は、夢の機能に関してのものだが、イメージ一般についても言えるものではないか。とりわけ最近目立って増えている、「自分が見たいイメージ」を撮る(演出する・つくる)若手写真家に言えることではないか。彼らがつくりだすイメージから、願望充足よりも、矛盾(分裂・二重性)の形を見出すこと。

「知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めるていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心」

「いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である」(いずれも、フーコー『快楽の活用』田村俶訳)

保守論者はかくのごとく言う。「戦後日本は権利ばかりを唱える輩が多くなった」と。社会的責任や義務を忘れ、権利だけを主張する輩。それこそが現代社会の歪の要因だと言うわけである。ジャーナリスト・桜井よしこは主張する。日本国憲法を見ろと。権利ばかりが明記されているではないか。保守論者たちの主張は一見、正当かのように思える。モンスター・ペアレントしかり(笑)。だが、考えて見よう。権利が実現・達成されていないから権利を主張するのではないか。確かに、理念としての憲法は「国民の権利」を謳っている。しかし、現実はそうではないのだ。われわれは、権利が実現・達成されていない現実を生きているのである。問題は権利の過剰にあるのではない。権利は必ずしも実現・達成できないことを知ることなのである。フロイトが言ったように、「人の命は大切である。しかし、その大切な命をないがしろにする人間がいる」ことを教えることが重要なのである。したがって、保守論者が言うごとく、社会的責任・義務を強制するべきではない。むしろ、権利を主張すべきである。ただし、現実社会においては、その権利を実現・達成されることは難しい。ならばどうすれば実現・達成できるか。その方法こそを主張すべきなのである。

たとえば、最近の「通り魔殺人事件」について、保守論者は「彼らは自分の責任を社会に転嫁ばかりしている。権利ばかりを重視してきた戦後教育の誤りだ」と主張する。しかし、考えて見よう。むしろ彼らは、責任を社会に転嫁する術を知らないがゆえに、かといって自己責任に耐えられないからこそ、暴発したのではないか。自己責任の内面化への重みと、それをどこにも転嫁できないがゆえの「誰でも良かった」という帰結。社会に責任を転嫁するためには、社会の仕組みそのものを考えなければならないし、それは必然的に社会の仕組みそのものへの攻撃となるだろう。われわれは自己責任の内面化に徹底的に抗い、責任を社会に転嫁する技法を学び、磨かねばならない。

「ファインダーとは政治的な道具なのであり、過去を未来にとってふさわしいものに変えるための道具なのだ」(アラン・トラクテンバーグ『アメリカ写真を読む』生井英考・石井康史訳)

ということは、過去を未来にとってふさわしくないものに変えてしまう道具でもあるわけだ。「事実(現実)と意味の間の緊張関係をどのように配置するか、あるいはどう解釈するか」が重要となる。前者が写真家の役割だとすれば、後者が見る側の義務である。事実をアリバイとして、既存の意味を強化してしまうのか。事実によって既存の意味にメスを入れるのか。いずれにしても、意味や事実を実体化するのではなく、その緊張関係を読み解くことである。

アリストテレスの『二コマコス倫理学』は、「善く生きること」について書かれた書物である。「善く生きること」、幸福であること。現代においても、「楽しく生きること」が人生の第一の使命と考えられている。しかし、幸福であることにおいては、単に感覚的に心地よいだけで済まされないのが人間の存在である。苦難に抵抗することの喜びもある。

ところで、国家が個人個人の「幸福であること」に介入し始めるとどのような問題が生じるのだろうか。現在、われわれの「死に至るプロセス」も含めた「生きること」全体が国家の、社会の目標・目的になりつつある。死さえも極端に管理されつつある現在。フーコーは晩年、「自己に関する技術」の歴史的・文化的分析に力を注いだ。「真理を発見しなければならない」「真理を語らなければならない」「幸福とは何かを考えなければならない」「善く生きるとは何かを考えなければならない」……。自己に関する技術と「支配の技術=統治の技法」との関わりはどのようなものなのか。そこで意味・コミュニケーション技術(情報技術)の一つである「視覚的記号システム」はどのように関わってくるのか。写真はどのような役割を果たしているのか。芸術(表現)はどのような役割を果たしつつあるのか。

イメージのデジタル時代に求められること-「フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらを住処とするような力であるべきなのだ」(フーコー『外の思考』豊崎光一訳)

「表現の形態としての刑法が一つの発話可能性の領野(犯罪行為の言表)を定義するように、内容の形態としての監獄は一つの可視性の場を定義する」(『フーコー』宇野邦一訳)。

ドゥルーズがフーコーについて書いた、上記のような注釈に従うならば、写真という形態が可視性(見えるもの)の場を定義することになる。つまり、写真というメディアが見えるものと見えないもの、いわば光の体制を形作っているということである。絵画に変わる写真の登場は、現実についての新しい見方、見せ方として現れた。保護院が狂人について中世やルネサンスとは違った新しい見方、見せ方として現れたように(当然、精神病院もまた異なる見方、見せ方ということになる)。また監獄が罪の新しい見方、見せ方として現れたように(フーコーは監獄の可視性の場を、「一望監視方式」-見られることなくすべてを見る、いわば監視の内面化の場ととらえたわけである)。とするならば、アナログからデジタルへの移行において、デジタル写真はフィルム写真とは異なる、現実についての新しい見方、見せ方としての現れるはずである。

とするならば、デジタル写真の形態とはどのようなものなのか。どのような光の体制を形作っているのか。絵画やフィルム写真の形態とどのように異なるのか(さらには言表の体制とはどのような関係をもっているのかも問われるべきであろう)。

言って見ればマネの絵画は、絵画の形態-矩形性、平面性、遠近法、光の扱い方等々をあらわにしたのである。フローベルが言語の形態をあらわにしたように。そのためには、ドゥルーズが言うように、絵に画かれた物を、不透明な物として切り裂かねばならない。台座の露出。同じ意味で言うならば、写真が自らの形態を意識しはじめるのは、1960年代後半に入ってからと言えるかもしれない。ウォホールらをはじめとする美術側からの写真の使用法。

死とは、どのような死に方であれ、ある時代の、一つの権力関係をあらわにする。同じように、性のあり様は、どのような性であれ、ある時代の、一つの知の形態をあらわにする。

現代における「面白さ」というキーワード。面白い映画、面白い小説、面白いアート、面白い人生。いまや、あらゆる分野で「面白さ」が至上命令のようにはびこっている。実際、ぼくらはしばしば、面白いという言葉を価値判断の指標のように語ってしまう。面白さとは何だろう。もちろん、何が面白いかは人によって異なる。面白いとはおそらく、時間を忘れ、関心の対象に没入することであろう。いわば関心の対象にとらわれることである。他方、退屈であることは、否応がなしに時間を意識させられ、早く時間が経つことを望むことである。ハイデッガーは退屈であることは、待つことであると言っている。待つこと、それはいまだ何もなしていないことである。つまり、ある可能性の状態にとどまることでもある。たとえば、タルコスキーの映画。タルコスキーの多くの映画は、一つのストーリーに還元することができない。であるがゆえに退屈である。われわれは映画そのもの、映像そのものと対峙せざるを得ない。この退屈さがあるがゆえに、われわれは思考することの可能性へと開かれるのだ。たまには、面白い映画、面白い小説、面白いアートを避けて、退屈さと向き合うべきではないか。現代人はあまりにも、退屈であることを恐れている。面白さに急き立てられる現代文化。退屈であることの再考。

退屈さとともに写真のファンクティヴ(機能素)と思われるものを思いつくままにアトランダムに挙げてみる。

静止・光・痕跡・鋳型・視点・視線・視角・フォーカス・断片・細部・支持体・空間・時間・視覚・触覚・過去・記録・記憶・表現・平面・レンズ・矩形・拡大・縮小・構成・展示・物質・記号・複製・メディア……

現代アートのほとんどは“感覚のゲーム(戯れ)”と化している(写真もしかり。自分が見たいイメージと称した“つくる写真”等々)。デジタル・テクノロジーを手に入れることで、感覚のゲーム化はさらに拍車がかかっている。感覚の拡張、代替、限定、変形、歪曲……。知覚のバルブをいかに調整するか、いかなる変形バルブをつくるかに汲々しているように思える。アートのドラッグ化。そこにはもはや、マネ以降、20世紀美術が使命としてきたと思われる、感覚による批判(知性への限界性の指摘)はない。フーコーの言葉を再び。

「フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」

「フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらを住処とするような力であるべきなのだ」(いずれも、フーコー『外の思考』豊崎光一訳)

色と形による戯れ-いわゆる抽象絵画は、具象性を拒否することで、純粋な感覚の戯れを求めた。具象性の拒否-それは一つの表象(何かの物-表われされるものを知的に再現すること)に還元されることを回避することで、感覚そのものを現前させることにあった。存在するものの本質であれ、極度に抽象化された物の存在そのものであれ、抽象絵画が現前させようとしたものは、物が在ることの力そのものであった。他方、抽象絵画による表象の拒否は、物の、芸術作品の商品化への拒否でもあった。いかにして芸術作品を商品から峻別するか。しかし、抽象絵画が現前させようとした純粋な感覚は、実はけっきょく描かれる形であり、色にすぎなかった。つまり、一つの数学的表象にすぎなかったのではないか。

やがて、20世紀美術は抽象絵画の失敗に対して、支持体(物質)そのものの感覚を現前させようとするだろう。油の、キャンヴァスの、あるいは石の、テラコッタの、鉄の……物質の感覚を。マネ以降の20世紀美術の冒険は、感覚を現前させることで表象を拒否すること、それは物が、芸術作品が商品化されることへの抵抗でもあった。しかしそもそも、物の、芸術作品の商品化とは、物の有用性を離れ、感覚化すること、つまりは物象化することではなかったのか。商品、あるいは広告におけるモダンデザインの導入(抽象絵画の利用・活用)は、その典型的な現われだろう。そして現在のアートは、20世紀美術の使命であった、感覚による表象の拒否という側面は忘れられ、完全な感覚のゲームと化している。もはや商品と芸術作品を識別する基準はないし、誰もその必要性さえ求めていない!

フーコーはやっぱり凄い!
「あるものの過去を再発見するのは、基本的にそのものが存続できるようにするためです。それはわたしが始めたというわけではなく、多くの人がやっていることなのですが、それは精神病院がどのような意味で必然的なものか、歴史的に運命づけられたものであるかを示すために行われるのです。わたしがやろうとしているのは、まさにその反対のことです。あるものの不可能性を明らかにすること、たとえば精神病院の機能は、恐るべき不可能性にもとづいたものであることを示すことなのです」(フーコー『わたしは花火師です』中山元訳)

このフーコーの言葉は、先に「写真の使命は、未来のための歴史的な視覚的資料になることではない。むしろ、確かな視覚的資料足ることを宙吊りにし、裏切ってしまうことにある。そこにおいてこそ写真は、証拠ではなく新たな問いを切り開くことになる。」と書いたことと、どこか共振するものがあると思う。