南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

おはら祭りがおいどん祭りだったら・・・

2009-11-05 | 鹿児島の祭り・観光地
毎年11月2日・3日に鹿児島市でおはら祭りが開催されます。
昭和24年に、市制施行60周年を記念して始まったお祭りは1954年(昭和29年)に「おいどん祭」と名称変更され、1957年(昭和32年)には「おいどん祭」から「おはら祭」へ名称変更された(早っ)とのことです。
「おいどん祭り」のネーミングは・・・微妙ですよね(笑)・・
昭和36年、徳島の阿波踊りを手本として“踊り連”方式を採用(踊り手の集団を「連」といいます)してから、町内会や職場グループからの参加が急増し、おはら祭は飛躍的に発展したようです。
昭和38年には踊りの曲目にハンヤ節が加わり、昭和44年からは、開催日が11月3日・文化の日に確定しました。

2009年11月3日、午後からの第3部:「おはら節」・「鹿児島ハンヤ節」・「渋谷音頭」にあわせて練り踊る「総踊り」を見物できました。
(加治木町の錦江駅から鹿児島駅まで電車で行きました。)


11月2日は前夜祭があったようです

おいどん祭りだと、どうしても口元がゆるむでごわす

鹿児島市役所前のみなと大通り公園では「侍戦隊シンケンジャーショー」などが行われていました
内容は6月28日に隼人国分サティ店で見たのと同じ内容で、血祭りドウコクやズボシメシが敵役で出る話です。
興味のある方はショーの記事

またもやタコ殴りされるズボシメシ

おごじょ太鼓の演奏
第3部の総踊り開始前に、数分間の太鼓演奏がありました

14時から総踊りが開始しました。
おはら節と鹿児島ハンヤ節を交互に踊っていきます

おはら節の歌や演奏を複数の団体が交代で行っていました。

「花は霧島ぁ 煙草は国分ぅ~ (ハ ヨイヨイ ヨイヤサ)
 燃えて上がるは オハラハー 桜島ぁ~ (ハ ヨイヨイ ヨイヤサ)」

「雨の降らんのに 草牟田川濁る 伊敷原良の オハラハー 化粧の水~
[女性たちが一斉に化粧をおとせば草牟田川=甲突川も白く濁る]

「見えた見えたよ 松原越しに 丸に十の字の オハラハー 帆が見えた~

「おけさ働け 来年(でねん)の春は とのじょ持たせる オハラハー よか青年(にせ)を~

「伊敷原良の 巻揚(まきゃげ)の髪を 髪を結うたなら オハラハー なおよかろ~

「おはら祭」をPRする市電の花電車が10月16日から11月1日まで毎日2回走り、祭の期間中は天文館付近に長時間停車運行します。

今年の花電車には約1700個の電球と約8500個の造花を使用し、車両の側面には祭の見せ場「総踊り」や桜島の写真を飾ってあります

場所によっては太鼓の伴奏も加わっていました

「雨の降る夜は おじゃんなと言うたに 濡れておじゃれば オハラハー なお可愛い~

中の人はめちゃ暑そうです

新体操とのコラボも

飛び入りでの踊り歓迎!とのことですが・・・

怪しい腰つきにて、女の子がガン見してます(笑)

そうしん(鹿児島相互信用金庫)のマスコットキャラ

「桜島には 霞がかかる 私ゃ貴方(おはん)に オハラハー 気がかかる~
そうしんにはべっぴんさんが多かったです

「この地去っても 夢路に通う 磯の浜風 オハラハー 桜島~

「抱いて寝もせず 暇もくれず つなぎ船かよ オハラハー わしが身は~

「月のちょっと出を 夜明けと思うて 主を帰して オハラハー 気にかかる~

「薩摩西郷さんは 世界の偉人 国のためなら オハラハー 死ぬと言うた~
「可愛いがられて 寝た夜もござる 泣いて明かした オハラハー 夜もござる~

総踊りが一時休憩している間に太鼓の演奏が
どこかで見たことある女の子と思ったら・・・

「枕崎火の神太鼓」でした。
2009年8月30日に「奉納太鼓まつり」が霧島神宮にて開催された時、来ていました
興味ある方は奉納太鼓まつり記事へ

おはら節の後にハンヤ節が繰り返されます
「ハンヤエー ハンヤ ハンヤで 今朝出した船は どこの港に サアーマ 着いたやら~
「ハンヤエー ハンヤ ハンヤで 半年ゃ暮れたナー あとの半年ゃ サアーマ 寝て暮らすナ~


「僕、パチエモンです!」みたいな・・

和尚きたぁぁぁ!!

クロネコヤマトの宅急便

ネコ耳、萌え~ (笑)
しっぽもナイス

「渋谷音頭」も時々踊られました

総踊り最後は、各連(踊り手の集団)ごとに輪になって踊りました



○おはら節について

ルーツですが、島津家の琉球侵攻に従軍した日向安久(宮崎県都城市安久)の郷士が陣中で士気を鼓舞するために唄った安久節(ヤッサ節)が、帰国後薩摩風に歌詞を作って歌われ、それが、鹿児島地方一帯に広がりました。
伊敷村原良(現・鹿児島市)でも歌われ、「おはら」の挿入句に「原良」を当てはめて、「小原良(おはら)節」と書かれるようになったようです。

七七七五調の四句目の前に「オハラ」と入るところから 「おはら節」と呼ばれるようになったようです。
越中おはら節・津軽おはら節・秋田おはら節・鹿児島小原節などがあります。

1926年(大正15年)頃、鹿児島市の芸者一八が得意とし、別名『一八節』とまで言われた『小原良節』を、鹿児島県(種子島)西之表市出身の新橋 喜代三(しんばし きよぞう)(女性で美貌の持ち主)が直々に教わりました。
中山晋平がこれを聞き、惚れ込んで(後に結婚)上京させ、1934年(昭和9年)ポリドールより新橋喜代三の名で「鹿児島小原良節」をレコードで出し大ヒットして、鹿児島おはら節が全国的に有名になったようです。



2 コメント

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リンク報告 (カミタク(リンク先は「おはら祭見聞記」))
2010-11-03 12:16:15
【リンク報告】
こんにちは。カミタク
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/
と申します。

私が運営しております、鹿児島県内外の観光と温泉を紹介するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「おはら祭見聞記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN14.HTM
から貴ブログ記事にリンクを張りましたので、その旨、報告申し上げます。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

返信する
ありがとうございます (南国より カミタク様へ)
2010-11-04 05:59:11
これで3記事目をリンクさせていただき、光栄でございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
返信する

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