日曜日のミサに出かけられないほど身体がだるい。陽気のせいかもしれないし、目の疲れからかもしれない。
私の住むマンションは駅から4分ぐらいだが、裏通りで昔の商店が残っている。お米屋さんや燃料屋さんだ。その1軒の前に行燈つくりの朝顔が咲いている。たまに樺色の朝顔が咲いている。記憶が正しいかどうかわからないが、子供の頃、樺色と祖母が教えてくれた色だ。地味な色の朝顔だが、なにか江戸のころの朝顔がそこに咲いているような気になる。
左目の視野がまだ暗い。というか見えない状態が続いている。「安静に」という主治医の言葉で今日はじっとしている。NHKで永六輔さんのアーカイブスを放送していた。「夢で逢いましょう」は1963年のものだった。土曜日の夜の生放送だったと思う。カラーでもないし、セッもト今のように豪華ではない。そこに流れる時は、今から見れば地味な樺色のような気がする。でも、しっとりとした文化がある。放送にも文化があった。今と比べると、裏通りのような文化だ。
「上を向いて歩こう」を聞きながら、静かな文化を楽しんだ。
私の住むマンションは駅から4分ぐらいだが、裏通りで昔の商店が残っている。お米屋さんや燃料屋さんだ。その1軒の前に行燈つくりの朝顔が咲いている。たまに樺色の朝顔が咲いている。記憶が正しいかどうかわからないが、子供の頃、樺色と祖母が教えてくれた色だ。地味な色の朝顔だが、なにか江戸のころの朝顔がそこに咲いているような気になる。
左目の視野がまだ暗い。というか見えない状態が続いている。「安静に」という主治医の言葉で今日はじっとしている。NHKで永六輔さんのアーカイブスを放送していた。「夢で逢いましょう」は1963年のものだった。土曜日の夜の生放送だったと思う。カラーでもないし、セッもト今のように豪華ではない。そこに流れる時は、今から見れば地味な樺色のような気がする。でも、しっとりとした文化がある。放送にも文化があった。今と比べると、裏通りのような文化だ。
「上を向いて歩こう」を聞きながら、静かな文化を楽しんだ。