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すべてのことにときがある

2021-11-13 19:23:43 | 日記

あたたかくて気持ちのよい日だ。長浜の町には、朝から以前のように観光客が訪れている。以前との違いと言えば、95%以上の人がマスクをしていること。そして、人込みにはならないことだ。今日はお友達が古本市で忘れ物をしたので、代わりに木之本まで取りにいった。天気も良くせっかくなので、木之本の観音様を拝むことにした。ただ、駅から歩くと30分はかかる感じだ。歩けるか?

私はクリスチャンだが、お寺にも参るし神社にも参る。それは日本に暮らしていたら普通のことだろう。それでも不思議なのは、内容がわからずに選んでも読む本がキリスト教に関連した出来事が多いことだ。黒田官兵衛はあまり興味がなかったが、読んでみるとキリシタン大名で黒田氏は今日訪れた木之本町黒田の出だという。その聡明な頭脳に今までのイメージが変わった。今日はその黒田の地にある観音寺を訪ねた。この辺りのお寺は近くの住民たちによって守られてきている。住職は不在なので、管理している在の人に電話して拝顔させていただく。

ブログにも書いているが、この地に縁をもったのは、数々の戦火を逃れて住民によって守られている腕のないような観音様を見てからだ。自分の姿を見るようだった。それが今日は違う!1000年近く前の行基菩薩の作と言われる無傷の千手観音菩薩だ!力強いお姿と慈悲に満ちたお顔だった。どう考えても江戸時代くらいの作としか思えない。このご本尊だけが荒れ果てた寺に残っていたという。なぜ?という問いには地元の方もわからないが、おそらくこの地には裕福な豪族がいて、戦乱の世ももしかしたらうまくご本尊を守ってもらうよう取り計らったのではないかという。そのお姿からはエネルギーが満ち溢れている。そのエネルギーが私にも伝わるようだ。見れば見るほど不思議な菩薩さまだ。

ああ、この出会いが4年前だったら、私はこの菩薩様を受け入れられただろうか。負けてしまっただろう。私は「すべてのことにはときがある」という聖書の言葉を思い出した。読んだ本もそうだし、人との出会いも少しずつ心が癒されて普通にものを感じることができるようになった私に合っている。それが神の導きであるように思うのだ。仏である神であれ、信仰を持つということはそういうことではないだろうか。

 


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