身体のだるさが取れ、気持ちも落ち着いた。「ページが1ページずれても大したことにはならない」と思えた。それよりも知人が多い首都圏の地震のほうが心配だった。揺れはかなり大きくものを押さえていたという話もある。ほんとうにいつわが身になるかわからないのが、地震だ。
一応興味を持って眞子さまのネットでの記事を読むことがある。一つ「ああそういう見方もあるのか」という意見があった。ある女性のライターだ。それは「平成」と「昭和」という時代の違いからくる、女性の生き方の話だ。平成に入りすぐにバブルがはじけた。昭和の右から上がりの暮らしから急に変化した時代だ。まだ、働く女性も多くはなかった。その辺のひずみとか生活感の差はあるような気がした。あとは、個人の精神的な部分にはどこまで立ち入れるかだ。私の叔父は軍隊に入隊中に自死した。理由はわからないという。それが普通だと思う。遺族のためにも掘り起こしてはいけない領域のような気がする。日本は心理学が進んでいない。だから、精神領域に立ち入ることの怖さがあまり知られていない。主治医でもカウンセラーでも慎重にならないと「命」にかかわることになる。是・非ではなく、怖いと思う。
私は大事な人が海外へ仕事で4年間会えないまま出張となったら、待てるだろうか。彼が大事な使命を持った仕事で出かけているとしたら、静かに待つしかないとしたら・・・。いまなら待てるが、30歳で待てるだろうか。すごいエネルギーのような気がする。「会えない」ということは大きい。待てたらからどうのこうのではない。でも、何か課題を持って出かけている彼も大変だろうし、その課題をクリアできると信じて待つところの打算は私にはないなぁ。
秋は夕暮れ。虫の声も聞こえてきました。打算もなく、ただ信じて時を待つしかないこともある。
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