⑦パパの「頭の中は575」

元は「子育て日記」だったが、子供達も全員大人になっており、最近「俳句」の記事が増えたのでタイトルを変更しました。

昭和の地図と土生玄碩

2017-11-22 12:18:42 | その他
先日、角打ちで初めてお会いしたご夫婦と話していると、驚くことばかりだった。

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まず、今おふたりがはまっているのが、ご先祖探しなんですって。奥さんが「主人
は武士と云うか御典医の家系なので、家系図も残っていて簡単だった」と。しかし
旧山陽道沿いで商いをされていたと云う、奥さんの方は先祖探しが難しい。と

でも、公民館や図書館を歩きまわり、商売をされていた場所の、昭和初期の地図を
見つけたと仰り、持参のタブレットに入っていると言われるので見せていただいた
のですが、こっちが大興奮です。「送りましょうか?」「是非とも」とスマホのア
ドレスを言い送って頂きました。



「〇〇←旧の字(あざ)の辺りの古いことをご存知の方がいれば」「僕は〇〇で
すよ」「今は50年くらい前まで役場だったところに住んでいますが、前は〇〇
質店の向かいに家があったんです」「え、斜め前に〇〇〇〇店ってあったのご存
知ですか?そこでおじいちゃんとおばあちゃんが〇〇店をしていたんです」「え
~っOさんですか!よく知ってますよ。あ、そう云えば、おばあさんに顔ソック
リじゃ」「そうなんです、私おばあちゃんに似てるんです」

「船越町役場ってありますね!」とご主人。「あるでしょ!首都に住んでますw」



この地図は「商店」や「医院」だけ載っていて、一般の家庭は載っていない。昔か
らの大きな家でも、商売をされていないとこは載っていなかったので、今で云う商
店街の地図ですね。今はこの旧山陽道沿いに何軒商売をしているところがあるか?
10店もないと思うが、当然古い酒屋さんなので、我が角打ち場は載っている。



「え、〇さんとこの隣って、交番があったんだ」「いやいや、僕が子供の頃まで交
番はありましたよ」「へぇ~知らなかった」盛り上がる盛り上がる。

今度は御典医だったと云うご主人の方が、どんな家系なのか気になり「御典医って
土生玄碩とか?」と、唯一知っている広島の江戸時代の医者の名前を言ってみると
「え、土生玄碩をご存知なんですか?そうなんです、うちのN家は7代前に土生家
から玄碩の弟が養子に来てるんです」と、タブレットの中の土生玄碩に繋がる家系
図や、N家の墓と土生家の墓が隣同士にある写真も見せてもらった。

     


土生玄碩
は、講談や歌舞伎で有名な「男の花道」のモデルの眼科医で、子供の頃に
テレビでその講談が流れている時に、広島出身者のことは知っておいた方が良いよ
と、死んだ親父が何回も話してくれていたので、知っていた。

ご主人は土生玄碩のお墓を訪ねたとか言われるので「生誕の家がいまだに吉田町に
ありますよね」と言うと知らないと仰るので、場所をお教えした。私は吉田に得意
先があり、20数年前は月に1度、そこを通っていたので覚えてた。

     

いや楽しかった。因みに我が家は6代前が初代らしいが、どん百姓なのに明治の卒
業証書に「士族」とあったので、おそらく身分だけの士族、城下町の武士より身分
低い「郷士」だったらしいが、家系図もないけえね。親父は「下級武士と云うより
も、幕末のどさくさに金で郷士の地位を買ったんじゃないんかの?と言っていた。

嫁の母親の家系は分家から総理大臣も出ているのですが、肝心の本家は早死にの家
系で途絶えてしまっている。

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コメント (2)
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