崋山は絵描きでありたかったし
当時の肖像画に関しては
自分が第一人者であるという自負もあったという
当時崋山のような肖像画はなかったことは確かだ
蘭学に触れて西洋にはこれまでの日本の絵の描き方を違うものの見方がある
という刺激も突き動かしたのだと思うけれど
教科書によくあるように
日本画の手法による衣服の表現と顔に
西洋画の影響から陰影をつけ立体感を表現したのが斬新だった
というのは表現方法の話で
これは市河 米庵という書家の像
これにも草稿がいくつもあるけれど
そっちのほうが生々しくリアルだなあと思うけれど
本画として仕上げたほうが なんというか
見てくれはいいかも
それは 儒教の教えで絵は徳を表さねばいかんからだ
という解説もあったけれど
わたしはこれが泉石の肖像画と同じ年の
天保8年に描きあがっている
対価を得るための絵だったのではないかという気もする
それでもそのリアルな表現は
当時はこういうのなかったよなあと思う
人間観雑の鋭さは
自負する通り無敵の力量だったとわたしは思う
師の谷文晁はどういう肖像画を書いていたか
木村蒹葭堂像
こういう肖像画
対象を描いてもいるし
描いている人のものの考え方を描いているともいえるわけで
(だから自画像でもある)
この二つを見ると
とても興味深い
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